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    美学者母(ART Hacker)アートハッカー(先端芸術・先端美術・先端アート)最先端アート

    美学者母(ART Hacker)アートハッカー(先端芸術・先端美術・先端アート)最先端アート、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(Socially Engaged Art)

    哲学者、思想家の東浩紀さんが編集長の思想誌ゲンロン12での美学者母の広告について(アートにおけるデコンストラクションとしてのAdvertising Art - 広告芸術 - )ART2.0そしてART3.0 大量オリジナルの時代へ

    今回、ART2.0の広告をART3.0の実践として表現しました。
    皆様から観ると何を言っているのか理解できないと思いますが、
    出来るだけ言語表現で伝えることができればという思いと、
    さらにこの言説自体がまた私のアートであること。
    その辺を今回言説していきます。

    まず今回、
    哲学者、思想家の東浩紀さんが編集長の思想誌「ゲンロン12」で、
    美学者母の広告を掲載していただいております。
    広告枠ではありますが、
    貴重な紙面を使わせていただけたことに心から感謝しおります。


    そもそも私は現代美術家の村上隆さんに影響を強く受け、
    2002年8月の村上隆さん主催の「GEISAI-2」(東京)に参加しています。
    もう20年以上前ですねwww
    その後カオスラウンジと村上隆さん、
    そこからの東浩紀さんにたどり着いたという感じで、
    東浩紀さんをちゃんと知ったのは、
    2010年とか2011年位だったと記憶しています。
    間違っていたらすいません。

    これは何度か触れていますが、
    僕の「ウェブアート宣言」が2010年5月で、
    カオスラウンジの「カオスラウンジ宣言」が2010年4月なので、
    おそらく東浩紀さんをちゃんと知ったのはその後くらいです。


    私自身が村上隆さんにシンパシーを感じ、
    その後東浩紀さんにシンパシーを感じた。
    それは私の中では、
    マルセル・デュシャンやウィトゲンシュタインをリスペクトし、
    この時代でマルセル・デュシャンやウィトゲンシュタインを超えたい。
    その様な「志」を、
    より現実的な人物としてリスペクトしているのが、
    村上隆さんと東浩紀さんです。

    現状では足元にも及ばないのですが、
    私自身日々精進し自分自身を信じてアート活動している。
    それが「今」になります。

    その上で「ゲンロン」に、
    美学者母の広告を掲載させていただくというのは、
    かなり感慨深いものがあり、
    私の人生の中でも大きな出来事です。

    その様な事で東浩紀さんの「ゲンロン友の会」の会員でもあり、
    今回この様に広告掲載をさせていただいたのです。



    ここから具体的に今回の「ゲンロン」の広告枠を使った、
    美学者母のアートの内容を具体的に言説していきます。

    今回あくまでも「広告枠」であるのですが、
    逆に私にとって「広告枠」である事が、
    「純粋芸術」としての原理として重要なベースとなっています。

    今回の「ゲンロン12」では「ART2.0」として、
    美学者母が10年以上かけて発表してきた、
    様々な「宣言(Declaration)」を広告掲載しております。
    そしてそれと同時にこの様な言葉を添えています。


    「もはやアートに造形は必要ない、ただ証明だけが必要である。」


    この言葉自体がある種、
    私が10年以上かけて展開してきた、
    「ART2.0」が行き着いた帰結となりました。

    「宣言」=「証明」

    私はこの10年以上をかけて、
    「存在」や「価値」などを考え続け、
    2017年においては「ビットコイン」を通じて、
    価値研究を行い、
    さらにブロックチェーンを通じて、
    「存在」や「価値」の原理にたどり着く事が出来ました。

    私たち人間は、
    または私たち人間そのものは、

    「存在」そのものや、
    「もの」そのものではなく、
    「存在」と「存在」。
    「もの」と「もの」。
    それらの「間」や「空」、
    つまり「行間」や「空間」、
    もっと物理的に言えば、
    「土地」と「土地」とを隔てる「道」。

    それらが無ければ、
    そもそも私達は、
    「存在」も「価値」も認識できない。

    つまり「外」がなければ「内」がないのである。


    ここから逆説的に美学者母の「ART2.0」とはなんだったのか、
    それは「外」と「内」を分けるという概念操作に他ならない。

    それが、

    「宣言」=「証明」

    であるのである。



    美学者母の「ART2.0」は、
    思想誌「ゲンロン12」での広告掲載とともに、
    次なる企てへとアップデートされる。

    それが「ART3.0」であり、
    具体的にこれは、

    「Advertising Art」(広告芸術)


    として思想誌「ゲンロン12」での、
    「ART2.0」の広告掲載として、
    「ART3.0」は新しい概念世界を創造し、
    「Advertising Art」(広告芸術)としてこの世界の可能性を広げたのである。


