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    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    グラフィティ論(日本でのBanksy作品の違法性を巡って、創造者の原理を探る。)

    えっと、
    美学者母です!!!
    先ほど、
    SNSで、
    Banksy作と思われるネズミの騒動と、
    日本の入管局における難民問題を併せて描いた短編映画、『INVISIBLE -A Rat and Refugees』
    をvimeoにて観させていただきました。
    結局の所、
    banksyというコンテクストを使いながら、
    メインでは入管の問題を取り扱いたい映像、
    その様なものです。
    映像から理解できるのは、
    あまりにも日本の難民問題と、
    banksyの活動を無理やり繋げよう、
    その様な意図が強すぎる。
    またその接続が荒すぎる。
    さらに映像作品として稚拙である。
    まぁ今回はグラフィティ論ですので、
    日本の入管の問題は様々な議論にお任せします。
    私は1999年に大阪でグラフィティ活動を、
    実際に大阪、特に泉州やアメリカ村、
    大阪ミナミを中心に活動していました。
    さらに現在はアート活動をしている。
    その様な立場から、
    banksyや、
    この映像で問題にしている。
    歩道や歩道橋などに、
    「FREE REFUGEES」(難民を解放せよ)、
    「REFUGEES WELCOME」(難民を歓迎する)、
    という落書きなど合わせて、
    グラフィティ論として言説していきます。
    まずグラフィティについては、
    かなり昔に詳しく書いているものが、
    ありますのでそちらをご覧ください。
    「大阪・泉州のグラフィティ」
    https://www.machromatic.net/s-graf.html

