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    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    心理カウンセリング(心屋仁之助)とか自己啓発とか、各種セミナーでのトートロジーの悪用と洗脳の関係について(P またはPではない)

    最近YouTubeを観ていて、
    たまたまある動画が目についた。
    心屋仁之助という方の動画で、
    「一問一答」という「公開カウンセリング」??
    私の知ってる方で、
    この心屋に心酔されている方がおられるので、
    その名前は知っていたのだが、
    一度位話を聞いてみるのも面白いなと、
    動画を我慢してみてみたのですが、
    感想はまぁこういうのに皆んな、
    ハマッてしまうのよねぇ〜って感じwww

    まず心屋に限らず、
    例えば投資のセミナーでも、
    自己啓発のセミナーでも、
    だいたい同じ構造になってるわけです。
    それが「トートロジー」で、
    例えば、

    「Pまたは(Pではない)」

    この文はいわゆる、
    「トートロジー」になっている文なんです。
    それはどういう事かというと、
    Pが真であるとすると、
    Pではないという偽、
    それを両方含んでいる文である、
    それは真偽を両方含んでいる、
    それは「論理学」では、
    ナンセンスであり、
    論理では無いとなるわけです。
    何故ならば、
    その文は全てを言ってしまって、
    真か偽を言えていない、
    論理において、
    真である事(有意味)、
    偽である事(有意味)、
    真偽全てである事(無意味)、
    つまりトートロジーは、
    ナンセンスであり無意味であるのです。

    この様なトートロジーを使った、
    無意味な論法はあらゆる所で使われており、
    政治家の答弁、占い師の占いなど、
    無意味な論法に納得している人々が多数います。

    例えば総理大臣の安倍晋三、
    占術家の細木数子、
    霊能者の宜保愛子、
    などはトートロジーを多用しています。

    例えば皆さんは反論のできない論理、
    というものをどう考えるでしょうか?
    論理的に完璧で、
    論理を壊すことができない論理です。
    それは「凄い!!!」となるでしょうか?
    しかし、
    そもそもそれは「論理」としておかしいのです。
    例えば科学ではそれを「反証可能性」と言いますが、
    論理とは常に反論される余地がある、
    それこそが論理であり、
    論理に反論する余地がないものは、
    そもそも「論理」ではないのです。

    つまり「トートロジー」とは、
    真偽を両方含んでいるために、
    「反論」する余地がないもの、
    ということなのです。

    私たちは、
    この様な「トートロジー」に、
    ある種「神秘性」を抱きます。
    言語に隠されたトートロジーが、
    それを発言した人間に、
    ある種の「全知全能」を投影してしまうのです。
    その意味でトートロジーは、
    人間を惑わす、
    さらに洗脳する方法論として、
    非常に有効であり、
    逆説的に非常に危険であると言えます。

    実例として、
    例えば占術家の細木数子が多用していた言葉、
    「あなた地獄へ落ちるわよ!!!でも助かります!!!」
    これは完全に「真偽」を含んだ、
    トートロジーになっているわけです。
    「地獄へ落ちる」という真と、
    助かるという、
    「地獄へ落ちない」という偽が、
    一つの文の中に含まれています。

    次に私が冒頭に話した、
    心屋仁之助の公開カウンセリングでのトートロジー、
    というかこの様な界隈のトートロジーは、
    全てこの様な構造を持っていると思います。

