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    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    三角保ち合いがブレイク後暴落したビットコイン、これはセリングクライマックスという見方が多数だが、本質的価値の無いビットコインにセリングクライマックスは存在するのか?(対称性の破れとビットコインの価値)

    あーーーー!!!
    寒くなってきて、
    コタツから出れないコタツ亀になっております。
    皆様の「希望の星」美学者母です!!!

    先日に2017年に書いた文章の、
    「価値研究報告」を再度シェアしました、
    それはビットコインが大暴落して、
    30万円代になった事で、
    ある程度私が一年前に書いた事の証明を、
    皆様に確認していただこうと思いまして、
    まぁ200万円に到達した頃には、
    私はビットコインの価格は下がっていく、
    その様に言説しまして、
    実際私は空売りで少しばかり、
    去年の年末あたりは儲けさせていただきました。

    だいたいこの一年のビットコインのトレンドを観て、
    私が観えていたものと、
    完全に一致する結果となっています。

    この30万円代になるのは、
    私の場合去年の200万円になる時点で、
    完全に観えていましたが、
    時間スパンとしては、
    どのタイミングでなるのかまでは分かりません、
    しかし丁度一年で30万円代になりましたねwww

    そしてこれからの私のビットコインの見通しですが、
    一年以上前から言っていますが、
    根本的にビットコインは、
    ビットコインの本分を失って、
    根本的な原理を失くしてしまっています。

    ですから私にとっては「無価値」ですwww
    というか世間のほとんどの人にとっても、
    ビットコインなんて無くなっても困らない、
    それが現実でしょう。

    現在プロトレーダーの間では、
    現在の暴落をセリングクライマックスという、
    一つの現象として捉えられています。

    つまり「売り」の最終局面に入ってきた、
    これから投げ売りが始まって、
    売り尽くされた所で、
    トレンドが反転する状況だというわけです。

    私の知る限りでは、
    有名なプロトレーダーなどは、
    この局面で「買い」に転じています。

    まぁ私は芸術家なので、
    この後ビットコインがどうなろうが、
    知った事ではないのですがwww
    芸術分析の証明の一環として、
    分かりやすいのでこの様な事を書いています。

    ですから私自身は、
    ビットコインの原理的部分は崩壊したと認識していますので、
    ビットコインに改めて投機しようなんて全くないので、
    非常に客観的で批評的な視点で言説しています。

    ここではっきりと、
    ビットコインの状態を言うなら、
    「金融商品」になるのか、
    それとも「ゴミ」になるのか、
    という状況だと考察しています。

    通常の金融商品であれば、
    その「金融商品」がなくなれば、
    「困る人」がいるわけです。

    例えば「原油の先物」でも、
    原油の価格の安定性などで、
    機能として必要な「金融商品」です。

    しかし「ビットコイン」は、
    そういった「機能」がありません、
    「ビットコイン」が崩壊した所で、
    誰も困らないわけです。

    ビットコインが崩壊して困るのは、
    ビットコインを持っている人とか、
    ビットコインでお金儲けをしようとしている人、
    そんな「どうでもいい人」だけです。

    つまりこの様な観点から、
    ビットコインは、
    通常の「金融商品」ではないのです。

    ですから、
    通常の「金融商品」のトレンドであれば、
    セリングクライマックスの状態でも、
    現在のビットコインに、
    それを同じ様に考えることは危険です。

    私の考察では、
    価値の波のトレンドというのは、
    「価値を過大評価」されるのと、
    「価値を過小評価」されるのの、
    繰り返しであるわけです。

    つまりセリングクライマックスというのは、
    「価値を過小評価」している状態なわけですが、
    私の考察では、
    現在のビットコインの価格は、
    現在の30万円代の価格でも、
    「価値を過大評価」されている状態だと認識しています。

    しかしその「価値」というものも、
    ある側面においてであり、
    それが「金融商品」という「概念」に、
    ブレイクすることになれば、
    1000万、1億と、
    本質的なマネーゲームの時代に入るでしょう。

    しかし私はビットコインの、
    原理に興味があったので、
    現在の「金融商品」か「ゴミ」か、
    というある種の、
    「対称性の破れ」による、
    選別は私には全く興味の無いものであり、

    ビットコインが、
    「金融商品」になろうが、
    「ゴミ」になろうが、
    どちらでもいいのですwww

    この様に私は、
    約2年間くらいビットコインを通して、
    「価値の本質」をフィールドワークしていますが、
    これは実は、
    「現代アート」「現代美術」を、
    本質的に理解する為に、
    非常に有用な知識、
    そして経験として、
    私の大きな財産になりました。

    その点においては、
    ビットコインに感謝としか言いようがないですwww

    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2018/11/26(月) 21:37:31|
    2. 日常
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    eスポーツとゲーミフィケーションなどのゲームとゲーム感覚の社会的有用性。(荒野行動を始めて一ヶ月でやっとドン勝つして考えてみた)

    はいっ!!!どもっ!!!
    毎度美学者母です!!!

