FC2ブログ

    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    アーティスト、芸術家、美術家だから馬鹿でいいって誰が決めた?

    「アーティストは馬鹿だ!!!」
    これを感じたのは、
    私が現代アートを始めた頃、
    今から20年以上前の事だ。

    その頃から考えると、
    今は少しだけ、
    「アーティストのあり方」は、
    変わってきたのかもしれない。

    しかしそれから、
    様々なアーティストと直接的間接的に、
    話やその人の思考を聞いてみても、
    頭のいいアーティストに出会った事がない。

    少し頭のいいアーティストはいるが、
    本当に数える程度で、
    99パーセントは「アホ」だ。

    「アート業界」で、
    何か気の利いた話をするのは、
    「批評家」や「評論家」で、
    それらは「気の利いた」言説をするのであって、
    これまた「頭がいい」わけではない、
    それなりに学歴があるので、
    アーティストよりは、
    少しはマシな様に社会では認知されている。

    どちらにしろ、
    「頭がわるい」のである。

    アーティストだから、
    アート作品だけ創ってるアホ。
    アートの批評家、評論家だから、
    アートの批評、評論だけしているアホ。

    これはアートに限った話ではないのだが、
    そもそも歴史的にカテゴリされた領域だけ、
    それだけを馬鹿みたいにやってるのはアホなのだ。

    私が「頭がいい」と言っているのは、
    そのカテゴリーをブレイクスルーする力だ。
    私はこのことを「頭がいい」と言っている。

    つまりこのカテゴリーの壁こそが、
    養老孟司の「バカの壁」そのものである。

    私はアート活動をしているわけだが、
    既存のアートから文脈的に考えれば、
    私がアーティストと名乗っている事自体、
    「おかしな話」なのである。

    なぜならインターネットで文章を書く、
    その様な一般的にはアートとみなされない事、
    それをアートだと言ってるわけで、
    まぁただの理解できない対象にすぎない、
    もっというと、
    私という存在すら見えていない、
    つまりスコトーマの状態である。

    その人にとってみれば、
    印象派やキュビズムがアートで、
    抽象画やポップアートがアートである。

    しかしそれはアートのクラシックなのであって、
    アートそのものは、
    カテゴリーをブレイクスルーしていく事こそ、
    アートなのだと考えている。

    つまりアートとは、
    「アートではあってはならない」のである。

    同時代的にアートが評価される、
    これこそが私から言わせれば異常である。

    ある意味、
    「アートのまがい物」である。

    すなわち、
    現代美術、現代アートの時代というのは、
    その「アートのまがい物」すらも、
    アートに取り込もうとする運動であり、
    現在はアートのまがい物の時代なのである。

    一人のアーティストとして、
    この現状を考えるに、
    現在アーティストは、
    色々な意味で「消費の対象」でしか、
    ないのである。

    この様な状態は、
    アーティストが馬鹿でアホだから、
    資本や経済に完全に取り込まれた末である。

    結局アートも「資本」に媚びてしまったのだ。

    これからのアーティストは、
    もっと知性的でなければならない、
    つまり「頭のいい」人間でなければ、
    カテゴリを逸脱する事が不可能な時代なのだ。

    それは既存のカテゴリに埋没する事が、
    馬鹿でアホであると気づく事が必要である。

    例えば「お金」一つとってみても、
    近いうちに「お金」の概念は変わる。
    つまり「価値」という概念が変わる。
    すれば「社会」という概念が変わる。

    「お金」というカテゴリーをとっても、
    私たちはそのカテゴリに埋没し、
    決して「お金」の「価値」を疑わない。

    だからこそ「現代美術」「現代アート」は成立する。
    こんな簡単なレトリックさえ、
    実際作品を創っているアーティストは、
    理解していないのである。

    つまり私たちアーティストは、
    まず世界を知らなければならないし、
    その世界に無数に存在する、
    あらゆるカテゴリーを知らなければならない。
    そしてそのカテゴリーの壁は、
    常に更新されていて、
    破壊と再生を繰り返し、
    ある種のアポトーシスとして、
    「動的平衡」として、
    私たちは刹那を体験しているのである。

    つまりアーティストは、
    科学、経済、宗教、政治、哲学、経営等。
    あらゆる幅広い知識を有しなければならないし、
    自らそのカテゴリーを体験しなければならない。