    「過去の自分」→「今の自分」→「変化した自分」

    ロジックやスキームはこうです。
    自分がいる(お金に困っている)
    変化した自分(お金に困っていない)
    自分も変化した自分も自分である

    「自分または(自分ではない)」(トートロジー)
    ここでいう(自分ではない)は、
    変化した自分になります。

    そして最終的に心屋仁之助はこう言います。

    「何もしなくていい」

    つまり、
    「P「何かしても」または(P「何かしなくても」)」
    「貴方」である。

    「Pまたは(Pではない)」となり、
    トートロジーとなるわけです。

    ご覧の通りトートロジーは無意味であり、
    ナンセンスで何も言えていない事に気づきます。

    しかし人間はこの言語のレトリックを通して、
    その発言した人間に、
    「全知全能」を抱くわけです。

    この様な状態は仏教的に、
    空観、中観、仮観、

    この中から読み取れます。
    このトートロジーの状態は、
    空観の状態を借用した状態であり、
    人間にとっては「無意味」な状態です。

    例えばある菩薩は悟りを得るために、
    山奥の洞窟の中で何十年も座禅をし、
    何百年も経ってから、
    座禅をしたままの白骨化した遺体が、
    洞窟の中で発見された、
    その様な事があったわけですが、
    これは人間として、
    「有意味」でしょうか「無意味」でしょうか?
    私は人間として「無意味」であると確信します。

    人間らしさとは「有意味」にあるのではないでしょうか、
    またその「有意味」だけに真理を求めるのも危険ですが、
    それを仏教では仮観というわけですが、
    「中観」すなわち、
    「有意味」も「無意味」も並列的に思考する。
    それが人間としての真理だと考えています。

    つまり人間は思考をベースとした「論理」によって、
    人間らしさを獲得しているのであって、
    「論理」ではない「トートロジー」は、
    人間にとって「無意味」なのです。
    しかし人間は、
    その「論理」ではない「トートロジー」という、
    ある種言語的幻想によって、
    それを発言した人間に「全知全能」を観るのです。

    今回たまたま、
    YouTubeで心屋仁之助の動画を観て、
    典型的なトートロジーを話していたので、
    人間はトートロジーに盲目だなぁ〜と、
    改めて思った次第です。

    一度このトートロジーについて、
    皆さまも考えてみてはどうでしょうか。

    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/21(火) 18:48:17|
    2. 美学・哲学
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    神秘とは何か?天才とは何か?日本の芸術や美術が知を放棄しているワケ(知の放棄こそが権威を生み出す仕掛けである)

    shinpi.png


    どうもぉ美学者母です!!!
    まず何より私が作成した図表を見てください。
    この図は、
    日本の芸術や美術が、
    いかに「知」というものを放棄しているのか、
    それを明確化する為の図表です。

    その上で、
    一般的に日本人が信じる、
    「芸術や美術」が知を放棄している事を、
    論じると共に、
    「神秘」や「天才」という、
    ある種日本人が大好きなキーワードを、
    同時に論じていく試みです。

    まず世界的にスタンダードな、
    アートの捉え方として、
    図表の「本質的アート」を参照ください。
    アートというものはあくまで「知」をベースに、
    それは私たちの「論理的」「演繹的」、
    その様な「知」を最大限。
    知り得るものを知り得た上に存在する。
    その様な事をこの図表は表しています。

    そして、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験こそが「芸術であり美術」なのです。

    しかし図表でも理解できる通り、
    一般的な日本人や日本のアーティスト、
    そのほとんどは、
    「芸術や美術」には、
    「知」は必要では無いと考えているわけです。
    それは、
    日本の芸大美大の教育を見れば明らかです。
    つまり日本の「芸術や美術」は、
    「知を放棄」しているのです。
    それが図表で観る、
    「本質的アート」と「日本的芸術美術」、
    その対比となるわけです。

    僕は本当に日本の美術や芸術を、
    笑ってしまうのは、
    日本の芸術美術関係者のほとんどが、
    芸術や美術は「感性」や「感情」、
    そんな「言葉」や「概念」、
    では表現できないものを表現するのだ、
    と口を揃えていうのですwww
    それが図表で表した通りです。

    それは何を表しているのか、
    見ての通り、
    「知を放棄」する事で、
    「神秘」の領域は異常に低下します。
    まさに日本の「芸術美術」の現状は、
    これに表された通りであり、
    「日本的芸術美術」では「神秘」、
    の領域が、
    「本質的アート」からみれば、
    「知の領域」に他なりません。

    私はこの「神秘」の考え方そのものが、
    「日本人のアートの勘違い」の原理なのだと、
    研究を重ねてきて理解しました。

    そしてこの神秘理論をもとに、
    「アウトサイダーアート」や、
    いわゆる「天才」というものも、
    定義づける事が出来るのです。
    それは図表を見ていただければ理解できます。