    簡単に説明すれば、
    アメリカのニューヨークで始まり、
    ヒップホップカルチャーの、
    一つの要素とされています。
    基本的にはグラフィティは、
    ヴァンダリズムをベースとしたもので、
    体制に対する破壊行為として成立し、
    大抵の国では違法行為です。
    その上で、
    グラフィティライターは、
    違法性を理解した上で、
    その活動を行うわけです。
    私が活動していた1999年の日本では、
    イリーガルに活動しているものが、
    グラフィティライターである。
    逆にそれをリーガルで活動している人間、
    それはグラフィティライターでは無い、
    その様な事は自明としてありました。
    まぁそもそも、
    グラフィティの定義上、
    合法的である事自体が、
    グラフィティでないことを、
    同時に示すわけです。
    それはグラフィティとは、
    その描かれたものの「意味」では無く、
    その活動全体、
    つまり「違法性」も含めて、
    初めてグラフィティである。
    その様な背景があります。
    その上で言えば、
    家でグラフィティ調のものを、
    いくら描いていても、
    グラフィティライターでは無い、
    行動が伴って初めて、
    グラフィティであり、
    グラフィティライターであるわけです。
    では冒頭の映像作品での、
    banksyの東京でのグラフィティの問題、
    さらに日本の入管に対する、
    落書きの問題。
    この二つの問題は、
    次元の違う問題であるのですが、
    この映像作品では並列に描き、
    観る人々に対して、
    勘違いを起こさせる危険がある。
    その様に感じたわけです。
    まずbanksyが、
    そもそもグラフィティライターなのか?
    というそもそも論があります。
    結論から言うと、
    グラフィティでは無いと言えます。
    むしろグラフィティというものに対し、
    アートという構造を持ち込む事で、
    新しい価値観を提供した先駆者と言えます。
    例えば1980年代には、
    アメリカのアートシーンにおいて、
    グラフィティが注目を集め、
    ストリートのグラフィティライターが、
    ギャラリーなどで展覧会をし、
    現代アートの一つのムーブメントとして、
    成立していた時代がありました。
    これはアートに対して、
    グラフィティという構造が、
    取り込まれたと言えます。
    ですので1980年代に、
    現代アートとして、
    取り扱われたグラフィティとは、
    真逆の現象がbanksyである。
    その様にbanksyの特異性を、
    言い表すことができるのです。
    では
    「FREE REFUGEES」(難民を解放せよ)、
    「REFUGEES WELCOME」(難民を歓迎する)、
    と描かれたものはグラフィティなのか?
    これもまた結論から言えばグラフィティでは無く、
    ただの落書きです。
    まずグラフィティにおいても、
    さらにアートにおいても、
    「作家性」というものが前提にあります。
    ただ自分が訴えたい事を書くだけなら、
    暴走族や便所の落書きと変わりません。
    そこに「作家性」があるからこそ、
    それは「作品」になり得る可能性を持つわけです。
    実際にグラフィティの世界では、
    自分のタグネームなどを持ち。
    名前には「King」や「王冠」を付けたり、
    「one」などを付けることが多くあります。
    それは「自分が一番」という主張であり、
    またそれが街中に描かれることで、
    その作家は「有名」になっていく。
    その様な長期の「活動」が必要です。
    つまり、
    都合よく「グラフィティ的」な手法を、
    その時だけ都合よく使うというのは、
    ある種「グラフィティ」に反する。
    その様な行為であり、
    私は、
    「FREE REFUGEES」(難民を解放せよ)、
    「REFUGEES WELCOME」(難民を歓迎する)、
    というものが継続的な活動には、
    到底見えない事、
    またグラフィティにおける「作家性」の無さ、
    スタイル(様式)の無さ。
    その様なものを勘案し「落書き」である。
    その様に考えています。
    では最後に「グラフィティ」とは何か?
    その様な事を述べていきます。
    この原理は「グラフィティ」に、
    限る話では無く。
    例えば「文化の創発」、
    「イノヴェーション」、
    「パラダイムシフト」など、
    創造的行為に通底する原理としてあるものです。
    それは「アウトライン」を「ブレイクスルー」する。
    その様な創造的原理です。
    またその様なものは、
    「危機的」及び「涸渇」などの、
    「ネガティブ」な状況から創発され、
    それは多くの「文化創発」にみられます。
    現代では「貧困」や「格差」などが、
    具体的なものとして言えるでしょうが、
    「文化」の「創発」は、
    その様な所からしか生まれません。
    つまり、
    「アウトライン」とは、
    国家で言えば「法」、
    組織で言えば「ルール」、
    コミュニティで言えば「掟」、
    その様な事を「ブレイクスルー」、
    つまりそれらに従わない事で、
    新しいモノが観える。
    逆に言えば、
    国家で言えば、
    法を守らないからこそ、
    観えるものがある。
    その様に言えます。
    グラフィティとは、
    「ヴァンダリズム」、
    「体制」や「資本家」が、
    全てを掌握していることへの、
    アンチテーゼなのです。
    つまりそれは、
    「法」や「資本」、
    それに基づいた、
    「ルール」や「約束事」、
    それらを守らないで、
    「作家性」を持ち「有名」になる。
    それが、
    「グラフィティ」であるのです。
    冒頭の映像作品で、
    「法」の解釈などを専門家が、
    力説しているシーンがありました。
    それ自体が「グラフィティ」を理解できていない。
    なぜなら「グラフィティ」に価値や意味や機能が、
    唯一あるとするならば、
    それは「違法」であるからなのである。
    そしてそもそも、
    自分たちが「合法化」される事も望まない。
    それは同時に、
    「体制」や「資本家」に支配される、
    という事であるのだから。
    私は別に「違法な行為」を進めるわけでは無く。
    「文化」は総じてその様に産まれるものである。
    昨今「コロナ禍」で、
    世間の目に支配されて、
    あらゆるものが「規制」されている。
    または「同調」に従っている。
    その様な現代の人間には、
    非常に深刻な問題を感じる。
    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/06/19(金) 23:08:18|
    2. アート
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    アートに真摯に向き合っているアーティストとクソなアーティストの見分け方(革新しないアーティストはそもそもアーティストでは無い)

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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/11/14(木) 18:54:50|
    2. アート
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    芸術という概念の共有は可能か?(あいちトリエンナーレ2019からみる芸術という概念の多様化)