    その上でやっとブレイクスルーを起こせるのである。

    なぜなら現在の世界は、
    非常に複雑で、
    非常に抽象度の低い世界なのであるから、
    クラシックが産まれた時代、
    つまり抽象度が高かった時代とは、
    私たちアーティストのスタンスも、
    全く変わっているのである。

    特に現在においても、
    芸大美大でクラシックな芸術や美術を学ぶ、
    それはただ単なる時間の無駄なのである。

    若い人にはそれに早く気づいて欲しいし、
    私はその様な知性を育む場として、
    狭山美学校という私塾を創った。

    私のこの言説を読解できるレベルの知性は、
    最低限必要とするが、
    志高い若人を歓迎する。

    狭山美学校
    https://www.machromatic.biz

    美学者母
    スポンサーサイト
    1. 2018/08/06(月) 00:05:12|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    言語や言説と造形や美術は実は同じものである。(造形作家や美術作家の思い上がりはもうやめたほうがいい)

    特に日本の造形作家や美術作家の思い上がりというか、
    その幼児性には、
    本当に嫌気がさすわけです。

    ただ無責任に作品だけ創って、
    他人に観せてどうだって言うわけですね。

    その上、
    言語や言説での論理的説明とか、
    鑑賞者を納得させる言葉を使うことを、
    極端に嫌うわけです。

    むしろ、
    それをする事が作法として、
    無作法だと思い込んでいるくらいです。

    なのに、
    自分の作品には造形を超えた、
    何かを表現している、
    そんなことを言う人たちが、
    たくさんいます。

    これは勘違いも甚だしい。

    その人たちから言うと、
    言語や言説にできないものを、
    作品にしているのだから、
    言語や言説で説明しないのだと。

    あのね、
    この世の中に、
    全てのことを、
    きちっり伝える事ができるものなんて、
    「一つたりとも無い」ですよ。

    科学、数学、物理だって、
    その概念世界での合理性なのであって、
    全てのことは説明できない。

    当然、
    言語や言説だってそうです。

    そしてそれぞれの表現は、
    ただそれだけを表しているのでは無く、
    それ以上のものを表現しているわけで、
    別に造形作品や美術作品だけが、
    それ以上の表現をしているわけでは無い。

    例えば、
    波動方程式を見て、
    恐怖で心臓がバクバクなる人もいるわけ。
    それってどういうことか理解できますか?
    それは方程式以上の何かを、
    感じているからですね。

    それは言語や言説も同じで、
    その言語や言説の形や意味以上の、
    何かを感じるし表現しているわけです。

    ですから、
    美術や造形だけが、
    それ以上の何かを表現できる方法なのだから、
    それを言語や言説することは無作法だというのは、
    一神教的盲目性と同じですし、
    日本のアートがカルト化する大きな原因です。

    私はアートを研究しています。
    その上で言語や言説をアート作品として、
    この様に発表しています。

    これは私なりに研究し、
    行き着いた表現形態なのです。

    その理由として、
    そもそも、
    言語や言説と造形や美術に、
    差異は無いと考え、
    原理的には同じだと考えているからです。

    簡単に説明すれば、
    それはアウトラインを持ち、
    そのラインがゲシュタルトされ、
    概念となる。

    この概念世界において、
    全ての物事に通づる原理です。
    それは、
    絵画だろうが彫刻だろうが、
    象形文字だろうがピクトグラムだろうが、
    絵文字だろうが顔文字だろうがです。

    日本のアートというのは、
    造形作品や美術作品を、
    言説したりすることをタブーにすることで、
    ある種アートというものを、
    神格化し、
    自分たちの特権を守る、
    つまり既得権益化する為の方策に過ぎないのです。

    私は言語や言説をアート作品としています。
    それはある種日本アートへのアイロニーなのです。

    私はアートを論理的に語ることのタブーを、
    一刻も早く取り除きたいと考えています。

    美学者母

    テーマ:アート・デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2018/06/05(火) 17:32:51|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    アートがアートであり続けるには、アートがアートで無くなる必要がある。(芸術派生宣言から)

    最近特に物事の本質を考察する時に、
    その物事の安定さと不安定さを考えるわけです。

    私たちが生きている世界の本質とは、
    非常に不安定であり、
    常に不確実なものである、
    それが世界の本質なのです。

    しかし普段私たち、
    特に現代、
    発展した科学や、
    成熟した社会において、
    安定した世界、確実な世界、
    というものが、
    何の疑いもなく存在し、
    それをアプリオリに信じ込んでいる。

