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    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    江口美都絵という人とか他にも僕の事を読み違えし過ぎている人に送る文章(あいちトリエンナーレ2019に関する僕の一連の論考について)

    あのあのっwww
    多分一部の人達が、
    僕の「あいちトリエンナーレ2019」の、
    一連の論考を完全に読み違えている人が、
    複数人いたのでここで、
    僕の根本的な考え方というか、
    その人たちの次元の違いを提示しますねwww

    僕のアートに関する考え方、
    というかこの世界全体、
    社会全体に対する考え方は、
    「オープソースでフラット」が基本です。

    その上でですがwww
    僕は以前の文章でも、
    三次元での行き詰まりと、
    四次元での可能性というのを明示しています。

    ですから、
    そもそも「既存の枠組みのアート」、
    ってのはクソだと思っているわけです。

    それで、
    江口美都絵って人が、
    「国際芸術展などのキュレーターで、
    津田大介と同類なのだけどぉ〜」って

    国際芸術展の芸術監督ってなんか偉いのか???
    芸術家って偉いのか???

    非常にコンサバティブな権威主義的思考。

    あと僕が、
    「あいちトリエンナーレ2019」に、
    憧れてるwwwとかっ。。。
    まじでそういった低次元で観るのは、
    やめてほしいぃぃぃwww
    まぁそういう人もいるのだろうけど。

    僕はまず権威ってものは信じていないし、
    国際芸術展に出たいとも思っていないし、
    自分の作品がアートマーケットにのりたい、
    とも思っていないわけですね。

    そこは理解してほしいwww

    僕はあくまでインディペンデントで、
    それが僕の存在意義でもあるので、
    自分でアート系民宿として、
    事業もしていますし、
    作品はインターネットの言説を、
    アート作品としてるので、
    極端にいうと、
    今のアートとは無関係の人間です。。。

    そもそも、
    こうやって文章を書いて、
    何万人の人に読んでもらってて、
    僕のアートはこの言説なのだから、
    こうやってインターネットに、
    自らの言説を書くことこそが、
    僕の目的であって、
    それで誰かに芸術家として、
    認められたいとか、
    権威を持ちたいとか、
    そんな欲動が全くないわけです。

    江口美都絵という人もそうですが、
    アート関係者って、
    頭が何周も周回遅れで困るんですよねwww

    何度も言いますが、
    そもそも僕は既存の展覧会、
    何か権威のある展覧会、
    何か権威のある芸術賞、
    何か権威のある芸術祭、

    現代のアートマーケット、

    そんなものどう〜でもいいですwww

    それだったら
    最先端のサイエンスとか、
    最先端のテクノロジー、
    ブロックチェーンやAI、
    その様なものを使った、
    新しい世界や社会、
    新しい概念を、
    どうアートに昇華させていくのか、
    その様な事をメインでやってるのです。

    ですから、
    このインターネットを使った、
    造形としての文章という取り組みも、
    私にとっての、
    重要なアート活動としての取り組み。

    江口美都絵とか、
    他にも僕の事を読み違えてる人がいましたが、
    その人たちの頭の中が、
    あまりにも小さい世界でびっくりしています。

    本当にびっくりwww

    最後に、
    ではどうでもいいのに、
    なぜ批判的な文章を書くのかってのは、
    それがまさに、
    僕の考える世界と、
    今ある世界との差異を、
    表層させる造形としての機能を有するからです。

    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/08/12(月) 08:54:19|
    2. アート
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    愛知県の大村知事は間違っている。あいちトリエンナーレでの公共での表現の自由について。(もう一度公共について再考しよう、表現の自由は公共では限定される。)

    どうもぉ〜!!!
    いやいや盛り上がってますねぇ、
    「あいちトリエンナーレ2019」、
    違う意味でですが、
    しかし改めて色々と考え直す機会になって、
    ある意味良かったのではないでしょうか、

    「表現の自由」とか「公共性」について。

    あの先ほど愛知県の大村知事の会見を見て、
    公共性の考え方がおかしい、
    というか私と全く真逆の事言ってるんですね。
    これって日本人の「公共」に対する誤解の、
    ある意味象徴だと思います。