    「Advertising Art」(広告芸術)について少し触れるならば、
    かつてアンディ・ウォホールはポップアートで、
    大量消費社会をマテリアルとした、
    オリジナルとコピーの芸術を展開した。

    それは「唯一絶対性」(オリジナル)という概念と、
    「複製」(コピー)という概念の並列化である。


    しかし現代においてこの、
    オリジナルとコピーの相対性はもはや最適化できない。
    それは過去にも言説したが、
    テクノロジーが進み、
    インターネットが普及した世界で、
    私達は「ディスプレイ」を通して、
    様々な情報を受け取っている。
    しかし私達のディスプレイに観える情報は、
    「オリジナル」と「コピー」という概念で、
    「外」と「内」を、
    「ディスプレイ」という「道」によって、
    分け隔てる事ができるだろうか。

    もはやこの「ディスプレイ」という「道」において、
    「オリジナル」と「コピー」という概念は適用できない。


    私は前述した様に2017年から「ビットコイン」において、
    価値研究を行い、
    「ブロックチェーン」についても、
    様々に学んできた。

    その上で昨今ブロックチェーンの、
    メーンプレイヤーが「ビットコイン」から、
    「イーサリアム」などへ変化しており、
    その上で、
    NFTやDeFi、Dapps、DAOなど、
    様々な新たな概念が産まれてきている。

    そこでブロックチェーンに共通する概念として、

    代替性(Fungible)
    非代替性(Non Fungible)

    この二つの概念である。

    つまり過去において、
    アンディ・ウォホールは、
    コピーとオリジナルを並列化したわけだが、

    美学者母は、
    代替性(Fungible)と非代替性(Non Fungible)
    を並列化し、
    「Advertising Art」(広告芸術)
    という芸術構造を創造したのである。


    これは、
    思想誌「ゲンロン12」において、
    広告枠=代替性(Fungible)を使い
    純粋芸術=非代替性(Non Fungible)を展開するという、
    ある種、
    アンディ・ウォホールの、
    オリジナル(純粋芸術)とコピー(商品)の並列化を、
    アップデートしたものとして構造化できる。


    ART1.0=創る

    ART2.0=証明する

    ART3.0=広げる



    最後に、
    皆様ぜひ思想誌「ゲンロン」を購入して、
    美学者母の広告をご覧ください!!!
    (掲載はゲンロン12の巻末の方です)

    また株式会社ゲンロンの皆様、
    今回は誠にありがとうございました!!!



    美学者母
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    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2021/09/11(土) 20:51:43|
    2. mama (美学者母) ブログ
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    美学者母が新型コロナは風邪だと言う原理(標本空間の現実とそれぞれの現実)2016年の日本の肺炎死亡者数が十一万九千人の事実