    つまり現代において、
    文脈的、演繹的、帰納的、
    その様な概念世界が、
    非常に強化されているわけです。

    現代のその様な状況においては、
    物事の本質、世界の本質は、
    全くみえてこないのです。

    それはどういうことか?
    簡単に日常生活で考えてみると、
    私たちは一年後がある事を疑わない、
    昨日話した知人が、
    今日もまた話せる事を疑わない、
    冷蔵庫に入れたお茶が、
    数時間後には冷えている事を疑わない。

    この様に私たちは自明のごとく思い込んでいる事、
    この全てが不安定で不確実であるという、
    その本質がみえなくなっている、
    その事に全く気づきもしないし、
    そもそもその様な事が無いとされているのです。

    つまりこの様な事から何が言えるのかというと、
    科学が発展し、社会が成熟していくという事は、
    物事の本質、世界の本質から、
    どんどんと離れていく。
    つまり反比例していくわけです。

    その上でアートの役割が重要になってくるわけです。
    アートとはその、
    現在の思い込みと、本質との乖離を、
    その思い込みを不安定に、
    不確実にする事で、
    人間に本質を露呈させる、
    その様な作用を持っているわけです。

    しかし現在、
    物事の本質、世界の本質を、
    露呈させる作用を持っている、
    アート自体が、
    その本質から、
    思い込みの世界へと成り下がって、
    その作用を発揮できないものとなっています。

    それはアートが、
    古典、近代、現代と経て、
    アート自体が、
    非常にコンサバティブなものになってしまった。

    つまりアートというものが、
    人間のアートという思い込みにより、
    本質を露呈させるという作用を、
    失ってしまったという事なのです。

    題目でもありますが、
    この状況において、
    「アートがアートであり続けるには、
    アートがアートで無くなる必要がある。」のです。

    これはまさに私が宣言している。
    「芸術派生」なのです。

    アートがアートであり続けるには、
    アートというものを、
    不安定で不確実なものにしなければ、
    そもそものアート自体の本質が、
    失われるし、
    現在は失われている、
    私はそう考えているのです。

    その上で、
    私は「芸術派生宣言」を宣言し、

    アートそのものを、
    不安定に不確実にする事で、
    アートそのものの本質を、
    露呈させるという行為に他なりません。

    私が尊敬している作家、
    マルセル・デュシャンは、
    芸術を不安定に不確実にする為に、
    「芸術の世界」へ「日常の世界」を仕込みました。

    しかし私は、
    芸術を不安定に不確実にする為に、
    「日常の世界」へ「芸術の世界」を仕込むのです。

    これはマルセル・デュシャンの行為に対し、
    球を裏返す行為に他なりません。

    現在においてアーティストは、
    アートそのものの思い込みを、
    乗り越えなくてはならないのです。

    その上で私は、
    この様な言説を「アート」としています。

    アートとは、
    常にアートで無くなる行為を行い、
    自らがアートである事を、
    不安定に不確実にしていく、
    それがアートの本質なのではないでしょうか。

    美学者母
    1. 2018/06/03(日) 16:04:57|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    香取慎吾のルーブル美術館での個展、防弾少年団のビルボード一位、この時代のポピュラーとは何か?(世界を広く認知する力と分断される世界)

    最近色々とニュースを観まして、
    やはり「ポスト真実」の世界が、
    どんどん広がっていると実感しています。

    題目にも書いている、
    香取慎吾のルーブル美術館での個展、
    防弾少年団のビルボード一位、
    この二つの快挙?は、
    同時に同じ問題を抱えているのだと考えます。

    それは「真実」と「ポスト真実」の違い、
    その様にも解釈できるのです。

    ですから、
    今回この二つの快挙?を、
    ピックアップしましたが、
    こういった類の事象、
    例えば日本のアイドル、
    エンターテイメント全般、
    もっと言えばアートまで、
    全てに通底する問題です。

    しかし何が問題かというと、
    先に言ってしまえば、
    大した問題では無いのです。

    むしろそういった時代である事を前提に、
    私たちはこの時代を、
    サバイブしていかなければならない、
    今回はそういった事を言いたいわけです。

    まず「真実時代」のポピュラーと、
    「ポスト真実時代」のポピュラーは、
    絶対的に違う事を認識しなければなりません。

    「真実時代」のポピュラーは、
    いわゆるピラミッドの形態をしていました。
    それは良い意味でも悪い意味でも、
    ポピュラー=誰でも知っている。
    その様な構図だったわけです。

