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    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きる(Re-paradigm shift)、ニルヴァーナへの到達。(命の危険と存在の不安)

    さて美学者母です!!!
    現在2020年4月27日の朝方でございますwww
    完全に世の中とは時間が逆になってしまい、
    昼間は基本的に寝ていますwww
    ある意味この深夜の静けさが心地よく、
    社会との距離というものを非常に感じ、
    深夜型生活の方が、
    ある種客観的に社会を観る事ができるのも事実です。
    まぁ現在は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、
    世の中が騒がしいので尚更です。
    僕は30歳に初めて「覚り」を体験しました。
    そして先日2回目の深淵な「覚り」を体験しました。
    自己も含めて社会などが混乱している時の方が、
    覚りの境地を体験しやすいのかもしれません。
    私は仏門に入ったわけでもないのですが、
    様々な領域の研究を通して、
    仏教というものが現在において、
    非常に有用なものであることを実感しています。
    ですのでどこかの教団に入っているわけではなく、
    仏教というものを重要にしている一人の日本人です。
    そもそも家系的には、
    浄土真宗本願寺派・西本願寺だと思われます。
    しかし私は家系的なものは一切考慮していません。
    その上で私が影響を受けた仏教の考えは、
    当然仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の、
    考えであり。
    それにもっとも忠実的であろうと捉えているのが、
    大乗仏教であり、
    龍樹(ナーガールジュナ)の中論をベースにした考えです。
    私はその中でも最近は、
    日本伝統仏教13宗の中でも、
    禅宗である曹洞宗や臨済宗に影響を受けている。
    私はそもそも芸術を専門としているので、
    学びとしては西洋学問的価値観をベースに、
    その様な学ぶ事を行なっているわけです。
    それは日本の学校教育がそもそも、
    西洋的価値観に基づいて、
    日本に根付かせた。
    その西洋の芸術という価値観を学ぶには、
    当然その様な西洋学問的価値観を前提として、
    その学びにアプローチするわけです。
    しかし日本における学校システムといいますか、
    学問体系といいますか、
    もう色々と無理な時代になっているのですね。
    それはあからさまに、
    明治以降日本の学校は、
    いかにいい軍人を作るのか、とか。
    いかにいい官僚を作るのか、とか。
    戦後は、
    いかにいいサラリーマンを作るのか、とか。
    ある種明治期の産業革命を彷彿とされる様な、
    いかに均一で同一で従順な日本人を、
    一律に大量生産するのかという。
    一つの理想的で虚像的な典型的日本人を、
    金太郎飴の様に社会へ供給するシステムこそが、
    西洋学問的価値観を輸入し、
    その上で日本で現在も続く学校システムなのです。
    しかしこの様な西洋学問的価値観をベースにした、
    学校システムでは、
    現代社会で機能する人間が産み出せなくなっている。
    その様な事実が現実としてあります。
    つまりこれは根本原理として、
    西洋の一神教的価値観をベースにした、
    「一つの答え」という導き、
    言い方を変えれば「完全」を求める思考、
    それがもはや機能しない時代になっているのです。
    私はその様な考えの上で、
    西洋の芸術や美術、
    哲学や美学を学び、
    やはり同じ様に西洋の学問、
    思想、哲学、美学、思考、視座。
    その様なものの行き詰まりを、
    まさに体験するわけです。
    しかしそこは、
    私はそもそも西洋人ではありません、
    日本人です。
    だからこそ仏教という、
    思考や視座に可能性を観ることができ、
    私は「覚り」の体験を通して、
    仏教的視座の現代における機能性を、
    強く実感しています。
    それは正に、
    日本を代表する哲学者である。
    京都大学名誉教授。
    京都学派の創始者、
    西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」、
    という考え方に自然に引き寄せられるのかもしれない。
    これらを誤解を招く事を前提に、
    世俗的に簡便に要約すると。
    西洋的価値観を「完全」を前提にしているならば、
    私たち日本的価値観は「不完全」を前提にする。
    つまり私たち日本人が持つ、
    正に現在の現実にある。
    ある種の「生きづらさ」。
    2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きるには、
    明治以降から続く西洋学問的価値観である。
    「完全」を捨て去り、
    もともと私たち日本人が持つ価値観。