    (引用URL)
    国立感染症研究所
    https://www.niid.go.jp/.../kansenno.../9303-coronavirus.html
    東京都健康安全研究センター
    http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2018/
    厚生労働省
    https://www.mhlw.go.jp/.../jinkou/suikei16/dl/2016suikei.pdf
    世界はなぜ風邪(新型コロナ)でパニックになったのか。
    (インフォデミック時代の生き方)
    https://machromatic.net/column_0370.html
    コロナも新型コロナワクチンの接種が始まっていますが、
    未だインフォデミックは収束していません。
    もうこのまま新型コロナのインフォデミックが、
    三年目に突入していくのだろうと色々と諦めていますが、
    私は新型コロナはインフォデミックであると認識していますし、
    現在の所その私の認識は間違っていなかったと考えています。
    たまにSNSとかで医学の専門家や、
    感染症の専門家が、
    「新型コロナは風邪」は間違いだと発言を散見します。
    確かに医学の専門家や感染症の専門家から言えば、
    「新型コロナは風邪」は間違いという事が、
    風邪という定義上当てはまらないということは理解できます。
    なぜなら風邪という概念の定義を、
    どの様にアウトラインをとるのかによって、
    つまりそれぞれの前提条件によって、
    「風邪」とか「風邪」でないとか、
    つまりその領域の専門家にとっては、
    あくまで「風邪」ではないのでしょう。
    それはそのはずで、
    風邪は症状を表すもので、
    その症状を誘発する元のほとんどがウイルスの感染からのものです。
    ちなみに、
    その風邪のウイルスにコロナウイルスがあります。
    これまで知られていたコロナウイルスは、
    4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)は、
    HCoV-229E、HCoV-OC43、HCoV-NL63、HCoV-HKU1である。
    風邪の10~15%(流行期35%)はこれら4種のコロナウイルスを原因とする。
    そのほかに2種類の重症肺炎ウイルスがあります、
    重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)
    中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)
    以上を参考に日常的に感染する4種類の風邪ウイルスとは違うと言われれば、
    それはその通りでその様な切り口で言えば風邪ではないとも言えます。
    しかし感染症であり、
    また風邪と同じ症状を伴い、
    人によってはその症状で治ることもあれば重症化する事もある。
    またその様な症状が出る事がない人もいる。
    風邪は「コロナウイルス」である、
    そして新型「コロナウイルス」は風邪ではない。
    「新型」をどの様な概念で捉えるのかで前提条件が違い、
    コンテクストが変わってくるのが理解できます。
    では前置きはこのくらいにして、
    事実をベースに言説していきたいと思います。
    まず注目するデータとして、
    厚生労働省のデータの死因順位別死亡数の年次推移では、
    2014年以降は肺炎が死因の3位になっており、
    毎年10万人以上が肺炎で亡くなっています。
    2014年から2016年のデータから理解できる通り、
    新型コロナの流行前です。
    ちなみに2020年の肺炎での死因は5位です。
    そして死亡者数は8万人です。
    新型コロナの流行で、
    肺炎での死亡者は2万人減っているわけですね。
    つまりここで理解ができるのは、
    認知されるものと、認知されないもの、
    意識が集中するものと、意識がされないもの、
    つまり情報が人間をいかにコントロールし、
    いかに現実を変化させるのかという事実が理解できます。
    しかしその「現実」とは誰にとっての現実でしょうか。
    少なくとも「我」にとっての「現実」ではありません。
    それは言えば国家という実存を確認できない、
    抽象的な存在にとっての「現実」でしょうか。
    それとも「医学」という実存の確認できない、
    抽象的な存在にとっての「現実」でしょうか、
    はたまた統計学という実存を確認できない、
    抽象的な存在にとっての「現実」でしょうか。
    「我」にとっての「現実」と、
    「標本空間」にとっての「現実」とは違うという事実です。
    ここで少し確率論的な言説をします。
    確率というものをどの様に認識するのか、
    確率を「質」と捉えるのか「面積」と捉えるのか。
    この前提条件で、
    新型コロナを「風邪」と捉えるのか、
    「風邪」とは違うと捉えるのかの違いが生まれます。
    つまり簡単に言えば、
    天気予報の降水確率をどう認識するのかに似ています。
    例えば天気予報の降水確率をみなさんはどう認識しているでしょうか。
    例えば降水確率20パーセントをどう捉えるでしょうか、
    これは実は非常に難しい問題なのですが、
    あえて「質」で捉えるならば、
    ちょっと霧の様な雨が全体に降れば20%でも許容できる。
    その様な「質」の捉え方もできます。
    しかし基本的に確率とは面積と同じであるのです。
    簡単に言えば、
    任意の領域を設定した場合、
    その20%の面積に雨が降る。
    それが20%という確率です。
    すなわち、
    総体として20%という確率でも、
    80%の人には雨が降らないという現実があり、
    20%の人には雨が降るという現実が有るのです。
    それを違った形で言えば、
    その総体の80%の人には100%雨が降らない、
    また20%の人には100%雨が降る。
    つまりここから理解できるのは、
    個別において、
    誰かにとっては100%でも、
    誰かにとっては0%である。