    「ポスト真実」のポピュラーは、
    分散型で多元的、
    そしてサークルの形態をしています。

    それはどういう意味を持つのかというのを、
    具体的に例えてみると理解しやすいです。

    例えば「真実時代」のポピュラーは、
    アメリカだったらマリリンモンローだったり、
    マイケルジャクソンだったり。

    日本だったらタモリだったり。

    例えば日本でそこら辺を歩いている人に、
    タモリ知っていますか?
    と聞くとおそらく100パーセント近く、
    知っているでしょう。

    これがいわゆる「真実時代」の、
    ポピュラーだったわけです。

    しかし「ポスト真実時代」のポピュラーは、
    分散型で多元的、
    そしてサークルの形態をしています。
    これは簡単に言うと、
    自分の世界ではポピュラーで、
    他の人もそうだと思い込んでいるが、
    そこらの道を歩いている人に、
    聞いてみると誰も知らない。

    これがいわゆる「ポスト真実時代」の、
    ポピュラーなのです。

    つまりこれはどういうことかというと。
    「真実時代」は、
    大きな一つの世界を想定した世界観だったわけです。
    これは「大きな物語」とも言えます。

    そして「ポスト真実時代」は、
    分散型で多元的、
    そしてサークルの形態をしています。
    これは「大きな物語」の終焉とも言えます。

    この様なポピュラーであることの実態は、
    思想的なものとも同期していますが、
    この様なことも含めて、
    ポピュラーというものと、
    私たちはこれから向かい合って、
    いかなければなりません。

    と同時に私たちは新たな武器を手にいれた、
    その様にも考えることができます。
    何故ならば私たちは今後、
    ポピュラーになろうとした時に、
    ポピュラーになり得る方法を知っているからです。

    それが題目にもある事例、
    香取慎吾のルーブル美術館での個展、
    防弾少年団のビルボード一位、
    という快挙?なのです。

    今後ますます、
    分散型で多元的、
    そしてサークルの形態、
    ダイバーシティは進みます。

    そんな中で生き抜いていくには、
    まず自分の世界が、
    全ての世界では無いという自覚、
    多様な世界や価値観への理解が必要です。

    この様な考えは現在の、
    政治などへの姿勢とも同期します。
    現在のポピュリズムへの批判を、
    バカ丸出しにする人がいますが、
    貴方が利口な人間ならば、
    そのポピュリズムを創発すればいい、
    それだけのことです。

    ポピュリズム批判をするだけの人は、
    本当の意味でポピュリズムを理解していない、
    ポピュリズムをバカだと言っている、
    貴方が一番バカなんだよ。

    それはこの、
    香取慎吾のルーブル美術館での個展、
    防弾少年団のビルボード一位、
    こんな快挙?を、
    批判しかできない人と同じで、
    それを作為的にでも実現できている人間の方が、
    よっぽど批判している人より利口だ、
    という事なのです。

    この様な、
    「ポスト真実時代」のポピュラーを、
    うまく生き抜いていきたいですね。

    美学者母

    テーマ:アート・デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2018/05/28(月) 20:17:53|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    理不尽なこの世の中をどう生き抜いていくか(美学者母のサバイバル術)

    日大アメフト部の問題が社会問題化しています。
    なぜスポーツのワンプレーが、
    ここまで大きな社会問題になったのでしょうか。

    もちろんその悪質性から、
    大変大きな問題ではあるのですが、

    それ以上にこの問題が、
    日本社会の縮図的問題として、
    多くの人々の心を動かしたからではないでしょうか。

    私も少なからず若い頃はスポーツマンでした。
    そしてその選手を奴隷的に扱う、
    日本のスポーツに、
    高校で終止符を打ちました。

    しかしその後就職しても、
    その様な日本型組織の中は、
    結局、個人を奴隷的に扱うということでは、
    なんらスポーツ組織と変わらなかった。

    それが私が18歳の頃で、
    私は最終的にアートへ救いを求めました。

    組織に所属することを放棄し、
    インディペンデントに生きていく。

    以前の言説でも述べていますが、
    私がアートに命をかけようと誓ったのが、
    この時なのです。

    正直組織に入れば、
    理不尽なことばかりです。
    そしてその組織で生き残る術は、
    いかにその理不尽なものを受け入れ、
    己を無くし組織へ忠誠を誓うか、
    日本の組織で生き残るにはそれしかありません。