    「不完全」を「引き受ける」という生き方。
    そしてそれを原理にした、
    視座や思考を持つという事、
    そしてそれを実践するという事、
    その様な、
    「Re-paradigm shift」
    が急務であると実感しています。
    では具体的に私たちは、
    どの様に「不完全」を生きていけばいいのか。
    それは今回のコロナパニックでも理解できる様に、
    人間が全てをコントロールできるのだという、
    その様な人間の傲慢な考えを捨て去る事です。
    人間の分際を知る事です。
    私たちはコロナウィルスをコントロールできません。
    だから「完全」にコロナウィルスを無くそうとか、
    「完全」なコロナウィルス対策をしようとか、
    この様な「完全」を求める思考や視座こそ、
    「虚構」である事を理解する事です。
    これは正に「西洋学問的価値観」の「完全」です。
    私たち人間は「不完全」であり「愚か」であるのです。
    その「不完全」であり「愚か」である事を、
    まずは「自己」として「引き受け」なければなりません。
    それこそが「仏教」における「自灯明」を、
    拠り所とするという実践です。
    この世界に「完全」なものは何一つありません。
    無いものを有るというのが「西洋学問的価値観」なのです。
    それは正に「虚構」なのです。
    この事を私の言説で表現すれば。
    「西洋学問的価値観」というものは、
    時間軸に対して正対し、
    時間という概念の元、
    後から先へと人間は進歩し進化する。
    つまり人間は、
    過去より現在、
    現在より未来の方が有能である。
    しかし人間の真理は、
    時間軸に対して横を向いているのです。
    それは人間の存在とは刹那的世界のみに存在し、
    時間軸は並列にこの刹那に同時に存在している。
    これはある種、
    私たちの「認識」と「真理」の不完全性です。
    2020年コロナ禍の本質は正にこの事にあります。
    世界がグローバリズムという価値観の元、
    一様に同じ「完全」の虚構の元、
    「不安」を共有し「パニック」を起こしています。
    これは正に「グローバリズム時代」を原理に持つ、
    世界同時的な「存在の不安」という現象です。
    私たち人間も「生物」ですから、
    そもそも「命の危険」というものから、
    「命」を守ろうとしていた時代がありました。
    しかし私たちは「人間」です。
    もはや「命の危険」によって、
    「命」を無くすよりも、
    「存在の不安」によって、
    「存在」を無くす方が、
    上回る時代に生きているのです。
    この「世界」や「社会」、
    「会社」や「家族」「友達」、
    「組織」や「恋人」、
    その中での「存在の不安」によって、
    「存在」を無くすよりも先に、
    自らの「命」を無くしてしまうのです。
    皆様にはこの現実が理解できるでしょうか。
    この様な「存在の不安」を無くすには、
    まず「人間」の、
    つまり「自己」の「不完全」を引き受ける事です。
    「自己」の「不完全」を引き受けるとは、
    まず「生きている」という認識を改める事です。
    それは「生かされている」とも違います。
    むしろ強制的に「命」を「課されている」、
    その様に認識するべきです。
    私たちは誰に頼まれて、
    この世に生まれてきたのでしょう、
    誰が私の名前をつけたのでしょう、
    誰が私という人格を作ったのでしょう、
    誰が私という性格を作ったのでしょう。
    少なくとも私は、
    私が望んで「存在」しているわけではありません。
    つまりその様な現実的に「不完全」な「自己」、
    それを「引き受ける」。
    それが「存在の不安」を無くします。
    そしてその様な、
    「不完全」な「自己」の「存在」は、
    つまり「自己」だけでは「存在」し得ないのです。
    それは「自己」は「他己」との関係にのみ、
    「存在」し得るのです。
    これは「存在」の「真理」であり、
    つまり「存在」とは「関係」であり、
    それを仏教では「縁起」と言います。
    つまり「自己」という「存在」の「真理」とは、
    「私」とは、
    それは「自己」と「他己」における「機能」なのです。
    これはすなわち、
    西田哲学的にいうと、
    「自己」と「他己」の、
    「絶対矛盾的自己同一」の上で、
    「私」という「自己」と「認識」しているものは。
    「機能」であるのです。
    (最後にまとめ)
    「自己」も「他己」も含めて「私」である。
    その様な事が今回の言説で理解でき、
    それはある種仏教的な「慈悲」につながる、
    視座や思考であると理解できます。
    現在の混迷の世の中で、
    私の言説が皆様の「法灯明」となれば幸いです。
    美学者母
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    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/04/27(月) 04:51:17|