    過去にも「公共」の意味について、
    解説した文章がありますので、
    リンクを貼っておきます。

    「なぜ日本人はアートを感じようとするのか」
    https://www.machromatic.net/column_0070.html

    「多様性と公共性の違い」
    https://www.machromatic.net/column_0095.html

    「公共」という概念の詳細は、
    リンクに記載されている言説で詳しく説明していますが、
    つまり一般的な日本人が考える「公共」ってのは、
    本来の「公共」という概念の視座が違うんだな。
    しかし重なるところもあるから、
    「公共」という概念が日本の中で誤認されてきている。

    そしてそれが今回の、
    「公共での表現の自由」の問題につながるわけ。

    まず「公共」について簡単に説明したいけど、
    詳しく理解したい人はリンクの文章を読んでね!!!

    日本人の考える「公共」とは、
    「家」の延長だって言われているわけです。

    「つまり自分がされて嫌な事はやるな」です。

    例えば家で立ち小便されたら嫌でしょ?
    だから道とか街で立ち小便するなって、
    それがいわば日本の「公共性」なわけです。

    これは少し難しく言うと、
    「他者認識」と「自己認識」が一致している、
    というのが前提で、
    まさに日本ってのは、
    多民族多人種の国じゃないから、
    そういう「偽の公共」、
    つまり、
    「他者認識」と「自己認識」の一致をベースにした、
    「公共性」が「公共」と混同されるわけです。

    そして本来の「公共」というのは、
    「自己認識」と「他者認識」が一致しない、
    その様な前提にあるのが「公共」なわけです。
    それは、
    多民族多人種の国、
    つまり「多様な価値観」「多様な思想」、
    それを前提にし、
    ある一定の「ルール」を設定し、
    「最低限」それを「守る」、
    それが「公共性」なわけです。

    だから「人格」、
    つまり「個人」では許されることも、
    「公共」では「ある一定のルール」を、
    守りましょう!!!!
    ってのが公共で、
    それは例えば「啓蒙主義」などから始まる、
    「近代」において、
    「個人」の「尊厳」というものが、
    非常に重要になった事で、
    「個人の自由」を担保するために、
    「公共」すなわち、
    多種多様な価値観が交差する、
    または交わる場所では「公共性」を、
    優先させましょうねって話で、
    それ以外は、
    「人格」、
    つまり「個人の自由」を担保しよう、
    そういった考えであるわけです。

    つまり「公共」というのは、
    「個人」というものと一対な訳で、

    「個人の自由」:「公共」

    というわけです。

    簡単な例え話、
    多種多様な価値観や思想があって、
    それぞれがそれぞれの、
    正義や悪を持っていたら、
    それこそ揉め事になって、
    収集がつかなくなってしまいます。

    しかし日本では、
    日本人同士がある程度価値共有しているために、
    本当の意味での「公共性」の意義を、
    実感できないわけです。

    まず「公共」というものが、
    この様なベースにあるという事から、
    今回の「あいちトリエンナーレ2019」の、
    「表現の自由」を考えていかなければなりません。

    つまりこのコンテクストから考えると、
    「公共性」のあるものには、
    ある一定のルールが適用される、
    それが理解できるわけです。

    愛知県の大村知事は、
    「公共」だからこそ「表現の自由」が、
    担保されるべきで、
    「民間」だったら「表現の自由」は担保できない、
    というわけのわからんことを言っておりました。

    皆様もお気づきだと思いますが、
    私の言っている事と真逆なわけです。

    これは日本人的と言いますか、
    日本人は「個人」よりも「組織」優先、
    「個人」よりも「会社」、
    「個人」よりも「国家」、

    つまり「個人」が抹消されていて、
    主体はあくまで「国家」であるという、
    その様な考え方です。

    その「主体」の在りどころが、
    この「公共」の考え方にも顕著に現れています。

    例えばなぜアメリカは「銃社会」を、
    なぜ辞めることができないのか?
    という問題とも繋がります。

    それはアメリカ人にとって「銃」は、
    アメリカ人としてのアイデンティティなのです。
    それは「主体」が「個人」にあり、
    いつでも「連邦政府」に、
    「銃」で戦うのだ、
    という「個人主体」の「表層」なのです。