    私は1978年生まれなのですが、
    ちょうど任天堂のファミリーコンピューターが、
    発売された頃が子供時代でして、
    ファミリーコンピューターが1983年発売なので、
    ほぼこの様な家庭用ゲーム機と、
    一緒に育ってきた世代です。

    とは言いましても、
    私自身はゲームに熱中する、
    ゲーム少年では無く、
    むしろ外で遊ぶのが好きで、
    リトルリーグなんかに入っていましたので、
    ゲームはファミコンを少しやった程度です。

    その後、
    スーパーファミコン、ゲームボーイ、
    色々進化していきますが、
    ほとんどゲームはしていないのです。

    最近大阪・梅田のヨドバシで、
    ゲームの映像を観ましたが、
    とんでもない臨場感の映像になっていて、
    とても驚きました。

    幼少の頃は、
    ほんとどゲームをしていなかったのですが、
    大人になってから改めて、
    ゲームというものを捉え直して考えると、
    子供達がなぜあそこまでゲームに熱中するのか、
    ある種「子供達の目」「目の輝き」、
    それらにここ数年非常に興味を持っています。

    そして私の場合、
    子供の頃より大人になってからの方が、
    ゲームをしているという状態です。

    ここ数年はスマホゲームについて、
    考察やフィールドワークを行なっていますが、
    ちょうどポケモンGOが2016年にリリースで、
    私もリリース当日からやり始めて、
    色々と学ぶ所が多く、
    現代におけるゲームの可能性を強く感じました。

    特にポケモンGOは子供達だけでなく、
    大人や高齢者まで、
    かなり幅広いプレイヤーに支持され、
    ゲームというものが、
    子供だけの遊びにとどまらない時代に、
    入ってきた事を証明しています。

    そして私が最近始めたゲームが、
    「荒野行動」という、
    バトルロワイヤルゲームです。

    このゲームは2017年にリリースされ、
    現在1周年を迎えています。

    私は2017年11月頃は、
    仮想通貨、暗号通貨に取り組んでいましたので、
    一年遅れでプレーしているという現状です。

    この「荒野行動」は、
    「PUBG」という韓国のゲーム会社のゲームと、
    酷似していると現在係争中という事なので、
    その点は記載しておきます。

    現在はその「PUBG」よりも、
    「荒野行動」の方がユーザーの支持を集めている、
    という状態になってきており、
    その要因として、
    「荒野行動」がスマホに最適化されて、
    リリースされた事が非常に大きく、
    ユーザー数も爆発的に増えました。

    私が「荒野行動」を選んでいるのは、
    一つにはスマホに最適化されている事、
    もう一つは中国系企業である事、
    などが挙げられます。

    現在この様な、
    いわゆる「バトルロワイヤル」系ゲームが、
    ブームになっている現状ですので、
    酷似したゲームや類似ゲームは、
    どんどんリリースされるでしょう、
    まさにゲーム同士のバトルロワイヤルだと、
    私は考えています。

    最終的にユーザーが支持したゲームが、
    残っていくのみです。

    私は約一ヶ月前くらい、
    2018年10月位から「荒野行動」を始めましたが、
    正直「荒野行動」操作が非常に難しいです、
    特にスマホ操作で、
    物理的操作では無く、
    ディスプレイタッチでの操作なので、
    まずこの操作に慣れるまで時間がかかります。

    この辺の問題を超えられずに辞めていく人も、
    多数いる様なのですが、
    どうしても慣れない様であれば、
    Amazonなどで、
    物理的にするガジェットの様なものも、
    販売されています。

    始めは全くゲームが成立しません、
    自分が殺されるのみですwww
    そこから1キルできる様になり、
    2キルできる様になり、
    後は目指すは「ドン勝つ」。

    「ドン勝つ」の意味は、
    バトルロワイヤルで最後の一組、
    あるいは最後の一人になる事です。

    比較的最後の一組になるのは簡単で、
    チームに上手い人がいれば、
    チームとしての「ドン勝つ」は容易です。

    私が目指すのは「完全ドン勝つ」!!!