    2. 美学・哲学
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    原油価格がマイナス化した意味。所有時代の終わりとシェアリングエコノミーの本質化。(物質主義から情報主義へ)

    以前に金融経済での、
    相場の底値というものの原理、
    すなわち底値が切り上がる原理を、
    言説しました。
    https://www.machromatic.net/column_0364.html
    その上で今回、
    2020年4月20日に史上初めて、
    原油価格がマイナス化したというニュースがあり、
    今回その事も合わせて言説したいと思います。
    まず私の言説の上での定義として、
    実体経済=物質主義
    金融経済=情報主義
    という定義で言説しています。
    私が以前言説した、
    底値の切り上がりの原理の相場は、
    金融経済=情報主義、
    「通貨」対「情報」、
    においての相場の原理であると、
    ご理解いただきたいのです。
    例えば為替のような、
    「通貨」対「通貨」というものには、
    適応しません。
    具体的にどんなものが、
    それに当たるのかというと、
    実体のないものがそれに当たります。
    例えば、
    ビットコインなどは一番いい例だと思います。
    もっと身近なものでいえば、
    NYダウ平均は100年間上昇し続けています。
    このビットコインとダウ平均の共通点は、
    実体が無い「情報」という事です。
    ビットコインは皆様もご存知の通り、
    「情報」であり「物質」として存在していません。
    NYダウ平均もアメリカの代表銘柄の、
    株価平均型株価指数なので、
    「情報」であり「実体」として存在していません。
    しかしこのビットコインとNYダウ平均などでも、
    実体経済に近いものと遠いものなどがあります。
    ビットコインとNYダウ平均では、
    実際に実体がある株式会社の株価平均、
    その様な意味では、
    NYダウ平均の方が実体経済に近いと言えます。
    その上で今回の「原油価格のマイナス化」は、
    現在の世界にとってどの様な意味を持つのか、
    という事を考察していきます。
    では今回の「原油価格のマイナス化」は、
    どの様な状態かと具体的に言いますと。
    原油を引き受けると現金を頂ける。
    つまりガソリンを給油したら、
    お金を支払うのでは無くて、
    お金が貰えるという状態です。
    もはやこれは異常な状態なわけですが、
    同時に「物質主義」の時代が完全に終わったと言えます。
    もはや「何かを所有している」という事の、
    「コスト」が「パフォーマンス」を上回る。
    その様な時代であるわけです。
    これまでの時代というのは、
    「所有」というものに「価値」が生じていました。
    それが完全にパラダイムシフトしています。
    それは例えば今回の「コロナパニック」で、
    「テレワーク」が推奨され、
    「オフィス」を所有すること自体が、
    「コスト」であり「リスク」である。
    その様な事が顕在化してきています。
    家、土地、車などの、
    物質的資産を所有している事が、
    価値を所有している事の自明であり、
    それは同時に幸福であったわけです。
    しかしこれからの時代は、
    その様な家、土地、車などの、
    物質的資産を所有している事が、
    コストである事が、
    パフォーマンスを上回る時代が訪れています。
    今回のコロナパニックによって、
    完全に世界のパラダイムシフトが起こっています。
    もはや世界は、
    「持たざる者の時代」
    になっていると、
    考えられるのではないでしょうか。
    これまでは、
    「持っている事」に「価値」が生じていた時代。
    しかしこれからは、
    「持たざる事」に「価値」が生じる時代。
    そしてこれまで余分に持っていた人間たちは、
    それをお金を支払って誰かに引き取ってもらわなければ、
    コストだけがどんどんと膨らんでいく。
    その様な時代になっています。
    「物理的所有」
    「物理的移動」
    「物理的交換」
    これらの終焉がまさに
    「物質主義の終焉」であり、
    「情報主義の始まり」なのです。
    そしてアートでこの様な世界を予見したのが、
    私、美学者母の「ウェブアート宣言」であり、
    ウェブインスタレーションという概念なのです。
    どうぞ皆様も、
    「情報主義」という世界を前提に、
    世界をサヴァイブしていってください。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/04/21(火) 17:05:19|
    2. 日常
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    世界はなぜ風邪(新型コロナ)でパニックになったのか。(インフォデミック時代の生き方)

    genjitu.jpg




    どうもぉ〜!!!
    美学者母です!!!
