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    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    そもそもアーティストなんてアウトローな存在なのに、憲法や法律で保護してもらおうってのがキモチワルイ。(アーティストとは国家以前性の存在である)

    今「表現の自由」だ!!!
    とか言ってる人とか、
    アーティストでかなりの数の人が、
    ドヤ顔で言ってるのですがwww
    その人達ってそもそも、
    「アーティスト」の資質がないんじゃないだろうか。

    僕が本当に「キモチワルイ」なぁって、
    感じるのは、
    なんで「アーティスト」は、
    「国家」というものを「前提」に、
    「存在」していると思い込んでいるのだろうか?

    そもそも自ら「国家という定義」に、
    「定義」づけられようとしていて、
    「表現の自由」というもの自体も、
    「国家」における理念や意志なわけだ。

    僕の目から見ると、
    「表現の自由」だ!!!!
    って言ってる人ほど、
    本当に「自由」を獲得したいのか?
    と疑問に感じてしまうのねwww

    だって「自由」って叫んでる割には、
    「国家」というものに囚われてるわけじゃない?

    僕からすると本当に意味不明なんだわwww

    そもそも「アート」とか「表現」が、
    「国家」ってものを前提に定義されるのか?
    って事ね。
    「アート」とか「表現」ってのは、
    「人間」の「原理的欲動」であって、
    それは「国家」というものが、
    前提ではないわけです。

    そしてアーティストというのは、
    「自らの欲動」を「表現」するわけですが、
    その欲動というのは、
    その時代その時代のルールから、
    つまり「憲法」や「法律」から逸脱するのも、
    ある意味仕方のない事であり、
    それがある種の「アート」としての、
    役割でもあるのです。

    つまりアーティストが、
    「法を犯す」というのは、
    「表現者」「創造者」として自明であり、
    それを「恐る」事自体が、
    アーティストとして失格であると、
    僕は考えています。

    それはつまり、
    「アート」や「表現」が、
    「国家以前性」のものであるからであり、
    「国家」というものを「前提」に、
    存在するものではないからです。

    その様な事から理解できるのは、
    そもそも「アーティスト」というのは、
    一般社会からすれば、
    「アウトロー」な存在であるはずなのであり、
    その「国」の「憲法」や「法律」に、
    守られようとする事自体が、
    「アーティスト」として「ナンセンス」、
    である事が理解できると思います。

    私はそもそも、
    この「国家」において、
    「犯罪者」になることを全く恐れていませんし、
    実際に「その様な行為」も行ってきました、
    それが「善いとか悪い」では無く、
    それは「アート」や「表現」が、
    「国家以前性」のものであり、
    それが「アート」や「表現」というものであるのです。

    現在の日本のアートというのが、
    「国家」を前提にし、
    「国家」に守られ、
    「国家」を「権威の担保」としている限り、
    日本の「アート」は発展しないのでしょう。

    例えばこんな話もあります。
    外国から来た知識人が、
    どうして日本はこんなに「落書き」が少ないんだ、
    日本の若者たちは一体何をしてるんだ?

    この事は何を表しているのでしょうか?

    この様な「表現の自由」という、
    非常にコンサバティブな事自体が問題になる、
    日本のアートというのは、
    実は非常に「遅れている」わけです。
    それはある種「国家主義」的な考えが、
    自明性を持ち、
    あらゆるものが、
    「国家」を前提にされている。
    そもそも「国家」を前提にした「アート」、
    それ自身が「権威主義」であり、
    まさに「あいちトリエンナーレ2019」で、
    問題になっている「表現の自由」の問題は、
    「国家の政治」であり、
    「権威の覇権」であり、
    「ヘモゲニー」の争いであるわけです。

    国家を前提にした「アート」は、
    そもそも「政治」であることは、
    「自明」であるのです。

    そもそも「アウトロー」である、
    「アート」が、
    「国家主義」的「体制」に取り込まれている、
    それに反してテクノロジーやサイエンスが、
    「アート」が担ってきた、
    その様な役割を担ってきているのが現在です。

    テクノロジーやサイエンスでは、
    テクノロジーやサイエンスの進歩や、
    インターネットの普及で、
    国家という前提が無い世界が、
    大きく広がっています。