    という事で、
    なかなかチーム戦では達成しにくいのですが、
    昨日4人組のチーム戦で、
    私以外が全員死んで、
    最後私が一人になって、
    最後の一人を殺す事に成功!!!
    これを達成するのに、
    約一ヶ月強かかりました。

    とここまではゲームの中身の話ですが、
    私の場合ただゲームをしているのではなく、
    フィールドワークとしてゲームをしているので、
    ここからはもう少し深い考察をしていきます。

    ゲームとはどうして私たちを、
    ここまで熱中させるのでしょうか?
    そのキーワードとして、
    「臨場感空間」という大きな要素があります。

    これは変性意識状態に創発する、
    認知される空間のことです。

    簡単な説明をしますと、
    ゲームをしている時の「子供の目」を、
    一度客観的に観てみてください、
    異常に集中し没入している「目」になっています。

    これは平常の意識「物理空間」から、
    変性意識「臨場感空間」に、
    「意識」が「変性」しているのです。

    もっと簡単に言えば、
    「催眠状態」になっているわけです。

    つまり超簡単に言うと、
    「ゲーム」と言うのは、
    私たちを簡単に、
    「催眠状態」へ導く「装置」だと言えます。

    そしてその「催眠状態」は、
    「人間」を平常の状態より、
    より「クリエイティブ」にする、
    という事が非常に重要です。

    そしてゲームが上手いという事は、
    この「催眠状態」が、
    「深い」のか「浅い」のか、
    という事と「比例」してくるのです。

    より「深い」ほうが「クリエイティビティ」は向上し、
    より「浅い」ほうが「クリエイティビティ」は下がる。

    これはあらゆるスポーツとも同期する要素で、
    スポーツのプレイヤーというのは、
    プレイ中の多くは「催眠状態」となっています。

    その「催眠状態」の深さと浅さは、
    プレイヤーの「パフォーマンス」と直結するのです。

    この様に考えると、
    「ゲーム」とは「高次元」な「スポーツ」なのです。

    ここまで話してきた様に、
    「ゲーム」というものは、
    「人間」の「創造性」を「飛躍的」に「増大」させる、
    その様な「機能」を有しています。

    この様なことからも、
    現在盛り上がりを見せている、
    例えば「eスポーツ」などは、
    むしろ「ゲーム」こそが、
    「スポーツ」の「原理」であると言えます。

    さらに「社会問題」など、
    「世界」の「あらゆる問題」を、
    「ゲーム」で「解決」するという、
    「ゲーミフィケーション」も、
    そもそも「問題の解決」こそが、
    「クリエイティビティ」であるのだから、
    「クリエイティビティ」を「爆発的に増大」させる、
    「ゲーム」が「問題解決」の「ツール」になるのは、
    そもそも「自明」の事なのです。

    なんて難しい話を終わりにして、
    もうすぐリリースの、
    「荒野行動」東京マップを待ちわびている、
    私なのでありましたwww

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2018/11/18(日) 20:34:01|
    2. 日常
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    芸術の古典から現代アート、ペルソナから被り物へのアップデートの持つ意味と芸術構造(ギャラリー椿の作家、山本麻友香の作品を通して見える現代性)

    昨日は久しぶりにIKEA(イケア)、
    に行ってきたのですが、
    凄いお客さんの数で疲れました。

    IKEAのデザインは北欧デザインと言われていますが、
    基本的にはモダンデザインであり、
    色の使い方に少しだけ特徴があります。

    日本でのモダンデザインの一般的受容というのも、
    非常に遅かったわけです。
    それはもう20年以上前には、
    私などはモダンデザインの家具が欲しくて、
    そこら中を探し回っても、
    なかなか販売していなかったのです。

    大阪だと20年以上前だったら、
    オシャレな人の間で、
    ミッドセンチュリー家具が流行って、
    オシャレな服屋さんとかで、
    イームズとか売ってたり、
    そのうち堀江なんかに、
    モダンデザイン家具屋ができたり。

    そこからモダンデザインは広がりを見せて、
    色々な企業のロゴなんかが、
    モダンデザイン化されていきました、
    ユニクロのロゴがモダンデザイン化されたのも、
    大衆がモダンデザインを受容する上で、
    大きな出来事だったと思いますが、
    それに関しては、
    佐藤可士和がすごいというより、
    大衆が遅すぎるという感覚でしたwww

    私にとっては、
    IKEAのデザインが大衆に受け入れられている、
    それを見て何を思うかというと、
    私と20年以上感覚がずれている、
    というのが正直な感想です。

    昔は堀江の小さな家具屋でしか、
    売っていなかったものが、
    量販店で売られるようになった。

    そういう現象っていっぱいあって、
    スケートボード、スノーボード、
    古着、ヒップホップ。

    本当に一部の人が楽しんでいたものが、
    大衆化されて、
    大型量販店に取って代わってるわけです。

    つまり私はこの様なことから何が言いたいのか、
    というと、
    芸術又は芸術の歴史と、
    あらゆるモノのデザインというのは、
    完全に一致するわけなのですね。

    つまり私は20年以上前に、
    モダンデザインを取り入れていたし、
    自分がデザインしていた、
    フライヤーやロゴなどの、
    グラフィックデザインも、
    モダンデザインだったわけです。