    世界は新型コロナウイルスでのパニック真っ只中。
    日本の現状は、
    2020年4月7日〜5月6日まで、
    緊急事態宣言が発令され、
    本日は4月16日です。
    さらに各都道府県では、
    人が密集する様な場所での営業自粛要請、
    またオフィスなどへの出勤も、
    出来るだけ控える様に要請されています。
    この現状はある意味、
    日常の停止であり、
    経済活動の停止が現実に起こっている状況です。
    さらに今後、
    企業の倒産や失業者の増加などで、
    不景気が起こる事は間違い無いでしょう。
    この様な現状の中で、
    私たちはしっかりと、
    考えていかなければなりません。
    しかし正にコロナパニックの真っ只中で、
    現状が把握しきれない状態ではあるのですが。
    私たちは本当に今回の風邪(新型コロナ)で、
    今回の様な破壊的なコストをかける必要が、
    本当にあったのか?
    私は正にコロナパニック真っ只中で、
    そのことを真剣に考えているのです。
    その上で今回、
    美術が専門の私が。
    美学、芸術学などの観点から、
    今回の「新型コロナパニック」の、
    批評を言説したいと思います。
    まず今回の「新型コロナパニック」の、
    インフォデミックを捉えるのに、
    現代というものは、
    どういったものなのかという認識を、
    しっかりと認識する必要があり。
    その上で「芸術」というものは、
    とても有効な認識対象であり、
    特に視覚芸術は、
    ある意味その時代の表象とも認識できる。
    現代の芸術というものを認識する上で、
    その前時代である近代の芸術を理解し、
    相対化する事で、
    現代における芸術というものが、
    浮かび上がってくる。
    さらにその現代の芸術と、
    現代の日常というものを、
    相対化する事で、
    現代の日常、
    つまりコロナパニックが起こった、
    私たちの現代の日常の本質に迫る事ができる。
    そして私たちの現代の日常の本質を知り、
    今後この様なインフォデミックに対して、
    世界は何を優先させていくべきなのか、
    という方向性を探る事ができるのではないか。
    ※添付図参照
    ではここから、
    まず近代においての「日常」と「芸術」、
    それを考察していきたいと思います。
    しかし近代をいつまでとするかというのも、
    様々な視点により異なりますが、
    概ね20世紀中頃までとする事が多いでしょう。
    しかし芸術的観点からマルセル・デュシャン以前が、
    近代という認識において言説していきます。
    つまり今回の言説においての、
    近代と現代の定義は、
    マルセル・デュシャン以前が近代であり、
    マルセル・デュシャン以後が現代とします。
    では具体的に近代においての芸術とは、
    近代においてどう考えられていたのか、
    それは添付図でも理解できる様に、
    「日常的現実」と「芸術的現実」、
    という相対化によって、
    理解する事ができます。
    では近代における「日常的現実」とは、
    どの様なものだったのか。
    それはルネサンスから始まった、
    ある種のヒューマニズムの時代の上にある、
    「日常的現実」、
    その様にとらえる事ができるでしょう。
    近代においての日常的現実は、
    ルネサンス以前の日常的現実とは違い、
    神という「絶対」から、
    人間という「矛盾」へと、
    日常的現実を変化させた時代であったのです。
    それはつまり近代の日常的現実とは、
    神という存在(絶対)では無く、
    人間という「リアリティ」(矛盾)が、
    近代の日常的現実であったのです。
    そして近代の人間にとって、
    日常的現実とは、
    ヒューマニズム的リアリティであり、
    それは「矛盾」そのものであったのです。
    その様な「日常的現実」における、
    「矛盾」は、
    ルネサンス以前は、
    「神」(絶対)というものに包摂され、
    またその「神」(絶対)を偶像した芸術に、
    人々は安定した状態を保っていたわけです。
    しかし近代のヒューマニズムにおける芸術は、
    矛盾を抱えた人間が制作しているわけで。
    その様な状況からコンラート・フィードラーが、
    芸術学を創始し、
    美学とは一線を画した制作プロセスを重視した、
    考え方が近代の芸術を芸術論として担保してきた。
    その様な制作プロセスを重視した芸術論は、