    つまりここで、

    標本空間を現実とする実在が、
    そもそも存在しないことが理解できます。

    もっと個別として捉えてみると、
    それはその人々の個別的現実において、
    雨が降るか降らないかは、
    五分五分としての現実しか無いという事実です。
    そしてこの確率論的な言説は、
    「新型コロナ」にももれなく言えることであり、
    もっと言えばあらゆる現象に言える「原理」である。
    私たちは常に産まれてこのかた、
    あらゆるリスクと共に生きて、
    今この現実を生きているということを、
    忘れ去っているのではないだろうか。
    海に入れば溺れるリスク、
    車に乗れば事故するリスク、
    薬を服めば副作用のリスク、
    山に登れば遭難するリスク、
    何か食べればお腹を壊すリスク。
    数えれば永遠に続くリスク、
    まさに、
    「生きるということは死ぬということを内包している」
    ここで「リスク」というネガティヴな言い方をしているが、
    それは「対」であり、
    全ての事柄はその「対」を内包しているという「真理」である。
    それはその「行為」「現象」に対する「対」である。
    つまりここまでで何が言いたいのか。
    それは個々の世界において、
    「現実」は違うということである。
    まさにこの瞬間に、
    新型コロナの陽性反応がでた人もいるだろうし、
    新型コロナが原因で死亡した人もいるだろう。
    それはその当人にとって、
    紛れもない現実であるが、
    しかしそれ以上に、
    それぞれの個々人が、
    新型コロナ以外にも、
    沢山の障害を持った現実があるのである。
    またその理由で死んでいく人たちも多くいる。
    自殺、病気、事故。
    新型コロナとは違う理由で、
    この刹那に苦しんでいる人々が多くいる。
    社会では何の問題にもされていない事で、
    認識されず、
    意識されず、
    悩み苦しみ、
    死を選ぶ人たちが沢山いる。
    2020年の自殺者は2万人。
    それぞれの人間の個々において、
    それぞれに、
    新型コロナ以上のクライシスがあるのではないか。
    ここまで考察してきた事は、
    インターネットが普及した事を原理にしていると私は考えている。
    情報の伝播速度の革命である。
    ある所で起こった現実が瞬時にあらゆる所へと共有される。
    そしてその共有された現実を、
    「我の現実」としてその、
    シミュレーション世界に没入するのである。
    これはまさに人間の本質である。
    それが私のアート作品として、
    2010年に「ウェブアート宣言」として発表したものである。
    この様な構造を原理から理解している私だから言える事として、
    もっと目の前の現実を生きていくべきであると述べておきたい。
    その考えを言い換えたものが、
    「コロナは風邪である」という言説なのだ。
    つまり、
    「新型コロナ」というものは、
    特別なクライシスではなく、
    私達は個々人がそれぞれ様々なクライシスを、
    日常的に乗り越えながら生きている事を、
    そもそも忘れてしまっているのではないか。
    その様な思いが伝われば幸いです。

    僕にとっては20年くらい前に、
    製薬や医学が薬を売るために、

    「うつは風邪」

    って言ってた方がよっぽど恐ろしい。


    美学者母

    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2021/08/29(日) 13:13:16|
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    「お茶と美」総合WEBサイトがリリース!!(大阪府、大阪狭山市)

    「お茶と美」

    総合WEBサイトがリリースされました!!!

    アートそして、
    エステやリラクゼーション、
    CBDやお茶など!!!

    「美」を通じて、
    「愛」に溢れる「世界」を目指していきます!!!


    「お茶と美」WEBサイト
    https://chabi.info/


    美学者母
    1. 2021/08/04(水) 21:33:22|
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    情報禍社会における2020年東京オリンピックと新型コロナウイルス感染症(DAO 自律分散型組織 Decentralized Autonomous Organization の幕開け)

    さて美学者母が沈黙を破るwww

    というかあまりに活動の幅を広げすぎて、
    文章を書くのにリソースを割いていないだけです。

    また皆様の声でもっと頻繁に更新してくれぇという、
    メッセージなどが多ければ頻繁に書くかもしれませんwww

    それで前回書いた文章からどうやら三ヶ月以上経過していて、
    20201年に入って二回しか書いてない模様です。

    そんなこんなで、
    世界は新型コロナウイルス感染症で混乱している上に、
    一年遅れで2020年東京オリンピックが、
    本日、2021年7月23日からということで、
    色々と節目であると考えまして、
    文章を書くことにしました。


    特に今回の文章を書くきっかけになった出来事がありまして、
    それが、アマゾン創業者Jeff bezosがロケットで宇宙に到達した、
    その様なまさにレガシーを観たからです。
    これは民間の会社が、民間の人間を乗せて、
    旅行チケットを購入して宇宙へ行ったという、
    まさに宇宙を切り開くレガシーだったからです。


    しかし日本人としての僕の現実はというと、
    新型コロナウイルス感染症での混乱や、
    2020年東京オリンピックでの混乱など、
    とてもレガシーとは程遠く、
    後ろ向きな「情報」ばかりで溢れかえっている。
    その様な悲惨な日本の状態で、
    もはや日本人であるという帰属意識が薄らぎ、
    ある種その様な日本から距離をとりたい、
    現状その様な状況であり、
    またその様な行動をとっていきます。


    まさに「今」日本や世界でどの様な変化が起こっているのか。


    このことを知った上で、
    これからの時代を生きていくのと、
    知らないで生きていくのは、
    全く違う世界を生きていくことになるので、
    今回はその様なことを、
    美学者母のフォロワーに共有したいと思います。



    まず「今」起こっている根源的原理は、

    「情報」です。

    まさに「情報禍社会」となっています。
    つまり新型コロナウイルス感染症での混乱や、
    2020年東京オリンピックでの混乱は、
    「情報禍社会」上での必然と言えます。

