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    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    実の父親が自宅で孤独死し、遺体が腐敗して運ばれた。腐敗した後の遺体の体液を一緒に掃除してくれた妻に愛を体験した。(本当に貴方の周りに愛がありますか?)

    ウィトゲンシュタイン
    「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」

    去年実の姉を亡くしまして、
    「生きる」とか「死ぬ」と言うことを、
    改めて考えさせられたわけですが、
    先日、実の父が亡くなりました。

    実の母はかなり前に亡くしましたので、
    家族で生き残っているのは僕だけ。。。

    しかも母親と父親は10年くらい前に離婚し、
    私は母親の面倒をみるということで、
    母親が亡くなるまで面倒をみて、
    父親とは一切連絡をとりませんでした。

    しかしここ数年は、
    母親が亡くなった事もあり、
    年に数回は会う機会を作り、
    今年四月には、
    結婚する事を報告するため、
    会いに行っていました。

    先日急に警察の刑事から電話があり、
    父親が亡くなっているという連絡でした。
    死後一週間程でしたが、
    今年の5月はとても蒸し暑くて、
    遺体も腐敗が進んでいたようです。

    後日身元確認のため、
    刑事が父親の写真を持って、
    私の所へ訪れましたが、
    写真を観ても、
    もはや父親だとは判別できませんでした。

    私は母親の離婚と共に、
    母親の方へついていったので、
    後の事はうちの本家がするのだと、
    勝手に考えていました、
    家の墓も本家が管理しているし、
    父親もその本家の墓に入ると、
    自分で言っていました。

    しかし結局、
    警察の刑事から電話があり、
    本家の方は拒否しているという事で、
    私が引き受けることにしました。

    そしてここ数日、
    父親の件で走り回っていたわけですが、
    当然亡くなった自宅の片付けもしなければ、
    なりません。

    正直入るのが怖かったです。
    父親の遺体が腐敗して見つかった、
    果たしてどんな状態なのか、
    妻である哲学者大和と共に、
    父親の自宅へ向かいました。

    皆様はどうでしょうか?
    人間が腐敗した臭いというのを、
    嗅いだことがあるでしょうか?
    玄関先からすでに独特の匂いがして、
    もう嫌な予感しかしませんでした。

    入ってみると、
    父親は急に倒れたようで、
    父親が倒れた場所は、
    黒い体液が沢山こびりついていました。

    その後ご近所にも臭いが迷惑になるので、
    私と妻で、
    床の絨毯をめくると、
    ウジ虫が湧いていて、
    それらを自分たちで簡単に処理しました。

    その時強く思ったんですね。

    こんな事、
    僕は実の息子だからできるけれど、
    誰がこんな事手伝ってくれるのかって。
    私は妻の哲学者大和の、
    本当にピュアな「愛」を、
    感じずにはいられませんでした。

    あんな悲惨な状況を、
    何も言わずに手伝ってくれる。
    私はこの事は一生忘れないでしょう。

    こんな事は、
    実は一度だけではありません。
    実の母が死んだ時に、
    僕の一番の親友が、
    母親の通夜で一晩僕一人でいる所を、
    酒を持って、
    母親の遺体、僕、友人、
    三人で過ごしました。

    僕はその友人の愛を強く感じました。

    僕はこの様な性格なので、
    友人知人がほとんどいません。
    というか、
    中途半端な友人知人なんていらないし、
    本当に「愛」のある関係を築ける、
    そんな人間だけと関係を維持したいのです。

    私も生きていて色々なことがありますが、
    とても一人で生きていけるほど、
    強い人間ではありません。

    今は、
    心より愛している妻、
    心より愛している親友、
    そしてその様な愛のある人達は、
    私が本当に苦しい時、
    困っている時に、
    一番近くで僕を助けてくれる。

    「本当にありがとう」

    今回の父親の亡くなった件でも、
    僕の妻と共に親友が助けてくれました。

    「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」

    父親の悲惨な死を目の当たりにし、
    この言葉が私をさらに成長させてくれます。

    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/06/02(日) 18:12:10|
    2. 日常
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    言語のファインアート(美術)としての可能性(対象の独立した立脚による芸術の基底として言語表現は可能か?)