    日本の哲学者西田幾多郎などにも、
    かなり強い影響を与えている。
    西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という、
    考え方にも繋がっている。
    現在の日本の大学、
    芸術学部などの実践主義は、
    この様なフィードラーの芸術論や、
    西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」が、
    理論的担保となっていると考えらえれる。
    またフィードラーや、
    西田幾多郎の芸術論は、
    作品は作家の「芸術活動」の痕跡に過ぎず、
    作品に重要性を観ていなかった。
    その上で作品と鑑賞者をどう捉えたかというと、
    現象学的美学での現象学的還元として、
    作家の制作プロセスの追体験(フィクション・感性)。
    それらを芸術的現実とし、
    「日常的現実」の「矛盾」に相対的に、
    「芸術的現実」の「絶対」として、
    それらのフィクションを感性的に捉え、
    「絶対矛盾的自己同一」の芸術論を理論として、
    人間の安定性を保っていたのが近代であるわけです。
    この様な事から「近代」では、
    「日常」に「矛盾」( リアリティ)を体験し、
    「芸術」に「絶対」(フィクション)を体験していた。
    その様な時代です。
    ではその「近代」に対し、
    コロナパニックが起こっている、
    「現代」の「日常的現実」と「芸術的現実」、
    それは添付図でも理解できる様に、
    近代での「芸術的現実」が、
    現代の「日常的現実」となっている事が理解できます。
    これは簡単に説明すると、
    近代では芸術的現実であったものが、
    現代ではあらゆる意味で、
    それが日常的現実になってしまった。
    もっと簡単に言うと、
    近代での芸術的現実が、
    現代では当たり前になり、
    日常的現実に変化したわけです。
    それは具体的に、
    写真や映像、
    インターネットや携帯電話、
    CGやAR、
    アイフォーンやパソコン。
    つまり添付図でも理解できる様に、
    現代の日常的現実は、
    「フィクション」(感性)に変化したわけです。
    そしてその様な現代の日常的現実に相対的に、
    現代の芸術的現実は、
    近代の芸術的現実「フィクション」(感性)から、
    現代の芸術的現実「シミュレーション」(知性)へと、
    変化したわけです。
    まさにその変化のトリガーとなったのが、
    マルセル・デュシャンの「泉」なのです。
    これが世間的に言われる、
    難しくてよくわからない、
    「現代アート」「現代美術」の正体です。
    そして未だに「芸術は感性だ!!!」、
    なんて言っている人々は、
    未だに「近代」を生きている人間であり。
    さらに言うと、
    本来的に近代の芸術を担保してきた、
    フィードラーの芸術論や、
    西田幾多郎の、
    「絶対矛盾的自己同一」を理解できないのです。
    なぜなら、
    現代の芸術的現実「知性」(シミュレーション)を、
    体験するには、
    その芸術に対する知性的能動性と知性的受動性の、
    「絶対矛盾的自己同一」が必要ですが、
    近代の芸術的現実「感性」(フィクション)を、
    体験するにも、
    その芸術に対する感性的能動性と感性的受動性の、
    「絶対矛盾的自己同一」が必要なのです。
    ではここから結論として、
    今回の新型コロナウイルスのパニック、
    つまりインフォデミックの本質が、
    ここまで言説してきた、
    美学や芸術論を通して浮かび上がってきます。
    それは今回のコロナパニックだけでなく、
    例えばフェイクニュースやポスト真実などにも、
    同一の本質が言えます。
    それは現代における「日常的現実」とは、
    フィクション(感性)であるという本質です。
    つまり現代の人間の私たちは、
    フィクション(感性)という日常的現実を、
    生きている。
    ではそこで本質的な「現実」を体験し、
    認識しようとした時に必要なもの、
    それが相対的にある現代における、
    芸術的現実「知性」(シミュレーション)なのです。
    つまり現代の日常的現実「感性」(フィクション)の時代に、
    さらにその「感性」(フィクション)を増幅させている。
    それが今回のコロナパニックであり、
    インフォデミックです。
    もはや「現実」が見えないのです。
    私たち人間になぜ「芸術」が必要なのか?