    それはアウトサイダーには、
    「知」を超えた「飛躍」というものが、
    そもそものベースとなっています。
    それがまさに、
    「知」をベースとせず、
    論理的に演繹的根拠無く突如現れる、
    それを私たちが「神秘」として認知する、
    それこそが「アウトサイダー」の論理です。

    そして論理的には、
    「アウトサイダー」と「天才」は、
    全く同じ構造ですが、
    その「飛躍」の程度によって、
    それは違ってきます。
    それが図表で観る様に、
    「天才」が生み出す「飛躍」は、
    「知」をベースにした神秘と、
    同じ「神秘」を「共有」しているところです。

    つまり「知」をベースにした
    先述した神秘、
    知り得ぬものを「神秘」とし、
    「知り得ぬもの」と「知り得るもの」、
    その間に、
    「知り得るもの」として、
    「造形」が表出し「認知」する、
    その様な行為、
    体験を「天才」は「飛躍」によって、
    実現してしまうのです。

    この様な事から何が理解できるのかというと、
    日本人は「芸術美術」に対して、
    「天才願望」が自明なのです。
    しかし私は知り得る限り、
    例えばマルセル・デュシャン、
    ピカソ、マティス、
    色々な歴史上、
    そして同時代に様々な作家や作品を、
    観て分析していますが、
    「天才」である人間を観た事がありません。

    しかしある部分で、
    「アート」=「天才」という物語を、
    私たちに与えてくれるのが、
    様式や運動としての「印象派」であり、
    その物語の登場人物「ゴッホ」であるのです。
    しかしそもそも、
    「印象派」自体が「知の探求」としての、
    様式や運動であるわけで、
    その日本人の物語は幻想である事が自明です。

    この様な論理的な考察から言えることは、
    そもそも「天才」などいない、
    という非常に当たり前の答えなわけです。

    しかし日本の芸術美術関係者は、
    この当たり前の現実を受け入れたく無いのです。
    それはその事自体が、
    「権威」を崩壊させてしまうからです。

    権威とは幻想です。
    権威の本質とは「天才」の構造なのです。
    「天才」に観る「神秘」こそが「権威」なのです。

    私がここで、
    「アート」における、
    「天才」や「神秘」、
    その上での「権威」を否定しても、
    日本の芸術美術関係者は受け入れないでしょう。

    それを受け入れてしまえば、
    日本の芸術美術の根幹が壊れてしまいます。
    芸大美大の教育まで根本から変えなければならない、
    これこそが日本の、
    「最大最後のブラックボックス」なのです。

    私はこの言説を日本の芸術美術関係者にむけて、
    書いているのではありません、
    むしろ芸術美術に関係の無い人に、
    いかに日本の芸術美術関係者が馬鹿なのか、
    理解してもらいたいのです。

    日本で言われる、
    芸術美術の「神秘性」は嘘であり、
    「知」をベースにした、
    「神秘」こそ、
    本質的なアートである。

    その事が、
    「アート」であるという自明が、
    当たり前の日本になるよう、
    これからも活動してまいります。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/16(木) 00:14:35|
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    反抗こそ人間らしさである。(美学者母の理由なき反抗)

    僕をよく知っている人の中で、
    僕が右翼だとか、
    右翼的だという人がいるのだけれど、
    それは本当だろうか?