    そもそも芸術のみならず、
    現在の社会や世界全般に、
    あらゆる言語の概念の共有というものが、
    非常に難しい時代になってきている。

    それはある種の「大きな物語」の終焉とも、
    同期する問題ではあるのだが、
    サイエンスやテクノロジーの進歩と共に、
    多くの人々が「情報」と接する媒体、
    つまり「メディア」の多様性が加速し、
    松井みどりが提唱した、
    「マイクロポップ」な時代に突入している。

    ひと昔前では、
    テレビで流された情報は、
    翌日には、
    職場や学校、
    井戸端会議で共通の話題として、
    その情報は「共有」されていたわけであるが、
    現在ではスマートフォンなどを通して、
    数限りないメディアが存在し、
    それぞれ個人が、
    情報を取捨選択し、
    あらゆる人々が共通の「情報」を、
    「共有」しない状況が訪れている。

    こういったある種の「共有の崩壊」は、
    「情報」というマクロなものだけでなく、
    「言語」というある種ミクロであり、
    「共有」というものがアプリオリな領域まで、
    その「共有の崩壊」が起こってきていると、
    私は日々強く感じるのです。

    それは例えば芸術の分野で考えてみると、
    今年非常に物議を呼んだ、
    「あいちトリエンナーレ2019」での、
    「表現の不自由展」などでも理解できます。

    それは「芸術」という「言語」そのものの「概念」が、
    「大きな物語」的な、
    一つの大きな概念として、
    表現者側にも鑑賞者側にも、
    全く収束していない事、
    それが大きく浮き彫りになったと実感しています。

    それは同時に、
    「芸術」というものの社会的合意が、
    「これは芸術だから」という理由で、
    「共有」できなくなったとも言えます。

    それはさらに、
    「芸術」には「表現の自由」が与えられる、
    というある種の自明性までもが、
    もう通用しない時代なのだと考えています。

    なぜなら、
    「芸術」という「言語」としての「概念」が、
    表現者側でもそれぞれ多様化し、
    鑑賞者側でもそれぞれ多様化すれば、
    そもそも「芸術」という「言語」としての「概念」、
    というものがそもそも「定義不可能」であるからであり、
    そもそも「芸術」というものが、
    「社会」で「共有」し得ないものになっているからです。

    この様な事も含めて、
    「あいちトリエンナーレ2019」などを考察すると、
    そもそも「あいちトリエンナーレ2019」は、
    税金が使われている地域芸術祭です。
    つまり税金が使われるという事は、
    「社会的共有」を意味します。
    しかし先述した様に、
    そもそも「芸術」という「言語」としての「概念」、
    それが「社会」で「共有」できないわけですから、
    「税金」を使うべきではないのです。

    これはパブリックアート全般に言える問題とも言えます。

    この様な現状を、
    現在活動している芸術家は早く気づくべきで、
    その事を争っている事自体馬鹿馬鹿しく思うのです。

    私は「言語」というものを「アート」として、
    「造形芸術、「美術」として活動しています、
    それは約10年前に宣言した「ウェブアート宣言」、
    その概念にも含まれていますが、
    「言語」というものが、
    ある種「多様性」「多角性」「多次元性」を持ち、
    言語自体が二次元的次元から三次元的に立ち上がり、
    言語自体が「空間に浮かぶホログラフィック」の様に、
    「造形性」を持っている。
    その様な私の「理論」が実証されてきています。

    「言語」における「概念」というものは、
    一般的にアプリオリに基底されており、
    その「概念」は固定的であり、
    誰もが「共有」しているという事が、
    もはや現在では「崩壊」し、
    「言語」における「概念」が、
    それぞれがそれぞれに解釈し、
    「共有」し得ないものとして現れてきているのです。

    ではその様な現在において、
    どう「芸術は可能なのか?」という事を、
    考えていかなければならないわけです。
    そこで私美学者母と哲学者大和は、
    「狭山美学校」という、
    ある種「プラットフォーム」であり、
    「アートインターフェイス」であり、
    「メディア」であるものを創造しました。

    「狭山美学校」という「屋号」であるのに、
    「民宿」というものを運営している事からも、
    理解できると思うのですが、
    そもそも「学校」という「概念」が崩壊しています。
    さらに言えば私は「美学者母」と名乗っていますが、
    そもそも私は「学者」ではないので、
    「学者」という「概念」が崩壊しています。

