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    machromatic

    machromatic (マクロマティック) 美学者母のブログ

    正直者論(ラッパーの舐達麻、孫GONGから見るプラグマティズム)

    どうもぉ!!!
    最近赤髪になって、
    大阪のおばちゃんやろ!!!
    って言われまくる日々の美学者母ですwww
    またなぜ僕が今赤髪になったのか、
    それも書きたいと思っているのですが。
    今日は「正直者論」として、
    現代のヒップホップやラップなどを通して、
    ある種哲学的なプラグマティズムへと展開していこう、
    そう考えています。
    最近僕も41歳になって、
    昔の友達なんかが、
    よく遊びにきてくれたりして、
    色々とミーティングしているのですがwww
    やはり共通した生きにくさとして、
    自分の考えている事や感じている事を、
    「正直」に「表現できない」という、
    根本的なフラストレーションを抱えています。
    しかし私の場合、
    皆様もご存知の通り、
    なんでも言ってしまう、
    というかまぁ「表現」するわけです。
    まぁこの様な一般人と美学者母との差異、
    その様な事も述べていきたいのです。
    まぁまず私の原風景として、
    一番に「野球」があります。
    これも何度も述べていますが、
    清原さんも所属していた、
    「岸和田リトルリーグ」「岸和田シニアリーグ」に、
    私も所属していました。
    その後、鳥取県へ野球留学します。
    その時代の「野球部」と言えば、
    「根性論」の最終世代くらいなので、
    練習でも「暴行」、練習が終わっても「暴行」。
    高校では寮でも「暴行」と。
    まぁ悲惨極まりなく、
    本当に縦社会の究極な感じで、
    先輩には「はい」という言葉しか、
    言ってはいけなかったわけですwww
    この時代はまさに、
    私のベースであり、
    完全に抑圧されていた時代です。
    そんな時代から、
    私自身を救ってくれたのが、
    ヒップホップカルチャーや、
    スケートボードのハードコアな思想です。
    そしてそのヒップホップや、
    ハードコアな思想の上で、
    アートというものに目覚めた、
    その様なコンテクストがあります。
    それが1998年頃の事で、
    僕が18歳、19歳の話です。
    その頃に、
    僕はアートに命をかける。
    その様に誓ったことは、
    何度も書いていることなのですが。
    それは同時に、
    「自分のやりたい事はやる」
    「自分の言いたい事はいう」
    という事と同義なわけです。
    この様な事が、
    そもそも私の原理としての哲学、
    として一貫している事です。
    しかしこの様な単純な事ほど、
    なかなかできるものではありません。
    非常に困難です。
    なぜなら、
    「社会」というものは、
    その様なものを許してくれません。
    色々な所や人間から、
    反発を買うのは目に見えていますから、
    自明な事です。
    しかし私が20年以上この様な活動を、
    続けてこれているのはなぜでしょうか?
    それはまさに1998年と言えば、
    インターネットの黎明期です。
    私はインターネットでの、
    オープンソースという思考が、
    この世の中を変革していく事と並列して、
    物事をオープンにする事の強さ、
    そこに気づいたわけです。
    私は昭和53年生まれですから、
    まだまだ「村社会」や「コミュニティ」での、
    ある意味「小さな世界」での「ルール」や「常識」、
    その中で「他人の顔色」を伺いながら、
    人間関係の「駆引き」をして生きている。
    その様な世代の「最後の世代」なのかもしれません。
    冒頭にも述べましたが、
    最近になって色々な人が、
    私を訪ねてきます。
    その話の内容の根本的問題は、
    やはりその様な「人間関係」の問題です。
    そしてその様な「問題」を、
    アウトプットする場所が無いという問題です。
    私も40年以上生きてきましたから、
    当然その様な「社会」において、
    「自分のやりたい事はやる」
    「自分の言いたい事はいう」
    そんな事をして、
    生き残っていけない事は十二分に知っています。
    そして経験してきています。
    しかし私たちの今の時代、
    インターネット時代は成熟し、
    オープンソースは進み、
    プラグマティズムという哲学が、
    どんどんと広まる中で。
    「自分のやりたい事はやる」
    「自分の言いたい事はいう」
    という事は、
    「反発」以上に、