    その様なモダンデザインは、
    その時点で、
    どのタイミングかわわかりませんが、
    大衆化されることが自明だったわけです。

    なぜなら、
    芸術、デザイン、文化、政治、経済というのは、
    全て同じ様な表層を表すからです。

    これは私は実践済みで、
    私は仮想通貨、暗号通貨のFXトレードで、
    少しばかり儲けましたが、
    それは表層としてのトレンドが、
    どの様な曲線を描くかわかるからです。

    これがある種の芸術分析なのです。

    その様な私の芸術分析から、
    最近特に注目すべき表層を、
    皆様に紹介したいと思います。
    それは「被り物」です。

    特にここで言う被り物は、
    顔全体を隠している「被り物」では無く、
    顔の一部が露出している「被り物」です。

    例えば、
    顔だけ見えているパンダの着ぐるみとか、
    顔だけ見えているクマの被り物とか、
    よく「驚安の殿堂ドン・キホーテ」なんかで、
    売っていますよね。

    とても可愛くて、
    それを被っている人なんかを、
    たまにオタクの街(大阪日本橋)などで見ると、
    ほっこりなってしまいます。

    しかしそれと同時に、
    現在のオタクカルチャーである、
    コスプレとの相関性を感じずにはいられないのです。

    そしてさらに深い考察を試みれば、
    それは今日本で一般的に頻繁に用いられる、
    「マスク」というものへ行き着くわけです。
    私はある種、

    「マスク」=「コスプレ」

    この様な相関性を考えるわけです。

    ではなぜ現代の民衆は、
    みんながそのコスプレをしたがるのでしょうか?
    その部分を考察する上で、
    「ペルソナ」というものを相対的に扱いたいのです。

    「ペルソナ」とは、
    「パーソナル」の語源です。

    もともとの意味は、
    演劇などで被る仮面の事を「ペルソナ」と言いますが、
    心理学などでは、
    「社会に適応した自我」という意味もあります。

    つまり「パーソナル」の意味は、
    「個人」「私的」という意味で、
    「ペルソナ」というコンテクストを有しています。

    この様に考えると、
    古典的な「ペルソナ」、
    つまり「パーソナル」というのは、
    「ペルソナ」という「仮面」を被りながらも、
    一つの「自我」を「ゲシュタルト」しています。

    しかし現代の「被り物」はどうでしょうか、
    パンダやクマの「被り物」「着ぐるみ」を、
    被りながらも、
    「ある部分」は露出しています。

    これが非常に「現代」を表すエレメントだと、
    私は考えています。

    古典的「ペルソナ」の時代は、
    「ペルソナ」という「仮面」を被りながらも、
    「意識」と「無意識」という、
    「一つの自我」に「ゲシュタルト」されていましたが、

    現代「被り物」の時代は、
    「被り物」を被りながらも、
    「内」と「外」という、
    「二つの自我」に「分裂」している、
    その様な考察を可能にしています。

    そこからどの様なことが理解できるかというと、
    古典では、
    社会的自我と個人的自我は同じであるのですが、
    現代では、
    社会的自我と個人的自我が分裂しているのです。

    これらをわかりやすく例えると、
    サラリーマンなどで例えると理解しやすいです。
    「平日の自分」と「週末の自分」、
    つまり仕事に行っている自分と、
    週末に余暇を楽しんでいる自分。

    この様に現代において、
    私たちはある種「二重の自我」を、
    アプリオリに生成しなくては、
    生きていけない時代になっているのです。

    そんな現代の表層を如実に表現している、
    純粋芸術として、
    最近私が注目しているアーティストが、
    山本麻友香さんです。

    作品の画像は掲載しませんが、
    グーグルなどで検索していただければ、
    すぐに観ることができます。

    この様に現代は、
    「二つの自我」というものを、
    生きる時代になっており、
    街を歩けば、
    マスクを着けた人が、
    当たり前に通り抜けて生きます。

    この様な二重性というものが、
    私にとって良いとか悪いとかではなく、
    私自身は「疲れる」のです。

    ですから私は、
    「仕事」も「プライベート」も分けない、
    その様なライフスタイルで、
    「一つの自我」として生きています。

    少なくとも、
    自分自身が納得するライフスタイルを生きたいですし、
    この様な言説が皆様に何かしらの、
    「気づき」を与える事ができれば幸いです。

    美学者母
    1. 2018/11/12(月) 20:38:53|
    2. 美学・哲学
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    中国発のアプリTikTokと、芸術家の彦坂尚嘉さんの展開する切断芸術運動の芸術構造の同義性。(今まさに芸術の民主化が進行している)

    みなさんどもっ!!!
    美学者母です。
    先日歯がどうにも痛くて、
    歯医者で歯を一本抜いてきました。

    そんな歯痛の中ですが、
    最近中国発のアプリケーションと出会う事が、
    非常に多いですね、
    私も最近中国発のアプリケーション、
    「荒野行動」で遊んでいるのですが、
    非常に楽しいゲームです。