    つまりこれこそが、
    私が10年前に宣言した「ウェブアート宣言」に、
    繋がってくるわけで、
    そして皆さんの脳内に存在する、
    「狭山美学校」なり「美学者母」が、
    「ホログラフィック」のごとく、
    立ち上がり造形性を有するのです。

    この様な事から、
    現在において「芸術は可能なのか?」
    という答えは非常にシンプルに可能である、
    と言えるわけです。

    そして「芸術」において、
    非常に重要な「共有」、
    つまり「社会的合意点」というものを、
    どう作り出すのかというものが、
    現在においての「芸術の成立」に、
    もっとも重要であると考えています。

    これからの「芸術」というものは、
    「芸術」を体験する側が、
    「芸術」と気づかずに「芸術」を体験している、
    その様なものが「芸術」になってくるのです。

    それは深遠なレトリックを使い、
    人々の無意識に介入し、
    「芸術体験」を提供する。

    現在の「芸術家」というものは、
    非常に知的な操作をするものであり、
    知性というものを求められる、
    その様な時代になっているのです。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/10/23(水) 20:21:20|
    2. アート
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    あいちトリエンナーレ2019でアーティストたちが言う表現の自由ってもうなんなのか解らなくなってるのはなぜだろうwww(いつまでアーティストは夢想を語るのか?)

    少なくとも一人のアーティスト、
    アート活動をしている人間として言うと、
    「表現の自由」なんて考えもしないし、
    はっきり言ってどうでもいいwww

    それはなぜか、
    国の憲法や法律がどうとか、
    自分が警察に捕まろうが、
    誰かに訴えられようが、
    僕は、

    「自分が表現したいものは絶対に創る」

    のであって、
    「表現の自由」なんてどうでもいい。

    例えば日本でキリスト教が禁止されてた時に、
    「隠れキリシタン」がいたわけで、
    すなわち表現とはそういう類のものであるわけです。

    それはどういう事かというと、
    つまり主体をどこに持つのかという事、
    例えば「隠れキリシタン」は、
    「己の信仰」を守ってそれを「表現」していた。
    それは「信仰の主体」が「個人」にあり、
    「個人」としての「信仰」、
    「個人の表現の自由」を守ったわけだ。

    しかし今問題になっている、
    「あいちトリエンナーレ2019」で問題になっている、
    「表現の自由」って全然違うよね、
    もはや「表現の自由」というスローガンの為の運動で、
    そこには「個人」としての「表現の自由」は関係ない。

    体制と反体制という構図を演出して、
    「表現の自由」というスローガンを利用し、
    ただ「体制批判」したいという、
    もう「芸術」とは程遠いものであるわけです。

    正に日本の「戦後体制」「戦後教育」の、
    行き着いた場所というべき「あいちトリエンナーレ2019」。

    僕の言葉で言えば、
    現在もアーティストと呼ばれる人々は、
    1970年代前後のベトナム反戦運動などの時代、
    つまりウッドストックに代表されるロックや、
    ヒッピーのムーブメントを、
    いまだに展開しているというかなり、
    時代が遅れている人達なんだねwww
    それを「ロックの時代」の人々と言ってるわけ。

    そしてそのロック自体の様式も、
    観客とステージは分離され、
    ステージは観客よりも高く、
    バンドセットという演奏を必要とする、
    つまりある種の演奏というものを学ぶという事は、
    エスタブリッシュメントを意味し、
    その様式は正に「体制」と「反体制」という、
    構造を作り出しているわけなのです。

    それに反し、
    現在の若者たちというのは、
    「ヒップホップの時代」の人々なわけです。

    そして僕は1978年生まれですが、
    日本のヒップホップ黎明期から、
    ヒップホップカルチャーに属し、
    実際にグラフィティライターをしていました。

    この「ヒップホップの時代」の人々は、
    「ロックの時代」の人々とどう違うのか、
    それは「ロック」というのは「夢想」を歌うわけですが、
    「ヒップホップ」は「リアル」をラップするわけです。