    理不尽なことを受け入れ、
    上に気に入られれば、
    その組織での居場所を手に入れ、
    既得権益を確保し、
    少しづつ出世します。

    理不尽なことを批判すれば、
    上に嫌われ、
    その組織での居場所をなくし、
    その組織から排除されます。

    これらは、
    私が実際に体験してきたことです。

    私はこの様な性格ですから、
    組織に入っても、
    しっかりと自分の意見を言います。
    しかし必ず排除されていくのです。

    この様な日本の組織のあり方を、
    少しでも変えていきたいという事も、
    私がアート活動をしている理由の一つです。

    その上で、
    理不尽なこの世の中をどう生き抜いていくか、
    という処世術が必要です。

    私の結論から言いますと、
    「組織」や「権威」に、
    直接勝とうとしてはいけないという事です。

    まずそういった「組織」や「権威」に、
    入ったり、近づかない。
    それが一番の近道です。

    現在社会はダイナミックに変化してきています。
    そして旧来のこの様な日本型組織は、
    絶対的に淘汰されていきます。

    その中で私たちはどの様にサバイブしていくのか、
    それは同じ志を持った人々とともに、
    新しい時代の創造、創発を企てる事です。

    これはなんとも地味なアクションかもしれませんが、
    日本の腐った根を根底からつくり直さなければ、
    なんの意味もないし、
    そもそも腐った「組織」や「権威」を、
    完全に排除していくことができません。

    私もこの様な言説するアート活動、
    また狭山美学校の運営など、
    社会的には非常に小さなアクションです。

    しかしこの様な小さなアクションが、
    根底から世の中を変える、
    大きな力になるのだと、
    私は確信し活動しています。

    その様な確信はどこから来るのか、
    それは今後、
    分散型の社会が到来するからです。

    一極集中の大組織や権威型の社会は終わり、
    分散型で個々の独立性を担保できる。
    その様な社会が必ず訪れます。

    私はその様な未来社会の、
    ロールモデルになりたいと考えています。

    少なくとも現在、
    私は言論という形で自由な発信をしています。

    今でも周りを見渡すと、
    自由にものを言えない人たちが大勢います。

    先日の日大アメフト部のコーチと監督の会見。
    一つ質問して欲しかったことがあります。
    コーチは監督に意見できるのか?

    あの壇上を見ていると、
    とてもコーチが監督に、
    ものを言える関係には見えませんでした。

    まず何より、
    自由闊達に意見を言える。
    それが非常に重要なことであると考えています。

    もし貴方が何も言えない組織や権威に所属しているなら、
    今すぐそこから離れることです。

    そして自由闊達に意見が言える人間たちと共に、
    新しい社会の創造、創発を、
    私たちと一緒に実現していきましょう。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2018/05/24(木) 12:47:19|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0
    次のページ

    Profile

    FC2USER590191GYW

    Author:FC2USER590191GYW
    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

    SELECT ART SHOP マクロマティック
    http://machromatic.shop-pro.jp/

    美学者母ブログ
    http://www.aesthetics.jp/

    machromaticメールマガジン登録
    http://www.mag2.com/m/0001288712.html

    ショップメールマガジン登録
    https://secure.shop-pro.jp/?mode=mailmaga&shop_id=PA01073629

    Twitter
    http://twitter.com/machromatic

    skype名 machromatic




    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





    ■■ machromaticホームページ ■■

    PC用  http://www.machromatic.net

    Latest journals

    Latest comments

    Latest trackbacks

    Monthly archive

    Category

    mama (美学者母) ブログ (263)
      映画 (4)
      アート (63)
      日常 (30)
      美学 (5)
      美学・哲学 (55)
      美術作品 (3)
      美術理論 (18)
      政治 (30)
      デザイン (4)
      セックス (0)
      オリンピック (0)
    愛犬武蔵 (1)
    ヒップホップ (3)
    映像 (2)
    ワールドカップ (0)
    経済 (29)
    スポーツ (1)
    福島原発 (1)
    高校野球 (1)
    だんじり祭 (4)
    在日問題 (0)
    インターネット (3)
    宗教 (1)
    ファッション (1)
    展覧会 (1)
    音楽 (1)
    オムニアート (1)

    Search form

    Display RSS link.

    Link

    add link

    Friend request form

    Want to be friends with this user.