    そこから創造されたものは、
    憲法や法律を犯しているものも多くあり、
    それに合わせて、
    ルールが変わる事も多く見られます。

    例えば日本では、
    Winnyを作った金子勇などは、
    警察に逮捕、起訴されたが、
    最高裁が検察側の上告を棄却し、
    無罪になった。

    ではそもそもWinnyは、
    国家を前提にして生み出されたものだろうか?
    いやもっと言うと、
    そもそも国家を前提にして、
    そんなものは創造しえなかったであろう。

    そこから何が理解できるのか、
    私たちは「国家」というものを「前提」に、
    する事で、
    ある種の「クリエイティビティ」を奪われるのである。

    それは、
    「国家を前提にしない」という事で、
    初めて産まれてくる「創造性」があるからなのだ。

    それがまさに、
    テクノロジーやサイエンスで起こっている、
    「イノベーション」なのである。

    つまりこの様な事から、
    「あいちトリエンナーレ2019」での、
    「表現の自由」の問題がクリアになってくる。

    それは現在の「日本のアート」は、
    インターネット以前の価値観、
    つまり「国家を前提」としたもので、
    「アート」を考えているという事である。

    つまりそれは、
    「体制」と「反体制」という対立軸があり、
    「政治」が発生し、
    「権威」を信仰し、
    「スローガン」で動員する。

    なんとも古めかしいものである。

    インターネットが普及して20年、
    私が「ウェブアート宣言」を発表して10年、

    あと何年日本のアートが変わるのに必要だろうか?

    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/09/29(日) 15:34:05|
    2. 美学・哲学
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    4. | コメント:0

    ラッパー般若の作品「大丈夫」のリリックにおける時間的構造(大丈夫と言える刹那に命がある事、それこそが勝利であると言える)

    どもっ美学者母です。
    僕自身やっぱりヒップホップに関しては、
    色々と言いたくなる訳です。

    なぜかと言いますと、
    僕自身いわゆる恵まれた環境に産まれた訳でなく、
    ヒップホップというカルチャーから、
    生き方を学び、
    そして実際にスケートボードや、
    グラフィティライターとして、
    ヒップホップな生き方をしてきた、
    一人のヒップホップヘッズだったからです。

    前回ラッパーのBASIを批判したのも、
    自分自身のその様な体験から、
    切実に出てきた言葉です。

    そんなダサいBASIのライブを観て、
    僕の心を慰めてくれるのは、
    やっぱりリアルなものでした。

    最近初めてラッパー般若の新しい作品、
    「大丈夫」を聞きましたが、
    涙が溢れ出してきて、
    どうしようもないくらい感動した。

    またそのリリックの内容、
    韻の踏み方、
    ラップテクニック、
    全てがヒップホップでした。

    特に僕は美学や美術を専門にしているので、
    そのリリックにおける、
    時間的構造や刹那的構造の構築が、
    素晴らしくて、
    本当にこの人は素晴らしいと思いました。

    少しリリックの中身を考察すると、
    過去、現在、未来という時空的プロセスを、
    自分自身の経験を元に、
    刹那論的に表現されている、
    そして、
    現在というものが、
    過去と未来の間にあり、
    むしろ現在という場所にこそ、
    過去も未来も含まれた、
    刹那的本質がある事に気づかされます。

    ※添付図表参照
    daijyobu.png


    この般若のリリックで、
    「大丈夫」とは誰に向けた言葉でしょうか?
    リリックから理解できるのは、
    決して他人ではなく、
    自分自身に向けた言葉です。

    そしてその「大丈夫」という言葉は、
    過去に壮絶な体験をしてきた自分であり、
    未来に何か成し遂げているのか不安である、
    未来の自分でもある訳です。

    しかし結局それは現在の自分であり、
    過去から見れば、
    現在の自分は未来の自分であり、
    未来から見れば、
    現在の自分は過去の自分であるのです。