    それは哲学思想的に言えば、
    「プラグマティズム」的であると言えます。

    現在の世界を考えてもそうですが、
    日本の若者達ももれなく「実利」を、
    「意味ある事」として生きているわけです。
    「ロック」の様に「夢想」を歌っていても、
    「世界は変わらない」事を知っているのです。

    またヒップホップ時代の様式も、
    ロックとは違い、
    まず演奏を必要としません。
    更にラッパーと観客との間には、
    ステージという段差は無く、
    誰もがラッパーとして、
    ラップし始めることができる。
    その様な様式は、
    ロックの様に「体制」と「反体制」という、
    「分離」では無く、
    それぞれの個人が「主体」として、
    時には「観客」になり、
    時には「ラッパー」になる。
    すなわちそれぞれ「個人」が、
    その現場の「当事者」であるわけです。

    この様な事は決して「アートの世界」でも、
    例外ではありません。

    例えばバンクシーを考えてみてください。
    バンクシーは「アートの世界」でも、
    非常に重要なアーティストですが、
    彼はヒップホップカルチャーの、
    グラフィティライターなのです。

    彼はイギリスはもとより、
    世界中の壁に落書きをしています。
    それは正に「犯罪」であるわけです。
    しかしバンクシーのその落書きは、
    貴重に保存されたり、
    その壁ごとオークションで売られたり、
    その壁が観光名所になったりしています。

    ではバンクシーにとって、
    「表現の自由」とはなんでしょうか?
    それは、
    バンクシーにとって「表現の自由」なんて、
    どうでもいい事です。

    「表現の自由」そのものが、
    国家の理念であり意志なわけです。
    そもそも「国家自体が夢想」であり、
    その「夢想である国家」が持つ、
    「理念や意志」もまた「夢想」なのです。

    それよりも、
    現実的に自分自身が、
    国の憲法や法律がどうとか、
    自分が警察に捕まろうが、
    誰かに訴えられようが、
    どう世界に、
    どう社会に、
    影響を与えるのか、
    どの様な「機能」を有するのか、
    それが「ヒップホップの時代」では重要であり、
    「リアル」に「アクション」する事こそが、
    「善」であるのです。

    「もはや時代遅れである」

    悲しい事に、
    アーティストというのは、
    世の中で誰よりも早く、
    時代というものを読まなければならない、
    そいう存在であるわけですが、
    現在の日本のアーティストというのは、
    よりいっそう「時代遅れ」である、
    その様な現状です。

    先日文化庁が補助金を停止する、
    その様な事でまた、
    「表現の自由」の侵害だとか、
    まじ日本のアーティストたち、
    真面目に頭を使って本質を考えようwww

    まさに現在の「あいちトリエンナーレ2019」での、
    「表現の自由」というものが、
    「プラグマティズム」的な目的の転移を起こしている。

    「表現の自由」の為の「表現の自由」、
    目眩がするほど時代遅れ。

    「表現の自由」なんか糞どうでもいい、
    バンクシーでも例え話をしたのだが、
    「表現の自由」という言葉や意味、
    概念に囚われている事こそ、
    「本末転倒」である事になぜ気づかないのか?

    これを読んで頂いた方々には、
    ぜひ「表現の自由」という言葉や意味、
    概念の外側へ世界を広げてほしい。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/09/27(金) 19:10:12|
    2. アート
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    四次元事業としての狭山美学校。(次元双対性思考の重要性)

    どもっ!!!
    美学者母です。
    夏も終わりに近づき、
    夜は少し過ごしやすくなってきましたね。

    という事で今回は、
    私美学者母と相方の哲学者大和が運営する、
    「狭山美学校」について少し、
    踏み込んだ事を述べていきたいと思います。

    狭山美学校は現在は民宿を、
    コア事業として位置付けて運営している?
    という体裁ではあるのですが、
    これは多くの人々に理解していただきたい、
    また一つの側面として、
    多くの人々に有益である面に、
    フォーカスして、
    その様な民宿という形態を、
    コア事業としてプレゼンテーションしています。