    僕自身は様々な細かい事象について言及するつもりはありません。

    それが本当に「有ったのか」「無かったのか」、
    それが本当に「良いのか」「悪いのか」。

    それらの「総意」を形成することが、
    困難な世界となっている。
    まずその様な現状を認識する必要があるでしょう。

    つまり「世界」や「国家」における、
    「分裂」や「分断」が起こっています。

    これはある種の、
    「国民国家」という概念の崩壊とも言えるでしょう。
    西洋が生み出した「国民国家」という理想は、
    創造された「民族」を基本としたわけですが、
    それは結果的に、
    ナチスドイツや、
    アフリカ、中東などの民族紛争など、
    様々な形として副作用が生まれています。

    そして「国家」というもの以上に、
    「世界」というものでの総意の形成が、
    グローバリズムなわけです。

    そしてそれは作為的であり、
    人間が作り出したシステムなのです。
    またその様な、
    現在の意味でのグローバリズムも、
    様々な問題に直面しているわけです。


    その上で現在、
    国家としての総意、
    世界としての総意、
    一見私たちは様々な情報操作を通して、
    それらの総意を信じ洗脳されてきたわけです。

    つまり私たちは「情報」を通して「世界」を認識し、
    「国家」を認識しているわけですから、
    まさに逆説的に、
    「情報」が「世界」であり「国家」であると言えます。
    なぜなら「世界」や「国家」という「もの」は、
    存在などしないからです。
    しかし「人間」はその「存在」しない、
    「世界」や「国家」をどの様に「現実」である。
    その様に「認知」するのでしょうか。

    それは「世界」や「国家」という「もの」の、
    「臨場感」です。
    つまり私たち人間最大の特徴として、
    「存在しないもの」に対して、
    「存在する」という「臨場感」を持つことで、
    それが「存在する」という「認知」を可能にします。
    これはある種「人間」が「人間」である所以です。
    つまりそれが「概念」というものになるわけです。

    そこから理解できるのは、
    「人間」は「臨場感」のある「情報」や「概念」を、
    「現実」として「認知」するという「現実」です。


    私はここまでの事で何を言いたいかというと、
    現在の「人間」にとっての「現実(情報)」が、
    過去の「人間」にとっての「現実(物質)」から、
    完全に移り変わったという事です。


    それは現在の人間にとって、
    そこに「現実(物質)」が無いからといって、
    「非現実」では無く、
    そこに「現実(情報)」の「臨場感」があれば、
    それは「現実」として「認知」する。


    (現在の情報原理の現実と非現実の相対性)
    現実/非現実としての現実

    (過去の物質原理の現実と非現実の相対性)
    非現実/現実としての非現実


    ※添付図参照


    dao.jpg





    これがまさに美学者母が2010年に宣言した、
    「ウェブアート宣言」の主たるコンセプトであり、
    ウェブインスタレーションはそのプロトコルなのです。

    またその情報の究極として「証明」を用いたものが、
    「デリバティブアート宣言」になります。


    私たちの「現実」のこの様な変化を原理に、
    現在の、
    特に今日本で起こっている混乱を理解することができます。
    やはりフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの、
    「大きな物語」の終焉と同じくして、
    国家や世界という「大きな総意」を形成できない時代なのです。

    それは国家や世界、
    もっと身近で言えば会社や団体など、
    「自己拡張」としての「組織」を必要としなくなった。

    それは人間一人ではできない、
    「理想」や「創造」を実現するために、
    ある種「個人」の「自己拡張」として、
    「組織」に属することにより、
    「個人」では実現できない、
    「個人」の「理想」や「創造」を実現できた。

    しかし特にインターネット登場で、
    「組織」に属することなく、
    「個人」が「個人」のままで、
    インターネットでそれらを実現する事が、
    可能になったのである。

    つまり「自己拡張」として「組織」は必要なくなり、
    「自己拡張」として、
    「組織」から「インターネット」へと、
    「自己拡張」のプロトコルが変化したのである。


    まさにこの様な現象が表出しているのが「今」であり、
    新型コロナウイルス感染症の混乱であり、
    2020年東京オリンピックの混乱である。

    これはテクノロジーの発達と、
    インターネットの広がりで、
    誰もが情報の発信者であり受信者になり、
    また「自己拡張」のプロトコルが、
    「組織」から「インターネット」への変化とも相まって、
    大量の情報が溢れ、
    情報の量産化、多様化と同じくして、
    そもそも人間の現実が多様であり、
    それぞれの人間がそれぞれの世界を生きている事への自覚、
    その様な認知が、
    「一つ世界」という幻想から人々を目覚めさせ、
    前述ではネガティブな意味で、
    「分断」や「分裂」と記述したが、
    ポジティブな意味では、
    「分散化」として「今」同時に表出している。