    gengo.png


    まず今回も、
    【言語のファインアート(美術)としての可能性】
    という図を最初にご覧下さい。

    その上で、
    私は言語というものを、
    ファインアート(美術)として、
    捉えることができるのだという前提で、
    この様にアーティストでありながら、
    日々言葉を紡いでいるわけです。

    私がなぜ「言語」というものが、
    ファインアート(美術)として、
    捉えることができると考える様になったのか、
    それは2010年に発表した、
    「ウェブアート宣言」に遡らなければ、
    ならないわけです。

    この宣言では、
    ウェブインスタレーションという、
    私が創り出した全く新しい概念を元に、
    インターネット上に浮遊する情報が、
    カオスさを持ち、
    ディスプレイ越しに、
    新たな秩序として表層している。
    その様な事を宣言したものです。

    それから私は、
    言語そのものに、
    芸術性を見い出し、
    言語そのものを造形として捉える様になりました。

    そしてウェブアート宣言から10年が経過し、
    そろそろもう少し踏み込んだ形で、
    一体言語がどの様に造形として理解できるのか、
    その部分を解説していきたいと思います。

    まず芸術の大前提として、
    芸術は絶対的に何かの投影であってはならない、
    これは簡単な意味での投影ではなく、
    次に話す事を体験するための前提条件として、
    その投影の不可能性は意味をなすわけです。
    それは芸術における絶対的な体験、
    すなわち「芸術体験」を体験する対象は、
    何かの投影では無く、
    それ自体による体験であるから、
    何かを投影したものである事が、
    不可能である。
    その様な上で、
    芸術は絶対的に何かの投影ではあり得ない、
    というわけです。

    すなわち、
    それ自体が私たちに、
    「芸術体験」を体験させる対象であり、
    何かの投影では無いという事です。

    まずこの様な理解の上から、
    「言語」というものが、
    「美術」になりえないのだという、
    ある種の「自明性」を考えていきたいのです。

    私たちが言語を考える上での、
    メディアというものを想像すると、
    本や雑誌、新聞というのが、
    前時代的な自明性を持っています。
    そしてそれらを書いている人たちが、
    そのメディアの向こう側に、
    必ず対象として立脚しているのです。
    それは言語を用いて表現する、
    それらの表現活動が、
    ある一定の著名人や有名人など、
    限られた人間によって行われていた、
    その事実が浮かび上がってくるわけです。

    つまりここから何が理解できるかというと、
    前時代では言語というのは、
    著名人や有名人の「像」として、
    言語は私たちのメディアに、
    表層していたことが理解できるのです。

    つまりこれは同時に、
    前時代において言語は、
    「言語」=「像」
    としての自明性を持っていたことが理解できます。

    そして先にも述べましたが、
    「芸術」とは「投影」であってはならない、
    つまり「像」ではありえないのであって、
    そこからも「言語」が「美術」として、
    成立しない事も理解できるのです。

    では私はここまで理解しているのに、
    なぜ「言語がファインアート(美術)」、
    として捉えることができると言うのでしょうか。
    それは前述の通り、
    言語が表層されるメディアによって、
    「言語がファインアート(美術)」になる、
    それを予見することになります。
    前時代での言語のメディアは紙媒体で、
    本や雑誌、新聞などごく限られた人間しか、
    言語表現を行うことができなかった。

    では現在はどうでしょうか?

    皆さんが私のこの言説を読んでいる様に、
    誰もが言語を用いて、
    言語表現を行うことが可能です。

    私は10年前に「ウェブアート宣言」を宣言し、
    ウェブインスタレーションという、
    新しい概念を定義した動機は、
    この言語というものの大きな変化に気づいた、
    からなのです。


    gengo2.png



    それが理解できるのが、
    【ディスプレイ上の言語と
    紙媒体の本や雑誌上の言語における
    像と対象の独立した立脚の違い】の図です。

    前時代における言語表現のメディアとしての、
    紙媒体は固有名の像として、
    言語が表層されていました。
    しかし現在における言語表現のメディア、
    つまりインターネット上のウェブ、
    さらに言うと、
    パソコン画面のウェブブラウザ、
    もっと言うと、
    貴方の目の前にあるディスプレイ、
    ディスプレイそのものが、
    一つのゲシュタルトとして、
    私たちの眼前に、
    言語が独立し立脚しているのです。