    私は1978年生まれで、
    初代ファミリーコンピューターの世代ですが、
    まさか中国のゲームアプリケーションで、
    楽しく遊ぶ時代が来るなんて、
    想像もしていませんでしたね。

    そして今回の言説なのですが、
    それも中国発のアプリーケーションで、
    短編動画共有サービス「TikTok」に関してです。

    これもまさに最近アプリケーションを入れて、
    遊んでいるのですが、
    非常に簡単に楽しめて、
    とてもいいアプリケーションだと感じました。

    最近は、
    Youtube然り、
    instagram然り、
    そしてTikTok然り、
    個人ユーザーがクリエイティブな作品を制作し、
    世界中へ発信するという行為が、
    本当に当たり前の時代になっています。

    特にTikTokなどでは、
    いかに簡単に高品質な短編動画を作れるかという、
    アプリケーションデザインがされています。
    ユーザーインターフェイスはとても簡単で、
    それ以上に出来た動画のクオリティは高く、
    非常に面白い動画が制作できます。

    これはまさに、
    芸術構造のフォーマット化なのです。

    芸術構造のフォーマット化の先駆者として、
    私はマルセルデュシャンを尊敬しています。
    マルセルデュシャンは、
    レディメイドというフォーマットで、
    誰もが芸術構造をしっかりと持った、
    しかも簡単な方法で作れるスタイルや、
    フォーマットをあみだしました。

    TikTokの芸術構造も、
    非常に簡単ではあるのですが、
    古典的、基本的な、
    芸術構造を有し、
    しかも簡単な方法で作れ、
    誰しもが芸術構造を持った作品を作れます。

    TikTokの芸術構造を簡単に解説すれば、
    基本的に、
    映像の尺は短く定義され、
    音楽に合わせて、
    口パクやダンス、寸劇など、
    身体運動を同期させます。

    つまり、
    本来的音楽の意味を無効化する、
    個々の動画とは文脈的断絶が存在する、
    そのまた逆も然りであり、
    芸術構造の基本である、
    意味の無意味、無意味の意味の二重性を、
    簡単なフォーマットとして提供しています。

    私はこの事を考えていると、
    「カラオケ」というのも、
    日本独特の「芸術の民主化」である、
    その様に感じるわけです。

    またアートシーンを観てみても、
    非常に私が尊敬する、
    芸術家の「彦坂尚嘉」さんの、
    「切断芸術運動」は、
    こういった世の中の流れを、
    如実に表現しており、
    またそれを純粋芸術として、
    具現化していると考えています。

    彦坂尚嘉さんの切断芸術運動は、
    例えば写真を切断し、
    「右と左」「下と上」を入れ替える、
    という非常に簡単なフォーマットであり、
    スタイルであるのですが、
    これも古典的、
    基本的な芸術構造を持っており、
    それが誰でも簡単に具現化できる、
    フォーマットとして提示されています。

    この辺の、
    現代における「芸術の民主化」、
    そして誰もが「クリエイターになる時代」、
    というものを凝縮し、
    純粋芸術として提示している凄さというのは、
    本当にリスペクトするのです。

    そしてこの様な現代の芸術の状況から、
    私たちはどの様な存在であるべきなのか、
    特に、
    「アート」を「専門」とする人間は。

    それは、
    「アーティスト」とは、
    発明された「フォーマット」、
    または「スタイル」の中で、
    「表現を模索」する「表現者」ではないのです。

    それはもう「民主化」されており、
    世界中の誰もが、
    例えば「TikTok」などを通じて、
    「簡単に表現」できる時代なのです。

    その中で「アーティスト」は、
    「創造者」として、
    その「フォーマット」や「スタイル」を、
    「産み出す役割」を担うのです。

    つまり現代において、
    「個」としての「作品」を作るのは、
    アーティストの役割ではありません。

    それは「芸術の民主化」により、
    誰もが簡単に世界中へ届ける時代なのです。

    では「アート」の専門家は、
    つまり「個」としての「作品」を作るのではなく、
    それが生成されるべき「環境」を作る、
    それは「アーキテクチャ」です。

    これらの現象はあらゆる所で観られ、
    テクノロジーやビジネスでも、
    グーグルやアマゾン、フェイスブックなど、
    世界を先導している存在は、
    「アーキテクチャ」を提供している、
    つまり「プラットフォーム企業」なのです。

    これらは「アート」でも同じであり、
    「現代」の「アーティスト」は、
    いかに「バズる」、
    「フォーマット」や「スタイル」を、
    産み出せるのかというのが、
    「現代」の「アーティスト」の、
    「やるべき事」なのです。