    その主たるものが「ブロックチェーン」と言える。

    そのブロックチェーン技術でも、
    パブリックチェーンとコンソーシアムチェーンに分類される。
    特にパブリックチェーンでのコンセプトやヴィジョンは、

    DAO 自律分散型組織 Decentralized Autonomous Organization

    という未来を定義している。


    私たち人間の生存戦略は、
    家族を作り、社会を作り、国家を作り、世界を作り。
    自己拡張を組織を通じて行い、
    また人間の生存戦略として、
    組織を肥大化させてきた。

    しかし現在、
    世界という肥大化が行き着いた場所には、
    様々な乗り越えられない「差」によって、
    争いや軋轢によって行き詰まりを迎えている。

    肥大化の末路から、
    まさに分散化、
    分散型のそれぞれの世界が始まろうとしている。

    それは「分断」や「分裂」とは違う、
    「分散」という新しい在り方、

    DAO 自律分散型組織 Decentralized Autonomous Organization

    として、
    インターネット上に新たな「現実世界」として登場し、
    公としてのプロトコルによって、
    それぞれの人間が分散的な存在として、
    争いや軋轢を生まない世界が実現すると、
    私は確信しています。



    美学者母

    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2021/07/23(金) 00:40:00|
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    代替性と非代替性の時代(デジタルアウラ)

    アートにおけるアウラとアウラの消滅、複製時代におけるコピーとオリジナル、そしてデジタル時代の代替性と非代替性としてのデジタルアウラ。(ブロックチェーン技術の非代替性トークン、NFT . Non Fungible Token:ノンファンジブル・トークン。)


    お久しぶり〜ふ!!!
    という事で美学者母です。

    さて今日現在もまだコロナな収束には至っていない、
    ワクチンは開発され、
    今後ワクチン接種が一般にも広がってくるであろう。
    しかしまだまだコロナ収束へは時間がかかりそうで、
    2021年東京オリンピックには間に合いそうもないし、
    2021年中には平常には戻れないだろう。

    そしてそんな世の中でも、
    世界はどんどんとダイナミックな変化を続けている。
    私の場合は特別に、
    コロナが流行してからの方が、
    人と接する機会が増えたのだが、
    色々な話を聞いていると、
    日本はとてもやばい状況になっている実感が、
    手に取るように理解できた。

    今回のコロナで、
    かなり仕事を無くした人々の実態が見えた、
    また元々の仕事から転職を余儀なくされている。

    そしてその様な状態に陥っている人間のほとんどは、
    現在までのダイナミックな世界の変革に乗り遅れた人々である。
    人々というよりも、
    日本という国家そのものが、
    その様なダイナミックな変化に乗れていない。
    そもそも観えてもいないし理解もしていない。

    これはもはや日本にとって致命的である。


    今回は、
    現在世界の様々な所で、
    どの様な変革が起こり世界はどう変わろうとしているのか、
    その様な言説をしていきたい。
    その上で私はアートが専門なので、
    アートのコンテクストの中で言説するが、
    この様な旧体制と現状のキャズムは、
    アートに限らず、
    現状の日本の没落の原理として存在する。

    まだ多くの日本人は「近代」を生きているのである。
    しかしもうそれは許されないのであり、
    それにアジャストしていかなければ、
    ただ淘汰される事を待つだけである。

    今回は「変わりたい」。
    「変わろうとする貴方」へのアドバイスとなる。



    まずアートの話として
    時空が結びついた刹那的体験として、
    その価値を担保している。
    つまり現在の美術館などで行われる展覧会や、
    ギャラリーや画廊といったものは、
    その唯一絶対性に出会う時空であり、
    そこにある刹那的体験こそがアートの原理である。
    当初それは貴族などが、
    自宅などで独占されていたものを、
    解放し民主化されたものが、
    現在の美術館システムである。

    しかし時代が進み、
    テクノロジーが進歩し、
    写真などの複製技術が生まれた事で、
    そもそものオリジナルという問題が、
    アート界に産まれてきたのである。

    この様な問題の上で、
    そもそもアートの価値というものを、
    問い直さなければならなくなったわけである。
    そして複製技術以前と以後では、
    アートそのもの捉え方を変えなくてはならなくなった。
    それがドイツ思想家のヴォルター・ベンヤミンの、
    「アウラ」と「アウラの消滅」である。

    そもそもアートの価値を担保してきたのは、
    時間と空間、そしてそこでの一回性の刹那的体験である。
    つまりその様な体験こそ「アウラ」である
    しかし複製技術が産まれた事によって、
    価値担保できなくなった。
    それが「アウラの消滅」である。


    そして「アウラの消滅」以後、
    アートは新たな次元に移ったわけであるが、
    常に「オリジナル」と「コピー」というものが、
    アートにおいて問題とされてきている。
    まさにこの事は、
    いかに「近代」が大量生産大量消費社会であり、
    またその人間としての概念と言える「大衆」を産み出し、
    「アート」の「オリジナル」や「コピー」を問題としながらも、
    私たち人間の、
    「個人性」と「大衆性」が問題にされてきた、
    その様に捉えることもできる。