    それは人間は「日常的現実」だけでは、
    本質的な「現実」が認識不可能だからであり、
    人間には「芸術」、
    つまり「芸術的現実」が絶対的に必要なのは、
    本質的「現実」を認識し体験する為です。
    それが現代において、
    フィクション(感性)では無く、
    シミュレーション(知性)なのです。
    この様なインフォデミックが発生する現代に、
    深淵なる知性と思考が最も必要です。
    それは本質として、
    「現実」を見失わない為の「芸術」が、
    現代において「知性」であるという結論です。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/04/17(金) 02:36:24|
    2. 美学・哲学
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    緊急事態宣言!!!物理的移動が高コスト高リスクの時代の最先端アートとは。(中央集権型から分散型へあらゆるものがパラダイムシフトする)

    2020年4月7日に、
    新型コロナウイルスへの対策として、
    緊急事態宣言が発令された。
    2010年5月9日。
    私は「ウェブアート宣言」を宣言した。
    https://www.installation.jp/
    さてこの様に私美学者母は、
    ちょうど10年前に「ウェブアート宣言」を宣言した。
    そしてそれから10年後、
    新型コロナウィルスへの対策として、
    緊急事態宣言が発令された。
    僕は10年前の「ウェブアート宣言」を宣言した時に、
    何を考え、
    そして何が観えていたのだろうか。
    その様な一端が少し今回の、
    緊急事態宣言で皆さんにも「見える化」された、
    その様に考えているのです。
    世界の真理とは、
    私がどうしようが、
    皆さんがどうしようが、
    道理に従っていくだけなのです。
    私にはその「真理」が観えているからこそ、
    10年前に「ウェブアート宣言」を宣言しました。
    その後も「真理」の「道理」に従い、
    「スマートアート宣言」、
    「量子論美術宣言」、
    「デリバティブアート宣言」、
    など色々な宣言を行ってきました。
    それらの宣言の「原理」になるのが、
    10年前に宣言した、
    「ウェブアート宣言」です。
    では「ウェブアート宣言」の本質とは、
    一体どういうものなのか、
    それを今回、
    少し踏み込んだ形で言説したいと思います。
    私たちの世界というものは、
    とても不思議なもので、
    その時代その時代に、
    「貴重なもの」や「重要なもの」、
    それが移り変わっていくわけです。
    それはある種の「美徳」とも言えますが、
    あの時代に「美徳」とされていたものが、
    今では「害悪」とされている事など、
    無数に存在しています。
    またこの様な「代謝」も、
    「世界の真理」であり、
    ホメオスタシスを保つためには、
    アポトーシスが必要なのです。
    例えばそれはアートの表出形態でも、
    時代によって移り変わっています。
    それはアートだけに限らず、
    様々な社会的表出でも、
    移り変わっているわけです。
    例えば今回問題にしている「移動」でも、
    昔は東京-大阪を歩いて移動していたわけです。
    しかし現在は「飛行機」や「新幹線」で移動します。
    この様に私たちの「世界」というもの、
    それは「人間」というものも含めて、
    ある種「合理的」な世界へ引き寄せられる。
    「合理的」とは「恒常性」とも言えますが、
    すなわちホメオスタシスを保つためには、
    アポトーシスが必要なのです。
    では今回の新型コロナウイルスへの対策として、
    緊急事態宣言が発令された。
    この「コロナショック」によって、
    「見える化」され、
    表面化した問題とは一体何かというと、
    それはまさに「物理的移動の非合理性」なのです。
    そして私が10年前にアート作品として、
    「ウェブアート宣言」を宣言した、
    その大きな原理もまた、
    「物理的移動の非合理性」なのです。
    私は18歳からアート活動をしていますが、
    最初の10年位は絵や立体作品、
    インスタレーションなど、
    実際に全国色々なところを回りながら、
    アート活動をしていました。
    しかし10年くらい活動したある時に、
    その圧倒的に非合理的で、
    コストパフォーマンスの低い活動に、
    ある種恐怖を覚えたわけです。
    私は18歳からインターネットを使い、
    1998年くらいですから、
    本当にインターネットの黎明期から、
    インターネットを使っています。
    そしてちょうどその頃位には、
    高速インターネットも普及し、
    本格的なインターネット時代。
    その様な状況が重なって、
    インターネットでアート活動をする。
    それがまさに私には、
    非常に合理的であり、
    コストパフォーマンスも非常に高い。
    またこの様なアート活動が、
    当たり前の時代が来るであろうことも、
    容易に理解できたわけです。
    その上で私は、
    2010年に「ウェブアート宣言」を宣言し、
    ウェブインスタレーションという新しい、
    美術概念を発明しました。
    そして2020年4月、
    新型コロナウイルスへの対策として、
    緊急事態宣言が発令されたわけです。
    私も沢山のアート業界の方々と、
    ネットで繋がっていますが。
    美術館やギャラリーでの展覧会、
    様々なアートイベント、
    それらはもはや開催する事が出来ません。
    しかし私のアート活動は、