    この部分をもう少し深堀すると、
    このディスプレイは、
    有名人、著名人、匿名、無名、
    具体的には、
    この私の文章も、
    アメリカの大統領の言語も、
    天皇陛下の言語も、
    日本の総理大臣の言語も、
    どこの誰かわからない誰かの言語も、
    同じこのディスプレイに並列するのです。

    そしてもはや私たちは、
    誰の言語なのかということに意味を、
    持たなくなっているのです。

    それは良い意味でも悪い意味でも、
    現在表層されていますが、
    まさに私たちは、

    「像」としての「言語」ではなく、
    「言語」そのものを「対象」にしている。

    それがまさに浮き彫りになるわけです。

    そして芸術の基底を改めて考えてみましょう。
    「芸術」は絶対的に「像」ではあり得ないのです、
    その上でこの様に、
    インターネットに浮遊する「言語」は、
    「言語」そのものが「対象」になっています。

    つまり、
    「インターネット上の言語」は、
    ファインアート(美術)として可能である。
    私はその様に考えているのです。
    だからこそ、
    真贋を見抜く「美学」が必須となり、
    言語に「美が宿り」、
    ファインアート(美術)としての「言語」が、
    ついに私たちの眼の前に、

    対象の独立した立脚による芸術の基底として、
    立ち現れてくるのです。

    とここまでです。
    なかなか難解な文章になってしまった?
    出来るだけ理解してもらえる様に、
    これでも頑張りましたwww

    ということで、
    10年前に発表した、
    「ウェブアート宣言」
    「ウェブインスタレーション」
    それらの簡単な解説をしてみました!!!

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/24(金) 20:41:39|
    2. mama (美学者母) ブログ
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    心理カウンセリング(心屋仁之助)とか自己啓発とか、各種セミナーでのトートロジーの悪用と洗脳の関係について(P またはPではない)

    最近YouTubeを観ていて、
    たまたまある動画が目についた。
    心屋仁之助という方の動画で、
    「一問一答」という「公開カウンセリング」??
    私の知ってる方で、
    この心屋に心酔されている方がおられるので、
    その名前は知っていたのだが、
    一度位話を聞いてみるのも面白いなと、
    動画を我慢してみてみたのですが、
    感想はまぁこういうのに皆んな、
    ハマッてしまうのよねぇ〜って感じwww

    まず心屋に限らず、
    例えば投資のセミナーでも、
    自己啓発のセミナーでも、
    だいたい同じ構造になってるわけです。
    それが「トートロジー」で、
    例えば、

    「Pまたは(Pではない)」

    この文はいわゆる、
    「トートロジー」になっている文なんです。
    それはどういう事かというと、
    Pが真であるとすると、
    Pではないという偽、
    それを両方含んでいる文である、
    それは真偽を両方含んでいる、
    それは「論理学」では、
    ナンセンスであり、
    論理では無いとなるわけです。
    何故ならば、
    その文は全てを言ってしまって、
    真か偽を言えていない、
    論理において、
    真である事(有意味)、
    偽である事(有意味)、
    真偽全てである事(無意味)、
    つまりトートロジーは、
    ナンセンスであり無意味であるのです。

    この様なトートロジーを使った、
    無意味な論法はあらゆる所で使われており、
    政治家の答弁、占い師の占いなど、
    無意味な論法に納得している人々が多数います。

    例えば総理大臣の安倍晋三、
    占術家の細木数子、
    霊能者の宜保愛子、
    などはトートロジーを多用しています。

    例えば皆さんは反論のできない論理、
    というものをどう考えるでしょうか?
    論理的に完璧で、
    論理を壊すことができない論理です。
    それは「凄い!!!」となるでしょうか?
    しかし、
    そもそもそれは「論理」としておかしいのです。
    例えば科学ではそれを「反証可能性」と言いますが、
    論理とは常に反論される余地がある、
    それこそが論理であり、
    論理に反論する余地がないものは、
    そもそも「論理」ではないのです。

    つまり「トートロジー」とは、
    真偽を両方含んでいるために、
    「反論」する余地がないもの、
    ということなのです。

    私たちは、
    この様な「トートロジー」に、
    ある種「神秘性」を抱きます。
    言語に隠されたトートロジーが、
    それを発言した人間に、
    ある種の「全知全能」を投影してしまうのです。
    その意味でトートロジーは、
    人間を惑わす、
    さらに洗脳する方法論として、
    非常に有効であり、
    逆説的に非常に危険であると言えます。