    この様な事から考察していくと、
    「過去や未来も含有した現在の自分」、
    それしかそもそも存在しない事に気づきます。

    今この刹那に、
    「大丈夫」と言える命の存在こそが、
    最高の拠り所であり、
    それ以上に勇気づけられる存在は、
    居ない事に気づくのです。

    過去に未来に何があったとしても、
    この一瞬、
    この刹那、
    現に存在している命、
    それこそが、
    「大丈夫」という言葉そのものを、
    体現している。

    私も過去に壮絶な体験をしてきました。
    今こうやって命がある事が、
    自分自身でも「奇跡」だと、
    本気で思っているのです。

    そして私がこうやって、
    この文章を書けている事自体が、
    過去の自分や未来の自分に対して、
    「大丈夫」と言えている、
    まさに般若のリリックを聞いて、
    心からそう思ったのです。

    だから、
    今過去の辛い記憶に苦しんでいる人、
    今未来の大きな不安に押し潰されそうな人、

    今この瞬間に貴方が存在している事、
    それがまさに貴方に「大丈夫」と、
    確信に満ちた言葉を贈ってくれているのです。

    ぜひ過去や未来の辛さや哀しみ、
    大きな不安に押し潰されそうな人たちに、
    般若の「大丈夫」をぜひ聴いてほしい。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/07/18(木) 19:44:52|
    2. 美学・哲学
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    心理カウンセリング(心屋仁之助)とか自己啓発とか、各種セミナーでのトートロジーの悪用と洗脳の関係について(P またはPではない)

    最近YouTubeを観ていて、
    たまたまある動画が目についた。
    心屋仁之助という方の動画で、
    「一問一答」という「公開カウンセリング」??
    私の知ってる方で、
    この心屋に心酔されている方がおられるので、
    その名前は知っていたのだが、
    一度位話を聞いてみるのも面白いなと、
    動画を我慢してみてみたのですが、
    感想はまぁこういうのに皆んな、
    ハマッてしまうのよねぇ〜って感じwww

    まず心屋に限らず、
    例えば投資のセミナーでも、
    自己啓発のセミナーでも、
    だいたい同じ構造になってるわけです。
    それが「トートロジー」で、
    例えば、

    「Pまたは(Pではない)」

    この文はいわゆる、
    「トートロジー」になっている文なんです。
    それはどういう事かというと、
    Pが真であるとすると、
    Pではないという偽、
    それを両方含んでいる文である、
    それは真偽を両方含んでいる、
    それは「論理学」では、
    ナンセンスであり、
    論理では無いとなるわけです。
    何故ならば、
    その文は全てを言ってしまって、
    真か偽を言えていない、
    論理において、
    真である事(有意味)、
    偽である事(有意味)、
    真偽全てである事(無意味)、
    つまりトートロジーは、
    ナンセンスであり無意味であるのです。

    この様なトートロジーを使った、
    無意味な論法はあらゆる所で使われており、
    政治家の答弁、占い師の占いなど、
    無意味な論法に納得している人々が多数います。

    例えば総理大臣の安倍晋三、
    占術家の細木数子、
    霊能者の宜保愛子、
    などはトートロジーを多用しています。

    例えば皆さんは反論のできない論理、
    というものをどう考えるでしょうか?
    論理的に完璧で、
    論理を壊すことができない論理です。
    それは「凄い!!!」となるでしょうか?
    しかし、
    そもそもそれは「論理」としておかしいのです。
    例えば科学ではそれを「反証可能性」と言いますが、
    論理とは常に反論される余地がある、
    それこそが論理であり、
    論理に反論する余地がないものは、
    そもそも「論理」ではないのです。

    つまり「トートロジー」とは、
    真偽を両方含んでいるために、
    「反論」する余地がないもの、
    ということなのです。

    私たちは、
    この様な「トートロジー」に、
    ある種「神秘性」を抱きます。
    言語に隠されたトートロジーが、
    それを発言した人間に、
    ある種の「全知全能」を投影してしまうのです。
    その意味でトートロジーは、
    人間を惑わす、
    さらに洗脳する方法論として、
    非常に有効であり、
    逆説的に非常に危険であると言えます。