    まさにこの様な「世界観」が「近代」である。

    そして現在の状況に言説を移していくのだが、
    現在のアート、
    特に日本のアートの「中の人」たちは、
    実はこの「近代」にも到達せずに、
    まだ「アウラ」を追求し活動している人間ばかりである。
    私はその現実を目の当たりにしている。
    これはアート界に限らず、
    世間一般的な感度とそう変わりない。
    これは日本において危機的状況である。


    そして現在のデジタル時代、
    つまり写真の世界で言えば、
    フィルムからデジタルデータに変わったわけである。
    その上で1990年代に「インターネット」が普及し、
    私たちは「ディスプレイ」越しに、
    無限の情報を得る環境を手に入れたのである。

    それはもはや、
    「オリジナル」と「コピー」という概念でさえ、
    超越したものが現れたと言える。
    なぜならそもそも、
    私たちがインターネットにアクセスし、
    そのディスプレイに映し出される、
    様々な情報は、

    「オリジナル」なのか?

    「コピー」なのか?


    もう現在において、
    その様な問いは愚問なのである。
    この様な「世界」に、
    いち早く気づいた日本のアーティストとして、

    「カオスラウンジ」は早かった。

    私は2010年5月に「ウェブアート宣言」を宣言しているが、
    カオスラウンジは2010年4月だったと記憶しているが、
    「カオスラウンジ宣言」を宣言している。
    同時期に近しいコンテクストを作品化しているわけだが、
    カオスラウンジはアート界で名を馳せたが、
    私は2021年にしてまだ無名であるwww

    しかし2020年にセクハラ問題を起こし、
    表舞台から姿を消した。
    有名になることが価値であるという時代は、
    もう終わったのだろう。


    なぜなら「有名」であるという事は、
    それが「唯一性」や「絶対性」を有しているからである。
    その様な意味で言えば、
    カオスラウンジは近代のアーティストであったのかもしれない。


    ここからは、
    現在の世界の状況である、


    「代替性と非代替性の時代」


    この事について言説していく事にする。

    ではこの「インターネット時代」において、
    私たちが観ているディスプレイに表示される、
    様々な情報を、
    「オリジナル」や「コピー」ではなく、
    どの様に理解すればいいのであろうか。


    その答えがまさに、
    「代替性」と「非代替性」という、
    捉え方である。

    そもそも私たちは近代まで、
    その「もの」そのものに、
    絶対的存在というものを感じ、
    そしてそれを自明としてきたのである。
    つまりそれは逆説的に、
    対象としての「存在」が、
    「人間以前性」を持っているのである。
    その様な解釈なのだ。

    しかし「認知」の研究が進んでいる現在、
    そもそも「存在」であるとか、
    そこにそれが「有る」とか「無い」というのは、
    「人間以前性」には存在しないので有る。

    つまりそこに「存在」するというのは、
    「人間」の対象に「存在」するのであって、
    「存在」だけが「絶対的存在」として、
    「存在」できないという事である。

    つまり「絶対存在」は存在できないのである。


    その様な前提から、
    「オリジナル」や「コピー」そのものが、
    「存在」できないのである。
    なぜなら「オリジナル」とは、
    「もの」としての「絶対存在」であり、
    「コピー」はその複製品であるからだ。

    これは西洋キリスト教的な、
    「一神教」のコンテクストである。


    そしてそれは、
    現在においての日本や、
    西洋を中心とした「グローバリズム」、
    その様な「中央集権」として集約される。

    それに対して現在は、
    「近代」の終わりと同じくして、
    「中央集権」的な世界も終わり、

    「分散型」の世界へと急速に向かっている。

    その「分散型」の創発として、
    「インターネット」は登場したのである。
    そもそもインターネットは、
    「中央」の無い、
    「分散型ネットワーク」である。

    私はインターネット黎明期の1998年ごろから、
    インターネットを活用しており、
    アート活動もインターネットを活動の場としている。
    また2010年には「ウェブアート宣言」を宣言している。

    また私は2017年5月から、
    仮想通貨(暗号資産)のトレードを始めて、
    2017年12月の仮想通貨バブルを経験している。
    また現在も暗号資産トレーダーである。

    つまり私はインターネットで20年以上活動し、
    いち早く「分散型」の世界の訪れを捉え、
    ブロックチェーンの重要性を考えたのである。

    まさにこれから爆発的に広がるであろう、
    「ブロックチェーン技術」であり、
    ビットコインなどを中心に、
    それを認知する人々もかなり広がった。