    実例として、
    例えば占術家の細木数子が多用していた言葉、
    「あなた地獄へ落ちるわよ!!!でも助かります!!!」
    これは完全に「真偽」を含んだ、
    トートロジーになっているわけです。
    「地獄へ落ちる」という真と、
    助かるという、
    「地獄へ落ちない」という偽が、
    一つの文の中に含まれています。

    次に私が冒頭に話した、
    心屋仁之助の公開カウンセリングでのトートロジー、
    というかこの様な界隈のトートロジーは、
    全てこの様な構造を持っていると思います。

    「過去の自分」→「今の自分」→「変化した自分」

    ロジックやスキームはこうです。
    自分がいる(お金に困っている)
    変化した自分(お金に困っていない)
    自分も変化した自分も自分である

    「自分または(自分ではない)」(トートロジー)
    ここでいう(自分ではない)は、
    変化した自分になります。

    そして最終的に心屋仁之助はこう言います。

    「何もしなくていい」

    つまり、
    「P「何かしても」または(P「何かしなくても」)」
    「貴方」である。

    「Pまたは(Pではない)」となり、
    トートロジーとなるわけです。

    ご覧の通りトートロジーは無意味であり、
    ナンセンスで何も言えていない事に気づきます。

    しかし人間はこの言語のレトリックを通して、
    その発言した人間に、
    「全知全能」を抱くわけです。

    この様な状態は仏教的に、
    空観、中観、仮観、

    この中から読み取れます。
    このトートロジーの状態は、
    空観の状態を借用した状態であり、
    人間にとっては「無意味」な状態です。

    例えばある菩薩は悟りを得るために、
    山奥の洞窟の中で何十年も座禅をし、
    何百年も経ってから、
    座禅をしたままの白骨化した遺体が、
    洞窟の中で発見された、
    その様な事があったわけですが、
    これは人間として、
    「有意味」でしょうか「無意味」でしょうか?
    私は人間として「無意味」であると確信します。

    人間らしさとは「有意味」にあるのではないでしょうか、
    またその「有意味」だけに真理を求めるのも危険ですが、
    それを仏教では仮観というわけですが、
    「中観」すなわち、
    「有意味」も「無意味」も並列的に思考する。
    それが人間としての真理だと考えています。

    つまり人間は思考をベースとした「論理」によって、
    人間らしさを獲得しているのであって、
    「論理」ではない「トートロジー」は、
    人間にとって「無意味」なのです。
    しかし人間は、
    その「論理」ではない「トートロジー」という、
    ある種言語的幻想によって、
    それを発言した人間に「全知全能」を観るのです。

    今回たまたま、
    YouTubeで心屋仁之助の動画を観て、
    典型的なトートロジーを話していたので、
    人間はトートロジーに盲目だなぁ〜と、
    改めて思った次第です。

    一度このトートロジーについて、
    皆さまも考えてみてはどうでしょうか。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/21(火) 18:48:17|
    2. 美学・哲学
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    就職面接1000回以上受けた芸術家②

    就職面接1000回以上受けた芸術家②



    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/19(日) 23:10:39|
    2. 日常
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    神秘とは何か?天才とは何か?日本の芸術や美術が知を放棄しているワケ(知の放棄こそが権威を生み出す仕掛けである)

    shinpi.png


    どうもぉ美学者母です!!!
    まず何より私が作成した図表を見てください。
    この図は、
    日本の芸術や美術が、
    いかに「知」というものを放棄しているのか、
    それを明確化する為の図表です。

    その上で、
    一般的に日本人が信じる、
    「芸術や美術」が知を放棄している事を、
    論じると共に、
    「神秘」や「天才」という、
    ある種日本人が大好きなキーワードを、
    同時に論じていく試みです。

    まず世界的にスタンダードな、
    アートの捉え方として、
    図表の「本質的アート」を参照ください。
    アートというものはあくまで「知」をベースに、
    それは私たちの「論理的」「演繹的」、
    その様な「知」を最大限。
    知り得るものを知り得た上に存在する。
    その様な事をこの図表は表しています。