    実例として、
    例えば占術家の細木数子が多用していた言葉、
    「あなた地獄へ落ちるわよ!!!でも助かります!!!」
    これは完全に「真偽」を含んだ、
    トートロジーになっているわけです。
    「地獄へ落ちる」という真と、
    助かるという、
    「地獄へ落ちない」という偽が、
    一つの文の中に含まれています。

    次に私が冒頭に話した、
    心屋仁之助の公開カウンセリングでのトートロジー、
    というかこの様な界隈のトートロジーは、
    全てこの様な構造を持っていると思います。

    「過去の自分」→「今の自分」→「変化した自分」

    ロジックやスキームはこうです。
    自分がいる(お金に困っている)
    変化した自分(お金に困っていない)
    自分も変化した自分も自分である

    「自分または(自分ではない)」(トートロジー)
    ここでいう(自分ではない)は、
    変化した自分になります。

    そして最終的に心屋仁之助はこう言います。

    「何もしなくていい」

    つまり、
    「P「何かしても」または(P「何かしなくても」)」
    「貴方」である。

    「Pまたは(Pではない)」となり、
    トートロジーとなるわけです。

    ご覧の通りトートロジーは無意味であり、
    ナンセンスで何も言えていない事に気づきます。

    しかし人間はこの言語のレトリックを通して、
    その発言した人間に、
    「全知全能」を抱くわけです。

    この様な状態は仏教的に、
    空観、中観、仮観、

    この中から読み取れます。
    このトートロジーの状態は、
    空観の状態を借用した状態であり、
    人間にとっては「無意味」な状態です。

    例えばある菩薩は悟りを得るために、
    山奥の洞窟の中で何十年も座禅をし、
    何百年も経ってから、
    座禅をしたままの白骨化した遺体が、
    洞窟の中で発見された、
    その様な事があったわけですが、
    これは人間として、
    「有意味」でしょうか「無意味」でしょうか?
    私は人間として「無意味」であると確信します。

    人間らしさとは「有意味」にあるのではないでしょうか、
    またその「有意味」だけに真理を求めるのも危険ですが、
    それを仏教では仮観というわけですが、
    「中観」すなわち、
    「有意味」も「無意味」も並列的に思考する。
    それが人間としての真理だと考えています。

    つまり人間は思考をベースとした「論理」によって、
    人間らしさを獲得しているのであって、
    「論理」ではない「トートロジー」は、
    人間にとって「無意味」なのです。
    しかし人間は、
    その「論理」ではない「トートロジー」という、
    ある種言語的幻想によって、
    それを発言した人間に「全知全能」を観るのです。

    今回たまたま、
    YouTubeで心屋仁之助の動画を観て、
    典型的なトートロジーを話していたので、
    人間はトートロジーに盲目だなぁ〜と、
    改めて思った次第です。

    一度このトートロジーについて、
    皆さまも考えてみてはどうでしょうか。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/21(火) 18:48:17|
    2. 美学・哲学
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    神秘とは何か?天才とは何か?日本の芸術や美術が知を放棄しているワケ(知の放棄こそが権威を生み出す仕掛けである)

    shinpi.png


    どうもぉ美学者母です!!!
    まず何より私が作成した図表を見てください。
    この図は、
    日本の芸術や美術が、
    いかに「知」というものを放棄しているのか、
    それを明確化する為の図表です。

    その上で、
    一般的に日本人が信じる、
    「芸術や美術」が知を放棄している事を、
    論じると共に、
    「神秘」や「天才」という、
    ある種日本人が大好きなキーワードを、
    同時に論じていく試みです。

    まず世界的にスタンダードな、
    アートの捉え方として、
    図表の「本質的アート」を参照ください。
    アートというものはあくまで「知」をベースに、
    それは私たちの「論理的」「演繹的」、
    その様な「知」を最大限。
    知り得るものを知り得た上に存在する。
    その様な事をこの図表は表しています。

    そして、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験こそが「芸術であり美術」なのです。

    しかし図表でも理解できる通り、
    一般的な日本人や日本のアーティスト、
    そのほとんどは、
    「芸術や美術」には、
    「知」は必要では無いと考えているわけです。
    それは、
    日本の芸大美大の教育を見れば明らかです。
    つまり日本の「芸術や美術」は、
    「知を放棄」しているのです。
    それが図表で観る、
    「本質的アート」と「日本的芸術美術」、
    その対比となるわけです。