    例えば純粋芸術では、
    マルセルデュシャンは「インスタレーション」を、
    「バズ」らせました。
    村上隆は「マンガ」を、
    「バズ」らせました。

    つまり「現代」の「アート」において、
    「個」としての「作品」を作る事が、
    「アーティスト」の「やるべき事」でない以上、
    「個」の「作品」を作るための技巧は、
    「全く必要無い」のです。

    それ以上に、
    「フォーマット」や「スタイル」を産み出す、
    「知性」や「教養」、
    「思考力」などが「必要」なのです。

    つまり現代の日本の、
    「芸術大学」「美術大学」では、
    「まったく必要の無い教育」が行われています。

    これからの時代、
    本物のアーティストは、
    「テクノロジー系」や「思想系」「教養系」からしか、
    おそらく出てこないでしょう。

    それは「アート」というものを、
    「アート」を目指す人たちが、
    「勘違いしている」という、
    「絶望的な状態」が、
    日本には存在しているからです。

    まぁとりあえず、
    みんな「TikTok」の動画でも、
    作って遊びましょうwww

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2018/11/09(金) 20:48:02|
    2. 美学・哲学
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    ネクタイを締める意味さえ疑わないで、毎朝当たり前にネクタイを締めて会社に行く、そんな貴方の人生にそもそも意味なんてあるのだろうか?

    そもそも私達は人生において、
    考えるべき順番を間違ってしまっているのでは、
    ないだろうか?

    哲学者の池田晶子が言っていたことが、
    いつまでも私の脳裏に焼き付いているわけです。

    人間、
    「人生をどう生きようか」と悩む前に、
    「なぜ生きているのか」を考えなければならない。

    その言葉は今でも忘れられない、
    なぜならばその言葉は、
    私に対してあらゆる事に反省を促すのです。

    そもそも私の人生、
    そして貴方の人生において、
    その「人生」に「意味」を与えているのは、
    誰でしょうか?

    それは「私自身」、
    「貴方自身」なのです。

    「意味」は与えられているように感じるが、
    実は貴方が「意味」を与えているのです。
    それは貴方や私の意識が、
    「我」にしかない事からも理解できます。

    「私」の「意識」が無くなった時、
    「我」が「死」んだ時、
    全ての「意味」は無くなるのです。

    そう言ったことからも、
    人間にとって「意味」とは、
    「私にとっての意味」の中にしか、
    「意味」は存在しないのです。

    ですから「意味」とは、
    「私にとっての意味」と同義なのです。
    私達は「意味」とは、
    「全ての人間」にとって「共有しているもの」、
    と思い込んでいるわけですが、
    「意味」とは、
    「私にとっての意味」であり、
    それは「貴方自身」が、
    「主体的に与えているもの」なのです。

    私達現代の人間は、
    「意味の思考」のほとんどを放棄しているのです。
    それはある種「盲目的」と言っていいでしょう。
    貴方は、
    貴方が人生で見聞きした「意味」を、
    そのまま「私にとっての意味」として、
    貴方自身が「意味を与えている」のです。

    「意味」は、
    「貴方自身」が「与えている」のであって、
    「他人」に「与えられている」ものではありません。

    そもそも私達は、
    「意味は与えられるもの」として生きています。
    だからこそ、
    「意味そのものを疑う」という行為、
    それは「思考」ですが、
    それをそもそも放棄してしまうわけです。

    私達「人間」は、
    「意味」そのものを、
    「与えること」ができる「主体」なのです。

    そう言った事をそもそも忘れてしまっている、
    だからこそ「思考停止」し、
    「盲目的」になるわけですが、
    「人間」は「意味を与える」存在である、
    その様な認識に立てば、
    自ずと「意味を与える」、
    原理的な「思考」を、
    ある種「ホメオスタシス」として行うのです。

    そしてここで「人間らしさ」というものを思考します。

    「人間らしさ」とは一体なんでしょうか?
    それは「意味を与える事」です。
    そして、
    その「意味を疑う事」です。

    人間はこの創造と破壊の反復を行う、
    それが「生きる」という事なのです。

    現代の人間は、
    この両方を放棄しているのです。
    「意味は与えられ」、
    「意味を疑わない」、
    これはまさに「人間では無い」のです。

    つまり、
    「人間には意味」がありますが、
    「人間では無い」のであれば、
    それは「意味が無い」のです。

    現代の人間というのは、
    「意味の無い世界」を生きているのです。

    少なくとも「人間」として「生きる」のであれば、
    「現代の人間」というものを、
    「反省」しなければなりません。

    美学者母
    1. 2018/11/08(木) 03:10:12|
    2. 日常
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    堀尾貞治さんが亡くなって。具体美術から嶋本昭三、堀尾貞治を通して関西の美術シーンを考えてみる(金魚の糞の取り巻きはさっさと消えろ)