    そして、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験こそが「芸術であり美術」なのです。

    しかし図表でも理解できる通り、
    一般的な日本人や日本のアーティスト、
    そのほとんどは、
    「芸術や美術」には、
    「知」は必要では無いと考えているわけです。
    それは、
    日本の芸大美大の教育を見れば明らかです。
    つまり日本の「芸術や美術」は、
    「知を放棄」しているのです。
    それが図表で観る、
    「本質的アート」と「日本的芸術美術」、
    その対比となるわけです。

    僕は本当に日本の美術や芸術を、
    笑ってしまうのは、
    日本の芸術美術関係者のほとんどが、
    芸術や美術は「感性」や「感情」、
    そんな「言葉」や「概念」、
    では表現できないものを表現するのだ、
    と口を揃えていうのですwww
    それが図表で表した通りです。

    それは何を表しているのか、
    見ての通り、
    「知を放棄」する事で、
    「神秘」の領域は異常に低下します。
    まさに日本の「芸術美術」の現状は、
    これに表された通りであり、
    「日本的芸術美術」では「神秘」、
    の領域が、
    「本質的アート」からみれば、
    「知の領域」に他なりません。

    私はこの「神秘」の考え方そのものが、
    「日本人のアートの勘違い」の原理なのだと、
    研究を重ねてきて理解しました。

    そしてこの神秘理論をもとに、
    「アウトサイダーアート」や、
    いわゆる「天才」というものも、
    定義づける事が出来るのです。
    それは図表を見ていただければ理解できます。

    それはアウトサイダーには、
    「知」を超えた「飛躍」というものが、
    そもそものベースとなっています。
    それがまさに、
    「知」をベースとせず、
    論理的に演繹的根拠無く突如現れる、
    それを私たちが「神秘」として認知する、
    それこそが「アウトサイダー」の論理です。

    そして論理的には、
    「アウトサイダー」と「天才」は、
    全く同じ構造ですが、
    その「飛躍」の程度によって、
    それは違ってきます。
    それが図表で観る様に、
    「天才」が生み出す「飛躍」は、
    「知」をベースにした神秘と、
    同じ「神秘」を「共有」しているところです。

    つまり「知」をベースにした
    先述した神秘、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験を「天才」は「飛躍」によって、
    実現してしまうのです。

    この様な事から何が理解できるのかというと、
    日本人は「芸術美術」に対して、
    「天才願望」が自明なのです。
    しかし私は知り得る限り、
    例えばマルセル・デュシャン、
    ピカソ、マティス、
    色々な歴史上、
    そして同時代に様々な作家や作品を、
    観て分析していますが、
    「天才」である人間を観た事がありません。

    しかしある部分で、
    「アート」=「天才」という物語を、
    私たちに与えてくれるのが、
    様式や運動としての「印象派」であり、
    その物語の登場人物「ゴッホ」であるのです。
    しかしそもそも、
    「印象派」自体が「知の探求」としての、
    様式や運動であるわけで、
    その日本人の物語は幻想である事が自明です。

    この様な論理的な考察から言えることは、
    そもそも「天才」などいない、
    という非常に当たり前の答えなわけです。

    しかし日本の芸術美術関係者は、
    この当たり前の現実を受け入れたく無いのです。
    それはその事自体が、
    「権威」を崩壊させてしまうからです。

    権威とは幻想です。
    権威の本質とは「天才」の構造なのです。
    「天才」に観る「神秘」こそが「権威」なのです。

    私がここで、
    「アート」における、
    「天才」や「神秘」、
    その上での「権威」を否定しても、
    日本の芸術美術関係者は受け入れないでしょう。

    それを受け入れてしまえば、
    日本の芸術美術の根幹が壊れてしまいます。
    芸大美大の教育まで根本から変えなければならない、
    これこそが日本の、
    「最大最後のブラックボックス」なのです。

    私はこの言説を日本の芸術美術関係者にむけて、
    書いているのではありません、
    むしろ芸術美術に関係の無い人に、
    いかに日本の芸術美術関係者が馬鹿なのか、
    理解してもらいたいのです。

    日本で言われる、
    芸術美術の「神秘性」は嘘であり、
    「知」をベースにした、
    「神秘」こそ、
    本質的なアートである。

    その事が、
    「アート」であるという自明が、
    当たり前の日本になるよう、
    これからも活動してまいります。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/16(木) 00:14:35|
    2. 美学・哲学
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    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

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    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





    ■■ machromaticホームページ ■■

    PC用  http://www.machromatic.net

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