    そもそも政治的にこの社会を変える、
    というそもそも政治に興味が無いし、
    政治が現代の社会を、
    変える力があるとも考えていない。

    例えば現在自民党政権で安倍内閣が続いている、
    しかしこれが共産党政権で志位内閣でも、
    社会はほとんど変わっていないだろう。
    結局誰かが言っていたが、
    現在の政治というものは、
    日本そのもののあり方を変える、
    という類のものでは無く、
    ただ単なるヘゲモニー争いなのだから。

    それを根本的に表層しているのが、
    最近行われた統一地方選挙で、
    中核派の女性が選挙で当選したという事実。

    この様な政治における自明性、
    では実際に社会を変えていっているのは、
    政治では無く、
    法律的には黒やグレーな事を、
    実際にやってのける人々なのだ。

    「実力行使」こそ、
    まさに社会を変えていくのである。

    それは例えば、
    「winny事件」であったり、
    Airbnbであったり、bitcoinであったり。

    もはや現在の法律では捉えようの無い、
    もしくは違法であるが、
    その違法性が私たちにとって不利益である、
    その様な事が実際に変革され、
    現に社会を変えていっているのである。

    法律があって人間がいるのか、
    人間があって法律があるのか、
    その様な根本的な問題なのである。

    人間が自由に平等に、安全に安心して、
    生きていくために法律があるのであって、
    法律の為に自由が奪われ、不平等が発生し、
    安全や安心が脅かされているのであれば、
    それは法律を破ってでも、
    己の正義や善を貫かなければならない。

    それこそが「反抗」であり、
    そもそもの「人間らしさ」なのでは無いだろうか。

    私は小さい頃から野球をしていて、
    高校まで一切の自由を奪われていました。
    それはまさに壮絶な体験であり、
    その頃の悪夢は今でも脳裏をよぎります。

    私のメンタリティは、
    その頃の自由を奪われたという体験が、
    コアになっているわけです。

    それは具体的に言うと、
    「自由を奪われていた」ということに対する、
    「反抗」であるわけです。

    そして高校卒業の18歳から、
    「創造者」として「反抗者」として、
    現在まで活動してきました。

    私を衝き動かす欲動の根本は、
    この様な事に対する「怒り」なのです。

    一般的にその欲動は、
    例えば「お金」であったり、
    「地位」「権威」「名声」、
    なのだと思います。

    しかし私は違います。
    私は「怒り」によって衝き動かされ、
    ありとあらゆる行動や活動を行なっています。

    つまり私にとって自己実現とは、
    「お金」を得ることでも無く、
    「地位」を得たいわけでも無く、
    「権威」を得たいわけでも無く、
    「名声」を得たいわけでも無い。

    ただ「己の怒り」を沈めたいだけなのです。

    この事はある種恐ろしい事なのかもしれません、
    なぜなら何も失うものはないからです。

    私は反抗や批判というのは、
    人間らしさの大きなエレメントだと考えています。

    なぜならこの世界の事実には、
    「肯定」しかないからです。
    それは端的に言えば、
    事実として起こったことは、
    起こったこととして肯定する他、
    方法がないからです。

    しかし人間は、
    その事実を想像力を使い、
    現実という大きな流れに対し、
    「反抗」し「批判」する事ができるのです。

    それこそがまさに、
    「人間らしさ」であり、
    「人間」の「自由」であるのです。

    ただ大きな流れに任せて、
    ただただ流れていく、
    ただ現実という事実を受け止め、
    それを受け入れていく、
    そんな人生に何の意味があるのでしょうか?

    苦しくても悲しくても、
    その大きな流れに争い、
    まぎれもなく訪れる現実を、
    力ずくで変えていく、
    それこそが「人間らしさ」なのではないか、

    私はその様に、
    皆様に力強く訴えかけるのです。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/05/05(日) 22:31:16|
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    そこに愛はあるのか、愛のある事をせよ。(愛の定言命法)

    いやぁ〜美学者母です。
    最近はフレンチブルドックの愛犬武蔵が手術をしたり、
    まぁ私事で結婚したり、
    色々ありまして大変でした。

    まぁ私の入籍や愛犬武蔵の手術も無事終わりまして、
    私も愛犬武蔵も元気にやっておりますwww

    しかしですねぇ、
    生きていくと色々な事がありまして、
    私も今まで色々な壁を前にし、
    そしてそれらをなんとか乗り越えてきました。
    特に私の様に組織などに入らずに、
    個人で様々な活動をしておりますと、
    数限りない壁を前にして、
    自己嫌悪などに陥ることもしばしばです。
    さらにその様な状況をサバイヴし、
    どうブレイクスルーするのか、
    判断し決断していかなければならないわけです。