    具体の堀尾貞治さんが、
    昨日亡くなったという事で、
    私も大阪で生まれ育って、
    具体というものには、
    多少の影響も受けたので、
    何かしらの発言をしておきたいのです。

    私が具体を意識したのは、
    今から二十年ちかく前に、
    嶋本さんの弟子のLOCOさんという作家の、
    作品が気になって、
    その時は具体とかあまり知らなかったのですが、
    LOCOさんが嶋本さんの弟子で、
    そこから嶋本さんの本とか読んだり、
    美術史なんかを調べたりで、
    具体を知っていったのです。

    その後、
    具体が再評価され始めて、
    嶋本さんが色々なメディアに出だしたりしてましたね。

    CMとかにも嶋本さんが、
    クレーンで吊るされて、
    絵の具が入ってる瓶を落とすパフォーマンスとかね。

    堀尾貞治さんは、
    大阪とかで一度は展覧会すると、
    堀尾貞治さんの名前が記帳されてるのは、
    有名な話ですが、
    私が昔した展覧会でも堀尾貞治さんの記帳があって、
    あ〜この人具体の人なんやなぁ〜、
    程度に思っていました。

    そんなこんなで、
    私も20年以上関西のアートを見てますが、
    世界的な具体美術の再評価もあり、
    実際に白髪一雄の作品は、
    サザビーズで5億とかで売れてますね、
    それでそれ以降、
    具体関係の人の取り巻きというのが、
    どんどん増えていってるのを観て、
    私は本当に気持ち悪いなぁ〜って、
    かなりの嫌悪感を抱いていたわけです。

    再評価された具体の人たちも、
    その時にはかなり高齢になっていて、
    みんないいおじいちゃんって感じで、
    色々ちやほやされて嬉しかったのでしょうね。

    具体の人たちも、
    「権威」や「お金」も入ってきて、
    いっぱい人が寄ってくるようになって、
    まぁいい気分だったのでしょう。

    嶋本昭三さんもその取り巻きも、
    堀尾貞治さんもその取り巻きも、
    やっと本人たちが亡くなって、
    私が感じていた嫌悪感ってなくなるかもしれませんが、
    いまだに嶋本昭三さんの名前使って、
    どうにかしようって腐った人間がいますから、
    堀尾貞治さんもそういった腐った人間がいるでしょうね。

    そもそも、
    具体美術協会のリーダー吉原治良は、
    なんて言ってたんでしょうか?

    「人のまねをするな」

    これが具体の根本ですよね。

    私は具体美術やその作家、
    嶋本昭三さん、
    堀尾貞治さん、

    その他の作家はとてもリスペクトしています。

    だからこそ、
    誰とも馴れ合わず我が道を行っています。
    これは「具体」に教わった事です。

    しかし「具体」の現代の取り巻きは、
    嶋本昭三さん、
    堀尾貞治さん、

    そんな人たちの「名前」や「権威」の恩恵を、
    いかに自分に取り込めるかという、
    まさに「具体」が一番嫌った人間たちです。

    それは本人たちは良しとしたかもしれませんが、
    その時の彼らは「いいおじいちゃん」ですから、
    それを鵜呑みにして、
    金魚の糞みたいに取り巻いていた奴らは、
    本当に糞なのです。

    少なくとも私は、
    人一倍「具体」を愛していますし、
    彼らの偉大さも知っています。
    だからこそ、
    この様な文章を書かせていただきます。

    堀尾貞治さんのご冥福をお祈りいたします。

    美学者母

    テーマ:アート・デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2018/11/05(月) 00:23:22|
    2. アート
    3. | トラックバック:0
    4. | コメント:0

    アート投資について(アート投資の本質はデリバティブであり、アートは信用商品であるという事)

    私はアート活動をしているわけですが、
    美学というものを通して、
    「美しいとは何か?」「醜いとは何か?」、
    そしてそこから、
    「価値とは何か?」というものを、
    研究してきているわけです。

    昨年などは「価値」というものを研究する為に、
    「仮想通貨、暗号通貨」というものを、
    実際にトレードしたりしていたのですが、
    市場のあまりの狂乱ぶりに、
    人間の恐ろしさを知った次第です。

    実際「仮想通貨、暗号通貨」で儲けた人は、
    実は少ないのではないかと思います。

    少なくとも私は、
    自らの審美眼の力で、
    「仮想通貨、暗号通貨」では、
    少しだけ儲けさせて頂きました。

    この様に「仮想通貨、暗号通貨」を観ても解る様に、
    一年前には200万円を超えていたものが、
    今では70万円になっているビットコイン。

    それだけでも「価値」って一体なんなんだ?
    と皆さんも考えてしまう問題だと思います。

    自分が持っている一万円札は、
    本当に一万円の価値があるのだろうか?
    自分が持っている土地は、
    本当に一千万円の価値があるのだろうか?