    僕は本当に日本の美術や芸術を、
    笑ってしまうのは、
    日本の芸術美術関係者のほとんどが、
    芸術や美術は「感性」や「感情」、
    そんな「言葉」や「概念」、
    では表現できないものを表現するのだ、
    と口を揃えていうのですwww
    それが図表で表した通りです。

    それは何を表しているのか、
    見ての通り、
    「知を放棄」する事で、
    「神秘」の領域は異常に低下します。
    まさに日本の「芸術美術」の現状は、
    これに表された通りであり、
    「日本的芸術美術」では「神秘」、
    の領域が、
    「本質的アート」からみれば、
    「知の領域」に他なりません。

    私はこの「神秘」の考え方そのものが、
    「日本人のアートの勘違い」の原理なのだと、
    研究を重ねてきて理解しました。

    そしてこの神秘理論をもとに、
    「アウトサイダーアート」や、
    いわゆる「天才」というものも、
    定義づける事が出来るのです。
    それは図表を見ていただければ理解できます。

    それはアウトサイダーには、
    「知」を超えた「飛躍」というものが、
    そもそものベースとなっています。
    それがまさに、
    「知」をベースとせず、
    論理的に演繹的根拠無く突如現れる、
    それを私たちが「神秘」として認知する、
    それこそが「アウトサイダー」の論理です。

    そして論理的には、
    「アウトサイダー」と「天才」は、
    全く同じ構造ですが、
    その「飛躍」の程度によって、
    それは違ってきます。
    それが図表で観る様に、
    「天才」が生み出す「飛躍」は、
    「知」をベースにした神秘と、
    同じ「神秘」を「共有」しているところです。

    つまり「知」をベースにした
    先述した神秘、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験を「天才」は「飛躍」によって、
    実現してしまうのです。

    この様な事から何が理解できるのかというと、
    日本人は「芸術美術」に対して、
    「天才願望」が自明なのです。
    しかし私は知り得る限り、
    例えばマルセル・デュシャン、
    ピカソ、マティス、
    色々な歴史上、
    そして同時代に様々な作家や作品を、
    観て分析していますが、
    「天才」である人間を観た事がありません。

    しかしある部分で、
    「アート」=「天才」という物語を、
    私たちに与えてくれるのが、
    様式や運動としての「印象派」であり、
    その物語の登場人物「ゴッホ」であるのです。
    しかしそもそも、
    「印象派」自体が「知の探求」としての、
    様式や運動であるわけで、
    その日本人の物語は幻想である事が自明です。

    この様な論理的な考察から言えることは、
    そもそも「天才」などいない、
    という非常に当たり前の答えなわけです。

    しかし日本の芸術美術関係者は、
    この当たり前の現実を受け入れたく無いのです。
    それはその事自体が、
    「権威」を崩壊させてしまうからです。

    権威とは幻想です。
    権威の本質とは「天才」の構造なのです。
    「天才」に観る「神秘」こそが「権威」なのです。

    私がここで、
    「アート」における、
    「天才」や「神秘」、
    その上での「権威」を否定しても、
    日本の芸術美術関係者は受け入れないでしょう。

    それを受け入れてしまえば、
    日本の芸術美術の根幹が壊れてしまいます。
    芸大美大の教育まで根本から変えなければならない、
    これこそが日本の、
    「最大最後のブラックボックス」なのです。

    私はこの言説を日本の芸術美術関係者にむけて、
    書いているのではありません、
    むしろ芸術美術に関係の無い人に、
    いかに日本の芸術美術関係者が馬鹿なのか、
    理解してもらいたいのです。

    日本で言われる、
    芸術美術の「神秘性」は嘘であり、
    「知」をベースにした、
    「神秘」こそ、
    本質的なアートである。

    その事が、
    「アート」であるという自明が、
    当たり前の日本になるよう、
    これからも活動してまいります。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/16(木) 00:14:35|
    2. 美学・哲学
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    反抗こそ人間らしさである。(美学者母の理由なき反抗)

    僕をよく知っている人の中で、
    僕が右翼だとか、
    右翼的だという人がいるのだけれど、
    それは本当だろうか?