    全くの影響なく、
    この様にアート活動を通常通りしています。
    もはや、
    従来のアートの表出形態が、
    合理性を失っているのです。
    そして私は10年前には、
    もうそのことに気づき、
    アート活動、
    そして作品をインターネットへ、
    いち早く変化させたわけです。
    これらの現象をもっと論理的に、
    また合理的な説明をするとすれば、
    最先端の世界というのは、
    「分散型世界」「分散型社会」へ、
    移行しているという現実です。
    例えばアートで言えば、
    美術館やギャラリーでの展覧会、
    アートイベントなどは、
    「一つの場所」に「多数が集合」する。
    これはまさに「中央集権型」であり。
    私が実践しているウェブアートや、
    ウェブインスタレーションは、
    それぞれのデバイスのディスプレイが、
    私の作品であり、
    これはまさに「分散型」なのです。
    これらの「分散型」の考え方は、
    まさにビットコインなどの、
    ブロックチェーン技術などが有名ですが。
    これらの「分散型」という考え方自体が、
    あらゆる分野で合理的な考え方として、
    広がってくると考えています。
    それは近代において象徴的な、
    「万国博覧会」や「オリンピック」、
    それはまさに「世界中」から、
    物理的に「人が集まり」、
    そこで「祭」が行われるという形態。
    それは「アート」で言う、
    展覧会やアートイベントも同様の形態。
    近代ではその形態が、
    「貴重なもの」であり「重要なもの」、
    としての「合理性」があったわけですが。
    もう現在において、
    その様なある種「近代の美徳」、
    すなわち「中央集権型」自体が、
    現在において、
    「高コスト」「高リスク」であり、
    「非合理的」なものである。
    まさにその様な現実が、
    「潜在化」していたものが、
    「顕在化」した。
    まさにそれが、
    今回のコロナショックの本質なのである。
    そしてこれと同時に、
    「分散型社会」「分散型世界」、
    「ブロックチェーン」など、
    世界のパラダイムシフトは、
    スピードを増して広がるであろうし。
    私が提唱し発明した。
    「ウェブアート」や、
    「ウェブインスタレーション」の理解も、
    格段に進むであろうと期待している。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/04/08(水) 01:52:36|
    2. 美学・哲学
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    落合陽一などのサイエンスアートやメディアアートと工芸の同義性。(スペック-性能がファンクション-機能を超えた、オーバースペックに美は無く、ただただ愚かである)

    現在まさにコロナショックの真っ只中であり、
    これから長く続くであろう大不況の入り口に、
    さしかかっているのは、
    誰の目から観ても明らかな状況である。
    今回の新型コロナの流行は、
    パンデミック(世界的流行)と同時に、
    情報(Information)の流行(Epidemic)、
    すなわち「インフォデミック」とも言われています。
    現在のインターネット社会では、
    様々な情報が一瞬にして世界中に拡散し、
    さらに様々な個人が憶測やデマを流す事で、
    さらに混乱は大きくなっています。
    私は現在のこの様な現状は、
    表題にも書いた、
    スペック-性能がファンクション-機能を超えている。
    つまりオーバースペックにこそ、
    その問題の真理があると考えており、
    それがまさに「人間の愚かさ」なのだと感じています。
    この様な「人間の愚かさ」とは何かというと、
    それは「欲や見栄」です。
    人間というものは、
    私たちが思っている程、
    賢くもありませんし、
    万能でもありません。
    私たち人間は、
    本来の機能以上の性能を与えられると、
    本来の「人間」というものを「過信」し、
    そこに「神秘性」を幻想するのです。
    それは今回の新型コロナの流行で起こる、
    インフォデミックの様な現象でも、
    自らが発信する情報に「神秘性」を感じる事。
    他にもネット自警団の様に、
    「不完全な存在」に対して、
    自らが発信する情報に「神秘性」を観る。
    その様な「人間の愚かさ」を露呈するわけです。
    まぁこの様な事を私は最近考えていたのですが、
    ふと、以前に書いた落合陽一の事を思い出して。
    落合陽一の例えば「魔法の世紀」で言説している事と、
    ちょうど明治期にアートが輸入され、
    工芸という概念や言葉が産まれた、
    そのコンテクストと全く同じである。
    その様な事に気づいたのですwww
    工芸というのはそもそも、
    現在でいう工業と同じ様なもので、
    私たちが生活で日常的に使うものを、
    手仕事で造っていたわけです。
    しかし産業革命以後、
    様々なものが機械化に伴い大量生産され、
    その手仕事の職人たちをどうにか残そうと、
    それが所謂「伝統工芸」であり。
    それら「工芸」を「アート化」したものが、
    「美術工芸」なのです。
    この「伝統工芸」と「美術工芸」の大きな違いは、
    もともと手仕事で工芸を職人としてしていた人達、
    それらの流れが「伝統工芸」であり。
    現在の「東京藝術大学」などの、
    所謂学校で工芸を学んだ人達の流れが「美術工芸」です。
    さらに持論で言えば、
    東京藝術大学などの「油画、日本画、彫刻」などの、
    所謂美術を学んだ人達の流れが「工芸美術」です。