    つまり人間は、
    「国家」からも「組織」からも、
    誰からも「自由」であり、
    己が「主体」である。

    その様な、
    「個人」としての「主体性」、
    「人間」としての「人格」、
    「人格」としての「人権」、
    「個」としての「人」を考えた上で、
    「公共」というものが浮かび上がってきます。

    ですから「表現の自由」というのは、
    この「個」としての「人」に依存している、
    つまりアメリカで言えば、
    「銃を持つ」というのは、
    「個」としての「人」の、
    「表現の自由」なわけです。

    しかし、
    アメリカでも街中で、
    ぷらぷら「銃」を持って歩く事は、
    「公共性」に反します。

    つまり「公共性」とは、
    多種多様な価値観、
    ダイバーシティにおける、
    一定のルールなわけです。

    今回の騒動、
    「あいちトリエンナーレ2019」
    で展示された一部の作品は、
    言わば公共の場で銃を振り回して、
    これは「表現の自由」だと、
    言ってるのと同じなのです。

    この様に、
    「個」の「人」としての、
    「表現の自由」を、
    「公共」という、
    多種多様な価値観が交わり、
    一定のルールを共有すべき場所で、
    「表現の自由」を主張するという、
    頓珍漢な事態になっているのです。

    ここで問題になるのが、
    「個人としての表現の自由」と、
    「公共としての表現の自由」の混同です。

    アメリカの銃の話で言えば、
    「個人としての表現の自由」は担保されています。
    「公共としての表現の自由」は担保されていません。

    なぜなら公共には一定のルールがあり、
    「表現の自由は制限」されます。

    そしてその制限を検閲と言う人もいますが、
    もしそれが嫌なら、
    「個人としての表現の自由」が担保されていますから、
    「個」の「人」として、
    「表現の自由」を「獲得」すればいいのです。

    そもそも「表現の自由」とは、
    「個」の「人」に与えられた「権利」です。

    それはアメリカ人が「銃」を持つのと同じで、
    今回問題になった作品作家は、
    どこかで場所を借りて展示すればいいのです。

    その展示が強制的に撤去されるなら、
    初めて「表現の自由の侵害」と言えるでしょう。


    日本と西洋の公共の違い



    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2019/08/06(火) 17:24:06|
    2. アート
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    デザイン思考とかアート思考という言葉の軽々しさ自体がプラグマティズム的な目的の転移である。(問題解決よりもその目的を問うべきである。)

    あの最近、
    デザイン思考とかアート思考、
    そんななんとなくオシャレで、
    流行ってる感満載の言葉をよく聞きます。

    私はアートや美学を研究していますので、
    それらには必ず「思考」が伴いますので、
    ある意味「思考」に深く関わっている人間です。

    そこで私が実体験として言えるのは、
    デザイン思考だアート思考だと言いますが、
    そんなもの言われなくても、
    思考を重ねればその様な思考を獲得していくし、
    それなりの思考の訓練や教養があって、
    様々な思考を獲得することができるわけです。

    なので、
    例えばデザイン思考はこう思考するんだよぉ〜、
    例えばアート思考はこう思考するんだよぉ〜、
    それで簡単にそんな思考方法を手に入れれば、
    過去の哲学者の苦労なんてなんの意味も無く、
    ある種その様な哲学者への冒涜とさえ感じます。

    そもそも、
    表立ってデザイン思考とかアート思考とか、
    そんなんでセミナー開いたり、
    講習したりしてる人って、
    プラグマティズム的でいう「目的の転移」なんだな。

    なぜなら、
    そもそもデザイン思考やアート思考自体が、
    「目的」に対する「問題解決」の方法論であり、
    それは、
    ロジカル思考と何も変わらないという事、
    なぜならば、
    私たちは、
    「問題解決」する事自体が「目的」では無く、
    「目的を達成する事」が「目的」なのだ。

    しかし軽々しく、
    デザイン思考やアート思考なんていう人たちは、
    「デザイン思考が目的」であり、
    「アート思考が目的」である。
    つまり「問題解決」自体が「目的」なんだが、