    「価値」や「信頼」や「信用」を、
    生み出している「現実」は、
    誰も否定する事は出来ないのです。
    プラグマティズムというものは、
    一種の功利主義哲学。
    実用主義。とも言われています。
    私の中ではヒップホップは、
    プラグマティズムだと考えています。
    それに対してロックというのは、
    夢想であり理想主義とも言えます。
    それはもっと踏み込んで言えば、
    「肉体」としての「肉という現実」を生きるのか、
    「肉体」を無いと考えた「理想という空想」を生きるのか。
    その様な作法の問題です。
    例えば「ヒップホップ」でも、
    「スケートボード」でも、
    「リアル」という言葉が好まれます。
    ある意味この「リアル」という言葉が、
    「ヒップホップ」や「スケートボード」の、
    プラグマティズム的側面を表出している、
    その様に考察できます。
    ここまで述べてきた様な、
    ある種「プラグマティズム」は、
    昨今のヒップホップなどのリリックなどに、
    顕著に現れています。
    私は20年以上日本語ラップを聴いていますが、
    特に最近のラッパーのリリックには、
    プラグマティズム的解釈を容易にします。
    表題でもあげているラッパーの、
    舐達麻などは。
    以前までは隠語として多く扱われてきた、
    「大麻」などのライフスタイルを、
    堂々とリリックに取り入れています。
    さらに孫GONGなども、
    自分自身の生き様をさらけ出し、
    自分の生まれや育ちを赤裸々に、
    リリックに表現している。
    その様なアウトローなリリック以外にも、
    例えばZORNというラッパーのリリックでは、
    「洗濯物干すのもヒップホップ」という、
    まさに「リアル」な日常をリリックにしたものなど、
    多様な人間の現実が、
    リアルなヒップホップとして表出している。
    この様なヒップホップの事例からも理解できる通り、
    昔の「村社会」や「コミュニティ」などの、
    「小さな世界」では、
    「裏で悪い事」をして、
    「表で良い顔」をするという作法が、
    通用しない時代になっているのである。
    それは「良い事も」「悪い事も」、
    全てさらけ出す。
    その様な事に、
    「信頼」「信用」「価値」が、
    産まれる時代。
    逆に言えば、
    その様な事を「言える人間」にこそ、
    「本当の強さ」があるからこそ、
    「信頼」「信用」「価値」が、
    集まるのだという事なのだ。
    「匿名」で他人を誹謗中傷したり、
    「人間関係」で根回ししたり、
    「権力」で利益を囲ったり。
    その様な「人間」が損をする時代。
    「正直」に自分をさらけ出し、
    「自分のやりたい事はやる」
    「自分の言いたい事はいう」
    その様な「人間」が徳を得る時代に、
    なっている事に、
    全ての人々が早く気づかなければ。
    どんどんと、
    「信頼」「信用」「価値」を、
    失っていく時代なのです。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/06/05(金) 15:18:30|
    2. 美学・哲学
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    我思う、故に我在り。我思う、我在るが故に、我無し。(絶対的存在を信仰するのはもう辞めよう。)

    みなさんトモダチンコ!!!
    毎度おなじみ美学者母でござんす。
    まぁ世の中「コロナ脳」で汚染されておりますが、
    まぁ「放射脳」と同じ事態でございます。
    以前にも申し上げましたが、
    この様な事態にこそ人間の本性と言いますか、
    その様なものがあからさまに、
    表象化されてくるもので、
    実に醜いものが観えてしまうわけです。
    まぁそれも人間らしさではあるのです。
    東日本大震災は、
    2011年(平成23年)3月11日、
    もうあれだけ色々「あーだこーだ」、
    言ってた人間は、
    もう何も言わなくなっている。
    少なくとも私は、
    現にこの様に311の事を常に考え、
    情報を発信しているわけです。
    つまり結局「他人事」な人間が、
    一番その時に騒ぐのです。
    今回の「コロナ禍」で騒ぎ立ててる人間も、
    次に新しい問題が発生すれば、
    すぐにそっちを騒ぎ立てるだけの、
    「ヤカラ」として不安を煽る事をするのです。
    まさに「無能なコロナ脳」。
    この様な人間がなぜ存在してしまうのか。
    それはある種の「人間の本能」だから、
    と言えてしまうのかもしれません。
    それは簡単に言ってしまえば、