    そういう根本原理を知る為にも、
    「批判精神」というのは、
    かなり有効な態度だと考えているわけです。

    自分が持っている一万円札は、
    本当は一万円の価値が無いのではないか?
    自分が持っている土地は、
    本当は一千万円の価値が無いのではないか?

    そう言った「批判精神」から、
    まずあなたの思考を始める事、
    これは「価値」を知る上でとても重要な、
    エレメントなのです。

    この様な思考は、
    もちろん私の「美学」「美術」の研究でも、
    当たり前に使用している方法ですし、
    この社会のありとあらゆるものに、
    実践できる「思考方法」だと考えています。

    この様に「価値」というものが、
    不確実な時代に入り、
    私の所にも、
    「アート投資」に関して相談をしてくる方が、
    数年前からチラチラと現れてきています。

    実際に直近でも、
    アート投資のコンサルティングを兼ねて、
    色々回る予定です。

    私は昔から私の美学として、

    「美」とは「愛」であり 「愛」とは「人」である
    https://www.machromatic.net/column_0006.html

    この様に定義しています。
    つまり「美」とは、
    「人」そのものであるから、
    それ以上の「価値」は存在しないのです。

    この世の中で最も尊い価値の一つ、
    それは「美」であるわけです。

    つまり私がいう「アート投資」とは、
    この「本質的な美」に「投資」するわけであり、
    「投資」としては最善の投資です。

    しかし「アート投資」の難しさは、
    その「本質的な美」を持っている作品を、
    一般の人は見分けられないという事です。

    この様な現象は、
    人間が進化すればするほどに、
    「本質的な美」に対し、
    「盲目的」になっていくので、
    少なくともその「本質的価値」は、
    上昇していきます。

    これが所謂現代アートのカラクリであり、
    資本主義でのアート価格の高騰の原理なのです。

    なぜ「現代美術」は「高騰」するのか、
    それは、
    その「本質的な美」が、
    誰の目にも観えなくなっていくからなのです。

    私はアートはデリバティブであるという、
    「デリバティブアート宣言」というものを、
    宣言しています。

    このアートはデリバティブであるのだという考えは、
    アートはなぜ高騰するのかという原理を、
    深く理解することにつながります。

    それはもうアートは、
    アートそのものの価値を、
    理解できる人が急速的に少なくなるという、
    ある種アートの副次的価値によって、
    資本主義の数値上、
    指数関数的に価値が爆発しているのです。

    原理的に「アートの価値」というものは、
    人間が近代的に進歩すればするほど、
    資本主義の数値上上昇するしかあり得ないのです。

    これが、
    「現代アート、現代美術」の、
    基本的な資本主義上の価値爆発の原理なのです。

    これらは資本主義上のアートの価値増大の原理ですが、
    「古典」や「近代」「現代」含めて、
    アートの価値というか、
    様々な価値の原理というものは、
    結局のところ「信用」なのです。

    その時代その時代で、
    信用を担保しているエレメントは変化します。

    古典だったら「王様」「貴族」、
    近代だったら「批評家」「思想家」、
    現代だったら「資産家」「投資家」、

    その様な「信用」を与える主体は変わるのですが、
    結局の原理は一つであり、
    それは「本質的な美」に「価値」があるのです。

    それが見た目上の価値の定量化として、
    身分を与えられたり、お金になったりという、
    「価値の媒介の変化」があるだけなのです。

    私たちは結局のところ、
    「真理としての価値」は、
    「美」という「体験」にしかありません。

    それが現代では、
    定量的な数値としての「資本」、
    つまり「価格」として認識できる、
    その様な事を深く理解しなければなりません。

    私の所にも「アート投資」をしたいという方々が、
    多くなってきていますが、
    まずこの様な原理や真理を知り、
    知性的で文化的なアート投資を進めています。

    しかし、
    私はアートが高騰する事自体には肯定的です。

    なぜなら私たちは、
    嫌でも資本主義の中で生きているわけであり、
    資本主義においての、
    「価値の表層」とは、
    「資本」に他ならないからです。

    すでに私は、
    「ポスト資本主義」の「アート」を研究し、
    それを「宣言」として発表していますが、
    まだ私が生きているうちは、
    「資本主義」が「終わる」という事はないでしょう。

    私の作品は300年後、500年後に、
    評価されれば嬉しく思いますがwww

    まぁ「アート投資」に興味があって、
    この様な私の考えに共感できる方には、
    「アート投資コンサルティング」しますので、
    お気軽にご相談ください!!!

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2018/11/02(金) 22:05:54|
    2. 経済
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    4. | コメント:0

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    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





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    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















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    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
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    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





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