    しかしそれって必ず、
    「目的が変化しない」ことや、
    その「目的の前提条件」が変わらない、
    というある種、
    非現実的な「机上の空論」でしかない。

    むしろ、
    私的に、
    プラグマティズム的に言えば、
    そもそもその「目的」自体が間違っている事がある、
    そしてその目的は常に変化し流動的である。

    だからこそ一番何が必要なのかというと、
    そもそも、
    「目的に対する問題を問題と認識しない認知」であり、
    「目的の変化を真の目的の変化と認識しない認知」。

    ここから何が言えるのかというと、

    「思考」というものよりも、
    いかに「認知」が大切かという事であり、
    「認知こそが思考のベース」であるという事。

    「認知」という能力がない人間が、
    そもそもどんな思考をしたって意味が無いのねwww

    つまり、
    馬鹿が「デザイン思考」だ「アート思考」だ、
    って言って軽々しく思考を持ち出すことに、
    軽々しく乗っかってしまう様な認知力しかない人は、
    どんな「思考」をしても、
    何も「思考も解決も」できない人って事です。

    美学者母
    1. 2019/04/12(金) 19:08:38|
    2. アート
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    会田誠のセクハラ問題、会田誠、訴えた人、京都造形芸術大学、誰が一番悪いのか?(だから日本の芸大美大は腐ってるって言っただろ)

    昨日会田誠のセクハラ問題の文章を書きまして、
    色々と反響が大きかったわけです。

    そこにはまず、
    芸術とは?美術とは?アートとは?
    という教養や知性の無さを上げて、
    訴えた人の批判をしたわけです。

    しかし本当の意味で、
    一番悪いのは。。。

    京都造形芸術大学でしょ!!!
    って結果的に行き着くわけですwww

    そもそも訴えた人は、
    京都造形芸術大学を卒業している、
    つまりこの訴えた人に、
    芸術を教えた張本人なわけです。

    さらに、
    訴えた人にセクハラがあった事を認めている。
    つまり講座での出来事がセクハラだったと、
    京都造形芸術大学が認めてしまってる。

    それ芸術大学や美術大学が認めたらあかんやろwww

    私の考えで言えば、
    芸術家が語る全てはその人の「芸術論」だと考えます。
    なぜなら別の所でももうしていますが、
    芸術の構造として作家性というものが、
    一つの大きな原理としてあるからです。

    その作家の生き様、思考、思想、
    そして普段から話す言説全てが、
    芸術家からすれば芸術そのものです。

    芸術家と話すということは、
    その作家の芸術論を学ぶということ、
    すなわち「価値」のあるものです。

    例えば弁護士と、
    法律の話をするのと同じです。

    その様な事からいうと、
    京都造形芸術大学は、
    会田誠の作家性というものを、
    完全に否定し、
    芸術家としての作家性を認めていない、
    それが、
    ある種セクハラを認めた事と、
    同義であるのです。

    ですから、
    京都造形芸術大学が安易にセクハラを認め、
    安易に訴えた人と示談で和解しようとした事自体、
    芸術というものに対しての冒涜だと、
    私は怒りを覚えるわけです。

    結局、
    京都造形芸術大学は、
    芸術の素人の卒業生に学士を与え、
    会田誠の芸術論をセクハラとし、
    芸術の高等教育機関として、
    全く機能していない、
    それが完全に表沙汰になった、
    その様な今回の出来事です。

    もう今の時代に、
    芸術大学美術大学なんて無意味です。

    こんな卒業生しか生み出せない、
    大学は芸術論がわからない、
    なんの為に芸術の高等教育機関が存在するのか、
    存在意義がありません。

    今回の件で一番の被害者は、
    講義をした会田誠さんなどの芸術家美術家です。

    私は会田誠さんに前にも言説しましたが、
    もう公立の美術館や、
    美術大学、芸術大学などに寄生せず、
    私が言った様に、
    インディペンデントに活動するべきです。

    こんな程度の低い問題に巻き込まれる事自体、
    馬鹿馬鹿しい、
    会田誠さんもインディペンデントで、
    独立性を担保して活動しましょう!!!