    「絶対的な何か」を信じたい、
    というか「信じている」という事です。
    その「絶対」とは、
    「絶対的な神」かもしれません。
    「絶対的な科学」かもしれません。
    「絶対的な存在」かもしれません。
    私達人間は一人では生きてはいけない、
    だからこそ「絶対的な何か」を、
    拠り所として我というものを、
    「安定」させたいという、
    「生理的」レベルでの、
    「ホメオスタシス」として、
    常にその安定性を確保しているわけです。
    つまり「無能なコロナ脳」というのは、
    人間が持つ生理的レベルの、
    「自己防御本能」であるが故に、
    余計にややこしいものであるのです。
    何がややこしいのかというと、
    この「自己防御本能」というのは、
    生理的レベルの本能的「反応」であるので、
    「無意識レベル」の問題であるから、
    自分ではそれが「抑制」できないからです。
    しかし「人間」だからこそ、
    その「動物レベル」の「反応」を、
    乗り越えていくことができるのだと、
    私は考えているわけです。
    先ほども述べましたが、
    人間は一人では生きていけません。
    だからこそ私達には「愛」があり、
    「他人」をも「自分」と同様に、
    大切にする事ができる。
    この様な観点から、
    「放射脳」や「コロナ脳」という、
    「動物レベル」の、
    「自己防御本能」を抜け出すヒントがある。
    それは「絶対」という価値観を捨て去る事。
    そして「自己中心的」な考えを捨て去る事。
    そして「不完全な我」を引き受ける事。
    それに必要なのは「愛」です。
    「愛」とは常に「不完全」なものです。
    当然一人では「愛」は体験できません。
    また我が不完全であるからこそ、
    我以外に「愛」を求めるのです。
    つまり「愛」とは、
    「不完全な我」を引き受ける事です。
    この「世界」に「完全」な、
    「絶対的存在」など「存在」しません。
    「絶対的な神」、
    「絶対的な科学」、
    「絶対的な存在」。
    当然ですが、
    「絶対的な我」も「存在」しません。
    例えば哲学者のデカルトの言葉で有名な、
    「我思う、故に我在り」
    という言葉からも理解できます。
    それは、
    「思う我」と「在る我」は、
    同じ我で在ることは不可能であるという事からも、
    理解できます。
    「我が我」であるという「同一性」は、
    常に「矛盾」を孕んでいます。
    しかしその「矛盾」こそ、
    「絶対矛盾的自己同一」としての、
    「本質的人間」と言えるわけです。
    この様な考察から私は、
    「我思う、故に我在り。我思う、我在るが故に、我無し。」
    この様な言葉で、
    「不完全な人間」の哲学的回答を述べたいのです。
    つまり私は根本的原理として、
    「人間は不完全」である。
    さらに「人間が認知する全ても不完全」である。
    つまり、
    「神」も「科学」も「存在」も、
    全てが「不完全な人間」の「仮想世界」であり、
    「仮想世界にある不完全な完全」なのである。
    その様な「眼前たる現実」の真理にたどり着くには、
    この哲学的言語を、
    「我思う、故に我在り。我思う、我在るが故に、我無し。」
    体験し深く理解する他ないのではないか。
    「絶対」あるいは「絶対的」という、
    ある種の「人間」に課せられた「誘惑」に、
    「人間」がどの様に向き合っていくのか。
    それは唯一、
    「不完全な我」というものを引き受ける他無い。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/05/23(土) 20:47:11|
    2. 美学・哲学
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    コロナ禍で急にマスクを売り出す人間は信用できない理由。(コロナ対策での出口戦略はなぜ必要か)

    例えば大阪・西成にいる日雇い労働者のおっさんは、
    「お金」の「儲け方」について拘る人間が多い。
    日雇いでその日のご飯代もギリギリ、
    住んでいるのはブルーシートの青テント。
    それでも「お金」の「儲け方」に拘る。
    今インターネットや街中で、
    自分の本業を差し置いて、
    急に「マスク」を売り出している人間を多く見る。
    皆様の周りにもそうした人間が、
    或いはこの文章を読んでいる貴方自身が、
    そうした人間なのかもしれない。
    私はそういう人間に嫌悪感しか抱かないし、
    その人間が「売っている」もの、
    それは「マスク」だけでなく、
    その「人間」の本業のサービスやもの、
    それらさえ、