    この様な分散型世界を実現する、
    「ブロックチェーン」の中でも、
    現在重要な応用技術として、

    NFT . Non Fungible Token:ノンファンジブル・トークン。

    がある。

    ファンジブルとは代替性であり、
    ノンファンジブルとは非代替性である。


    前述した基本的な話では、
    ディスプレイに表示される、
    インターネット世界の情報は、
    「オリジナル」と「コピー」の関係では無い、
    その様に述べたわけである。

    それはそもそも「オリジナル」というものは、
    存在しないからである。
    それは「絶対存在」が存在しないからである。

    ではディスプレイに表示された情報はどう捉えるのか、
    それは「代替」された「現象」である。
    それを理解するには、
    そもそも「存在」とは、
    その「現象」を「認知」する「人間」に依存する。

    このことを理解できなくてはならない。

    「認知」的問題として、
    人間は知っている事しか「観えない」、
    人間は知っている事しか「理解できない」わけです。

    この事をもう少し突き詰めると、
    逆説的に私たちは、
    「私」が「知っている事」、
    でしか「もの」を理解する事ができないのである。

    つまり「人間への情報伝達の不完全性」が、
    理解できます。


    この様な前提条件をもとにすると、
    インターネット世界にある情報は、
    デジタルデータとして、
    つまり二進法の(有る)と(無い)という、
    人間にとって一番単純な「現象」なのです。
    つまりその時点では、
    ファンジブル(代替性)を有しています。

    しかしディスプレイに表示され、
    それを認知する「私」との関係性により、
    そのファンジブル(代替性)のデータは、
    ノンファンジブル(非代替性)の認知をして、
    それを「認知する私」という体験をするわけです。

    これらを理解した上で、
    NFT . Non Fungible Token:ノンファンジブル・トークンとは、
    つまり、
    インターネット上の応用技術として、
    ブロックチェーンを使い、
    さらにその情報に、
    ノンファンジブル(非代替性)の性質を持たせる。
    つまり、
    NFT . Non Fungible Token:ノンファンジブル・トークンは、
    インターネット世界の応用技術である、
    ブロックチェーン上では、
    ノンファンジブル(非代替性)としての性質をもつが、
    ディスプレイに表示され、
    それを認知する「私」との関係性により、
    そのノンファンジブル(非代替性)のデータは、
    ファンジブル(代替性)の認知をして、
    ノンファンジブル(非代替性)という体験をする。


    ここはかなり複雑な言説になっていますが、
    物理世界のファンジブル(代替性)とノンファンジブル(非代替性)、
    NFTのファンジブル(代替性)とノンファンジブル(非代替性)、
    これが「逆相関」の関係になるという真理です。

    ではその真理とはなんでしょうか、
    それは、
    私たち人間は、


    「強烈な思い込みの世界に生きている」


    その様な真理です。

    私は2017年に仮想通貨のフィールドワークをし、
    「価値の創造」の研究をしました。

    このアナロジーな「開いた系」に、
    「意味」や「概念」を持つ、
    それはデジタルな「閉じた系」を生きるのが、
    「人間」です。

    そしてその「閉じた系」をアップデートしていく事が、
    「自ら考える」という事であり、
    「生きる」という事なのです。


    私の考えでは、
    これまでの物理世界での、
    「人間の強烈な思い込み」以上に、
    インターネット世界での、
    「人間の強烈な思い込み」は、
    さらにその思い込み強度が強化されます。

    さらにその力は強力であり、
    現状でもその様な自ら考えずに、
    「流れてくる情報」に、
    帰依する人々が溢れかえっています。

    そしてこの事を理解できている人間と、
    理解できていない人間に、
    完全な格差が産まれ、
    「二極化」が始まっています。


    この「現在の世界」を生き残るには、
    「代替性」と「非代替性」を理解する事が必要です。
    つまり「人間の強烈な思い込み」です。

    「代替できる」、
    「代替できない」、

    この問題は、
    もはや私たち自身の思考の問題であり、
    その思考を持つアーキテクチャとの、
    関係性の問題、
    相対性の問題、

    つまり「私」と「対象」との関係性に「心」があるのです。


    美学者母

    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2021/03/19(金) 21:14:36|
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    美学者母(ART Hacker)アートハッカー

    Author:美学者母(ART Hacker)アートハッカー
    美学者母(ART Hacker)アートハッカー、
    (先端芸術・先端美術・先端アート)最先端アート、
    ソーシャリー・エンゲイジド・アート(Socially Engaged Art)。

    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

    SELECT ART SHOP マクロマティック
    http://machromatic.shop-pro.jp/

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    http://www.aesthetics.jp/

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    skype名 machromatic




    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





    ■■ machromaticホームページ ■■

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