    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2019/03/02(土) 20:39:47|
    2. アート
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    会田誠のセクハラ問題で私は会田誠を完全に擁護する(美しさと醜さの間で)

    えっと、
    先日から会田誠さんの、
    セクハラ問題で色々騒がしいのですが、
    私もニュースで断片的にしか認識していませんが、
    そのニュースで報道されている事、
    後は会田誠さんのツイッターの情報なども合わせて、
    私なりの見解を述べさせていただきます。

    まずアートとは何なのか?
    という事が大きな意味を持つと考えています。

    そしてアートとは、
    「美」というものを追求しているとすると、
    それを「美学」と称する事ができます。

    私の定義している「美」とは、

    「美」とは「愛」であり 「愛」とは「人」である

    この様に定義しています。

    つまり「美」とは「人」そのものである。
    さらに「人が人である」ということ、
    それは「心」があるという事です。

    この様なことから、
    「アート」は「心の営み」であると解釈しています。

    そして「アート」が「心の営み」である以上、
    「概念世界」の営みであるわけです。

    その様なことからも、
    それは絶対的に二極化するわけです。

    「美しい」と「醜い」、
    「綺麗」と「汚い」、
    「光」と「陰」、
    まずこれらが自明であることを認識する事が、
    大変重要です。

    つまり「絶対美」というものは存在しません。

    「人」は、
    この二極のちょうど真ん中あたりを、
    揺らめく事で、
    「美」を感じたり、
    「醜さ」を感じたりするわけです。

    私は以前の言説でも述べていますが、
    「アート」とは「諸刃の剣」であり、
    同時に、
    それを体験してしまえば、
    体験していなかった自分には戻れないという、
    非常にセンシティブなものなわけです。

    もっと簡単に説明しましょう。
    貴方は貴方の心の中で、
    「不道徳」なことや、
    「法律に違反」すること、
    「迷惑」になることや、
    「悪い」ことを、
    空想したり妄想したり、
    頭をよぎる事がありませんか?

    そもそも「人」であれば、
    常に「道徳的」で、
    常に「善」だけを考えている、
    考える事なんて出来ないわけです。

    例えば一番単純な不敬な行為として、
    SEXや性行為などがありますが、
    それもまた、
    普段の抑制があるからこそ、
    興奮というメカニズムが働くわけです。

    ですので、
    常に人には、
    善悪という二極が同時に存在する、
    アンチノミーな存在であり、
    もっと追求すれば、
    「生と死」の間が「生きる」という事なのです。

    ある種「絶対美」というものを、
    「古典美術」などは追求してきたわけですが、
    「現代美術」はその人間が内包する矛盾を受け入れ、
    それらをアイロニーに表現するという事が、
    芸術構造として存在しています。

    「美しさ」とは何でしょうか?
    「醜さ」とは何でしょうか?
    そもそもそんなものが存在するのでしょうか?

    元々私は会田誠さんを批判的に捉え、
    「独立性」という意味で批判する文章も書きました。

    しかし今回会田誠さんなど学校側は、
    作品の画像などを見せたのでしょうが、
    芸術を志す人間の素養として、
    セクハラだと訴えている人間が、
    それを咀嚼できる知性が無いという事が、
    そもそもの問題だと感じたわけです。

    この訴えた方は、
    美術モデルをしていると報道がありました、
    それならばこの人が現場で、
    この美術モデルは醜いからセクハラだ、
    描きたくないものを描かされた、
    とこの女性が訴えられている様なもので、
    非常に幼稚な論争なわけです。

    この女性の訴えが通るなら、
    究極的に私たちが、
    「不敬な事を妄想する事」それすらも、
    許されない世の中になってしまいますし、
    そもそもこの訴えた人間の中にも、
    「美しさ」もあれば「醜さ」もあり、
    その己の「醜さ」に向き合えないからこそ、
    この様な訴えを起こしたのだと考えています。

    最後に、
    現代における「アート」は、
    非常に知性や教養を求められています。

    今後「アート」を志す人々は、
    是非とも知性や教養を、
    意識的に高めていく必要があります。

    美学者母

    テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

    1. 2019/02/28(木) 16:37:32|
    2. アート
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    FC2USER590191GYW

    Author:FC2USER590191GYW
    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

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    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





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