    しかし本来私たちはアーティストですので、
    当然といいますか、
    ただ単に民宿というものを、
    運営しているわけでは無いわけです。

    それはこの「狭山美学校」という、
    アーキテクチャ自体が、
    私たちの「作品」であるというのが、
    「民宿」以前にある、
    私たちの考えなのです。

    つまり私たちの意図というものを、
    正確に申しますと、
    私たちの作品である「狭山美学校」を、
    「体験」していただいている事が、
    ある側面において、
    「民宿」としての「機能」を有する。

    その様な捉え方が、
    私たちの「意図」としては、
    正しい「認識」であるわけです。

    この様な「様式」は、
    私がアーティストとして、
    20年以上活動してきた上での、
    ある種の「ジレンマ」から、
    導き出してきた「解」であるのです。

    それは「純粋芸術」と「社会」との乖離、
    というのものが進むこの世界で、
    いかにして、
    「純粋芸術」を成立させる事が出来るのか、
    また「独立性」を担保させ、
    いかにサスティナブルに存続し、
    社会との合意点を見つけ、
    この社会に「純粋芸術」を立脚させる、
    その様な試みなわけです。

    そしてその試みは現在大変上手くいっています。

    この試みは、
    現在に生きるアーティストや、
    これから芸術や美術を志す人々への、
    ヒントになると考えています。

    その様な事から、
    もう少し「狭山美学校」の構造というものを、
    詳しく解説していきたいと思います。

    まず私たちは、
    一般的な三次元的認識では無く、
    四次元的認識において作品を制作、
    つまり狭山美学校を提供しています。

    芸術の一つの原理として、
    「次元的変換」というものがあります。
    それは簡単に言えば、
    三次元の風景をキャンバスという平面に、
    つまり二次元に変換する。
    その様な事と同じ事を、
    私たちは「狭山美学校」で展開しています。

    しかし「狭山美学校」では、
    四次元から三次元への変換であり、
    さらに高次元での次元変換を試みています。

    ここで少し註釈すると、
    次元双対性というのは、
    高次元から低次元への双対性が可能です。
    それは科学的にもホログラフィック双対として、
    知られているわけです。

    つまり私たち狭山美学校は、
    次元双対性思考において四次元に居て、
    この三次元への双対性を行なっているわけです。

    それを簡単に説明しますと、
    四次元とは空間の広がりであるわけですが、
    それは刹那とも言い換える事ができます。
    そしてその四次元の三次元的表層として、
    「体験」というものとして双対してくるわけです。

    この様な思考を、
    私は「次元双対性思考」といっているわけですが、
    この様な思考は、
    現在あらゆる部分で多用され、
    その有用性が明らかである事が理解できます。

    例えば、

    現在を言えば、
    グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブック。

    純粋芸術で言えば、
    インスタレーション、インタラクティブアート、

    テクノロジーで言えば、
    ARやVRも次元双対性思考のものと考える事ができます。

    これらに共通するものが、
    次元双対性思考であり、
    空間の広がりという四次元をベースに、
    四次元の三次元的表層としての「刹那」を、
    「体験」というもので「双対」するという、
    その様な構造をベースにしているものです。

    この様な次元的思考の違いが、
    全く認識を変えるということは非常に重要で、
    そのものを提供する側の次元が、
    そのものを享受する側の認識に影響する、
    というものをしっかりと認識しなければなりません。

    つまり私たち「狭山美学校」は、
    一般的に理解しやすい「民宿」という、
    「形態」として社会にアジャストしながらも、
    私たちの提供しているものは、
    私たちの「純粋芸術」としての「作品」であり、
    それは「四次元」としての「刹那」を、
    「三次元」としての「体験」として表出させ、
    その次元変換、
    またはその次元的双対性を造形原理として、
    この三次元において私たちの、
    造形作品として立脚させている。

    それが現在の「狭山美学校」であるということです。

    是非「狭山美学校」という、
    哲学者大和と美学者母の作品を、
    「体験」しに来て下さい!!!

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/09/10(火) 23:17:15|
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    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



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    http://www.mamalab.info





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    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















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    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





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