    この様に「工芸」と言いましても、
    かなり複雑な様相があるわけですが。
    この「日本の工芸」という概念に通底する原理は、
    「オーバースペック」という原理です。
    もっと踏み込んで言説していくと、
    本来の「ファンクション-機能」を、
    産業革命以後に機械化された大量生産品に、
    奪われてしまった「工芸」は。
    「ファンクション-機能」を失い、
    「スペック-性能」を追い求める事でしか、
    存在することが出来なかったわけです。
    さらにその「スペック-性能」を追求する事を、
    「善」とし、
    また「認知不要」な領域まで「スペック-性能」を、
    追求する事で、
    その領域に「虚像神秘性(フィクション)」を創造し、
    その「虚像神秘性(フィクション)」を担保に、
    「人間の愚かさ」である「欲や見栄」を、
    確保してきているわけです。
    それは「日本における美術」も同様で、
    あくまで西洋概念である「アート」を使い、
    いかに近代国家、あるいは国民国家に、
    西洋の国に追いつく為に、
    そして追い抜く為に。
    日展や東京藝術大学を創設し、
    油画、日本画、彫刻などを、
    アートそのものの真理を輸入せず。
    それはアートそのものが、
    西洋の概念であり真理であるわけであるから。
    日本国家というものを前提に、
    国民国家というイデオロギーを作るわけであるから、
    そもそも「美術」そのものが「アート」で、
    あってはならないのであるから。
    「工芸美術」という、
    「スペック-性能」を追求する。
    そしてその「認知不要」な領域まで「スペック-性能」を、
    追求する事で、
    その領域に「虚像神秘性(フィクション)」を創造し、
    その「虚像神秘性(フィクション)」を担保に、
    「人間の愚かさ」である「欲や見栄」を、
    確保してきているわけです。
    これはまさに、
    日本の「工芸」と「美術」の、
    持ちつ持たれつの関係であり、
    「人間の愚かさ」の極みなのである。
    では落合陽一などの、
    「サイエンスアート」や「メディアアート」は、
    いかに「工芸」であるのか。
    それはまさに落合陽一の発言でもあった、
    「テクノロジーはスケールしなくてもいい」という、
    その考え方そのものが「工芸」なのである。
    むしろ「工芸」の様に、
    「スケールできない事」を、
    「人間の愚かさ」である、
    「欲や見栄」で隠そうとしているだけなのだ。
    それがまさに「工芸」が辿った様に、
    「スペック-性能」を追求し、
    「認知不要」な領域に、
    「虚像神秘性(フィクション)」を創造する、
    まさに「欲や見栄」だけの、
    「人間の愚かさ」の極みなのである。
    冒頭でも述べたとおり、
    人間というものは、
    それほど賢いものでもなく、
    万能でもありません。
    それは「認知」という問題でも、
    私たちは私たちが考えている以上に、
    何も観えていないし、
    何も観ていない。
    それは「スペック-性能」以前に、
    「ファンクション-機能」さえも、
    正確に観えていないし、
    正確に観ていない。
    現実(シミュレーション)=機能(ファンクション)、
    さえも正確に認知できない人間が。
    虚像神秘性(フィクション)=性能(スペック)、
    などまず認知できない。
    現にこの世の中には、
    ノーベル賞を貰えない発明や発見は、
    数限りなく無数に存在し、
    アイフォーンの様にスケールしないテクノロジーは、
    数限りなく無数に存在し、
    ツイッターやフェイスブックの様に多くの人に、
    使ってもらえないメディアは、
    数限りなく無数に存在する。
    さらにそのことは、
    脈絡と続いてきており、
    そのほとんどは誰の目にも触れず消えていく。
    「スケールしないテクノロジーの時代がくる?」
    それこそ「工芸」と同じだwww
    人間というものを過信し、
    「スペック=性能」に「虚像神秘性(フィクション)」、
    を見出すということほど愚かな事はない。
    「ファンクション-機能」にこそ真理があり、
    私たちは同時にそこにいるだけで、
    機能を有し、
    美を有しているのである。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/04/01(水) 22:25:54|
    2. 美学・哲学
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    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

    SELECT ART SHOP マクロマティック
    http://machromatic.shop-pro.jp/

    美学者母ブログ
    http://www.aesthetics.jp/

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    http://www.mag2.com/m/0001288712.html

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    http://twitter.com/machromatic

    skype名 machromatic




    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





    ■■ machromaticホームページ ■■

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