    最近特に身近な問題として、
    「時間」の使い方というものを考えています。
    私も40歳になり、
    体力的にも精神的にも衰えを感じる様になりました、
    そして自分に残されている「時間」というものも、
    少なくなってきていると、
    日々感じているわけです。

    私より年上の方は何をまだ40歳で、
    と思われるのでしょうが、
    人間いつ死ぬかわかりませんし、
    私の臨場感としては、
    自分が40歳まで生きている事自体、
    ある意味「奇跡的」な事だと考えているのです。

    ですから、
    今与えられた「時間」というものが、
    本当に尊いものだと認識し、
    そしてそれをいかに使うのかという事が、
    私にとって非常に重要なのです。

    私はまさに哲学者ウィトゲンシュタインの、

    「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」

    という言葉を実感し、
    またその言葉の美しさに魅了されるのです。

    その上で私は、
    私に与えられた時間を若い頃の様に、
    「興味」の無いことや、
    「好き」で無いことに、
    使っている場合では無いのです。

    そして無意味な競争や、
    ヘゲモニー争い、
    さらに私利私欲に溢れた、
    マネーゲーム、
    そんな事に使っている時間は無いのです。

    その様な人間のある種「ドグマ」から、
    いかに抜け出し、
    最も崇高な時間を作り出すにはどうすればいいのか、
    それは、
    「愛」を基準に判断する事です。

    もし貴方が判断する時、
    すなわちそれは、
    それに対し「時間」を使うという事です。
    その時に「愛」がある事を選ぶのです。

    「そこに愛はあるのか、
    愛のある事をせよ。(愛の定言命法)」

    その様な判断を具体的に私の経験で言うと、
    冒頭に話した、
    「結婚」であったり、
    愛犬の「手術」であったり、
    するわけです。

    私たちは日々数限りない判断をしているわけですが、
    それはすなわち「時間」を何に使うのか、
    という選択でもあるわけです。
    そして、
    「どうでもいい事」には、
    その尊い「時間」を使いたく無いのです。

    それは私にとって「どうでもいい事」です、
    そしてその前提条件は、
    「この世界に絶対は無い」という事です。
    つまり「絶対に正しい」も無ければ、
    「絶対に間違い」も無いのです。
    それは私たちが「絶対に正しい」と、
    思い込んでいる事、
    例えば「科学」が最たるものです。
    「科学」は「正しさを指し示している」、
    そしてそれは「絶対」に限りなく近いのかもしれない、
    しかしそれは「絶対」では無いのです。

    つまり所謂「絶対」とは、
    「不可知」なものであるのです。
    であるならば、
    私たちの判断は「知を超えたもの」に、
    委ねる事になんら矛盾は無いのです。

    これは例えば、
    「哲学」や「美学」なども同じ帰結が導かれるのです。
    それはどういうことか、
    つまり「哲学」や「美学」は「知」であるから、
    「知」を超えたものは知り得ない、
    「知」を超えたものを知ろうとする事自体、
    馬鹿げているという事であって、
    いくら「知の巨人」がそれを語っても、
    「語り得ないものは語り得ない」のです。

    これらはまさに、
    哲学者ウィトゲンシュタインの思想なわけですが、
    私はその良き判断として、
    「愛の定言命法」を付け加えたいのです。

    例えば私で言うならば、
    三島由紀夫に愛を体験するわけです。
    それはこの世界の正しさや、間違い、
    三島由紀夫の思想の正しさや、間違い、
    そんな事よりも、
    私は三島由紀夫に愛を体験する事が、
    私にとって「重要」であるという事で、
    それ以上でも以下でも無い。

    それはウィトゲンシュタインも同じで、
    私は、
    ウィトゲンシュタインに愛を体験するのであって、
    世界の正しさや、間違い、
    ウィトゲンシュタインの思想の正しさや、間違い、
    そんな事よりも、
    私はウィトゲンシュタインに愛を体験する事が、
    私にとって「重要」である。