    そもそも政治的にこの社会を変える、
    というそもそも政治に興味が無いし、
    政治が現代の社会を、
    変える力があるとも考えていない。

    例えば現在自民党政権で安倍内閣が続いている、
    しかしこれが共産党政権で志位内閣でも、
    社会はほとんど変わっていないだろう。
    結局誰かが言っていたが、
    現在の政治というものは、
    日本そのもののあり方を変える、
    という類のものでは無く、
    ただ単なるヘゲモニー争いなのだから。

    それを根本的に表層しているのが、
    最近行われた統一地方選挙で、
    中核派の女性が選挙で当選したという事実。

    この様な政治における自明性、
    では実際に社会を変えていっているのは、
    政治では無く、
    法律的には黒やグレーな事を、
    実際にやってのける人々なのだ。

    「実力行使」こそ、
    まさに社会を変えていくのである。

    それは例えば、
    「winny事件」であったり、
    Airbnbであったり、bitcoinであったり。

    もはや現在の法律では捉えようの無い、
    もしくは違法であるが、
    その違法性が私たちにとって不利益である、
    その様な事が実際に変革され、
    現に社会を変えていっているのである。

    法律があって人間がいるのか、
    人間があって法律があるのか、
    その様な根本的な問題なのである。

    人間が自由に平等に、安全に安心して、
    生きていくために法律があるのであって、
    法律の為に自由が奪われ、不平等が発生し、
    安全や安心が脅かされているのであれば、
    それは法律を破ってでも、
    己の正義や善を貫かなければならない。

    それこそが「反抗」であり、
    そもそもの「人間らしさ」なのでは無いだろうか。

    私は小さい頃から野球をしていて、
    高校まで一切の自由を奪われていました。
    それはまさに壮絶な体験であり、
    その頃の悪夢は今でも脳裏をよぎります。

    私のメンタリティは、
    その頃の自由を奪われたという体験が、
    コアになっているわけです。

    それは具体的に言うと、
    「自由を奪われていた」ということに対する、
    「反抗」であるわけです。

    そして高校卒業の18歳から、
    「創造者」として「反抗者」として、
    現在まで活動してきました。

    私を衝き動かす欲動の根本は、
    この様な事に対する「怒り」なのです。

    一般的にその欲動は、
    例えば「お金」であったり、
    「地位」「権威」「名声」、
    なのだと思います。

    しかし私は違います。
    私は「怒り」によって衝き動かされ、
    ありとあらゆる行動や活動を行なっています。

    つまり私にとって自己実現とは、
    「お金」を得ることでも無く、
    「地位」を得たいわけでも無く、
    「権威」を得たいわけでも無く、
    「名声」を得たいわけでも無い。

    ただ「己の怒り」を沈めたいだけなのです。

    この事はある種恐ろしい事なのかもしれません、
    なぜなら何も失うものはないからです。

    私は反抗や批判というのは、
    人間らしさの大きなエレメントだと考えています。

    なぜならこの世界の事実には、
    「肯定」しかないからです。
    それは端的に言えば、
    事実として起こったことは、
    起こったこととして肯定する他、
    方法がないからです。

    しかし人間は、
    その事実を想像力を使い、
    現実という大きな流れに対し、
    「反抗」し「批判」する事ができるのです。

    それこそがまさに、
    「人間らしさ」であり、
    「人間」の「自由」であるのです。

    ただ大きな流れに任せて、
    ただただ流れていく、
    ただ現実という事実を受け止め、
    それを受け入れていく、
    そんな人生に何の意味があるのでしょうか?

    苦しくても悲しくても、
    その大きな流れに争い、
    まぎれもなく訪れる現実を、
    力ずくで変えていく、
    それこそが「人間らしさ」なのではないか、

    私はその様に、
    皆様に力強く訴えかけるのです。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/05(日) 22:31:16|
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    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















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    http://twitter.com/machromatic

    skype名 machromatic




    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





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