    すなわち、
    私は「愛の体験」のある方に判断し、
    そしてそれに「時間を使う」のであって、
    それ以上でも以下でも無い。

    さらにそれは、
    世界の正しさや、間違い、
    社会の正しさや、間違い、
    論理の正しさや、間違い、
    科学の正しさや、間違い、
    思想の正しさや、間違い、
    それら「知」の正しさや、間違いを、
    「超越」しているという事なのです。

    ぜひ皆様もこの「愛の定言命法」、
    実践してみてはいかがでしょうか。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/04/25(木) 20:43:17|
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    社会制度としての結婚、プラグマティズム的結婚について。(愛は形ではなく体験である)

    えっと先日からご報告している通り、
    4月1日に私美学者母は哲学者大和と結婚いたしました!!!
    パチパチパチ!!!

    とは言っても、
    形としてはもう何年も前から事実婚ですし、
    何が変わるかといえば、
    社会制度として結婚という形が明確化した、
    それだけなのですwww

    私は現在40歳ですが、
    哲学者大和とはもう10年以上の付き合いがあり、
    くっついたり離れたりは何度かありましたが、
    私が20代後半くらいからの間柄です。

    そしてここ数年は生活を共にしていまして、
    愛の体験のある生活を過ごしており、
    これ以上無い幸せを毎日感じているのです。

    ですから私自身は、
    「愛」というものを「根底」に、
    哲学者大和と共に生きているのであって、
    それ以上でも以下でも無いわけです。

    つまり社会制度上、
    どの様な扱いであっても、
    哲学者大和と共に生きて生活していくこと、
    それがもっとも重要です。

    その様なまず「愛」のベースがあって、
    その上である種合理的でスマートな形を考えた時に、
    社会制度上の結婚という形があった、
    私にとって「結婚」とはそれだけのものです。

    私はプラグマティズム的な考えが強いですので、
    この様な思考回路になるわけですが、
    昨今の世の中を見渡すと、
    結婚に限らず、
    あらゆるものの目的の転移が起こっており、
    例えば結婚の本来的目的が失われて、
    結婚そのものが目的になっている、
    その様な状況が多く見られます。

    全てのものがプラグマティズムで解決できる、
    その様な考えは特に日本においては当てはまらない、
    その様な事は十二分に理解しており、
    それもまたプラグマティズムであるわけです。

    しかし、
    プラグマティズム的に生きると、
    非常にスマートに生きていける事を実感します。

    特に昨今問題になっている、
    日本人の生産性の低さなどは、
    このある種日本人の美徳である「余白」、
    つまり本来目的以外に観る美意識というものが、
    どうあるべきなのか問いかけるわけです。

    私はこういった日本文化の全否定を、
    したいわけではありませんが、
    ある種日本の閉塞感というのは、
    元々の日本人の日本文化にあるのだ、
    という事をまず日本人自らが気づく事が、
    非常に大切であり必須の時代だと考えています。

    プラグマティズムはアメリカにある種最適化された思想、
    その様に考えることができます。

    ですからプラグマティズムを盲信する事なく、
    日本独自の新たな思想、文化を、
    ある種伝統というドグマにとらわれる事なく、
    創造していくことが求められているのではないでしょうか。

    「文化を残す」という行為は、
    古く受け継がれてきた文化を、
    非効率に保存するという行為では無く、
    「破壊と創造」を繰り返す、
    つまり、
    アポトーシスを繰り返しながら、
    ホメオスタシスで連続性を紡いでいくのだ、
    その様に考えています。

    今回私たち美学者母と哲学者大和は、
    社会制度上の結婚という形をとりました、
    それはある種、

    「プラグマティズム的結婚」

    であると言えます。

    この様に結婚に限らず、
    皆様の日常にある概念を、
    一度立ち止まって、
    「本来的目的は何か?」、
    その様な事を考えてみるのも、
    とても大切であるので、
    一度実践してみてはいかがでしょうか。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/04/04(木) 19:46:36|
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    mama Artist Promotion Video
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    http://www.mamalab.info





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    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















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    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





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