    その人から「買いたい」とは思わない。
    これは完全な私の個人的意見である。
    私以外の人間がどう考えるかは自由だし、
    その人間から「マスク」を買うのも自由だ。
    例えば私は「芸術」や「美術」を専門にし、
    その作品である「狭山美学校」という業で、
    「お金」を「儲ける」というのは。
    そもそも「お金」が目的では無い。
    なぜなら「お金」だけが目的なら、
    他にいくらでも「簡単」に「儲ける」方法は、
    無数にあるし。
    実際に私は東証一部上場の大企業(平均年収800万円)、
    の企業を渡り歩いてきた。
    私は「芸術」や「美術」を「愛している」から、
    「狭山美学校」という業であり作品を、
    展開しているのであって。
    決して「お金」を「儲ける」為に、
    「狭山美学校」という業や作品を、
    展開しているわけでは無い。
    これは私に限らず、
    個人事業主や自営業を自ら立ち上げた人間、
    会社を立ち上げる人間は、
    皆同じ思いでそれを立ち上げるのでは無いか。
    そしてそれがサスティナブルに続く原理とは、
    その「愛」を決して忘れず、
    「哲学」を持って運営してく事である。
    当然この様な「コロナ禍」の状況の中で、
    売り上げも激減し、
    その様な「哲学」をも放棄し、
    目先の「金儲け」に走るという、
    その様な「流れ」は容易に想像できる。
    しかし逆に長い目で見れば、
    この様な状況だからこそ、
    その「哲学」が表面化し、
    それぞれの「本質」や「本性」が、
    垣間見れるのである。
    人間というのは、
    常に「簡単」で「容易」な事へと、
    吸い込まれていくのである。
    そして人間というものは、
    私も含めて本当に「弱く」「脆い」。
    だからこそ、
    目先の「お金」に目が眩んで、
    「マスク」を販売するという、
    手段を選ばない「お金儲け」を行うのである。
    そもそも元から「マスク」を販売している、
    ドラッグストアやホームセンターは無数にあるし。
    さらにこの日本にある「マスク」の絶対量は、
    ある程度決まっているわけで。
    今マスクが店頭にないのは、
    まず普段の流通システムでは、
    店頭に「マスク」が並ぶが、
    現在の回転率とは合致していない。
    さらに「マスク」を買い占めて転売する人間がいる。
    その買い占めたものを、
    今ままで「マスク」を販売していなかった人間が、
    仕入れて販売する。
    この様な「悪循環」が、
    また人間の「お金」への執着心の表れが、
    「マスク」は大量にあるのに、
    「マスク不足」となっているメカニズムである。
    さらにこの様な、
    「悪循環」や「お金」への執着心が生み出した、
    負の連鎖の隙間で、
    自分でマスクを作って売るという事をしている、
    その様な人間もいる。
    私はこの様な「悪循環」や「執着」から生まれた、
    「負の需要」に対して、
    自分がコミットするという気は起こらない。
    私は「芸術」や「美術」を専門としているが、
    一人の個人事業主であり商売もしている。
    その上で重要なものの一つとして、
    近江商人の三方よし、
    「売り手よし、買い手よし、世間よし」
    こそ最も重要であると認識している。
    少なくともどの様な形でも、
    コロナ禍以降に急に「マスク」を売り出した人間は、
    「売り手よし」しか成立していないのは確かである。
    それはそもそもこの混乱の中で、
    「マスク」というものを販売する事自体が、
    あらゆる有機的動的平衡を崩すのである。
    それは、
    「作るべき人が作り」
    「売るべき値段で」
    「売るべき人が」
    「買うべき人へ」
    という適切なビジネスの流れが、
    現在完全に阻害されているのである。
    この様な流れの中で、
    「シャープ」が「マスク」を製造しだしたのには、
    「シャープ」は終わったなと完全に思った。
    また自社サイトで販売をはじめて、
    アクセス集中でサーバーがダウン。
    もっと分散して市場に流せば、
    もっと円滑に流通するのに、
    「シャープ」の「自社サイト」だけの販売。
    これこそ「丸儲け」したい「執着」そのものである。
    上記の様にここまで、
    「マスク」を急に販売しだす事への、
    私の持論を展開してきたわけだが。
    これら「マスク」も含めて、
    今回の「コロナ禍」の一番の問題は、
    「人間」というものを「大きく見積り過ぎ」ている。
    それに尽きると私は考えている。
    そして現に私達に必要な「治療薬とワクチン」は、
    「人間の分際を知る」
    という事です。
    私達人間は「完璧」でもなく「完全」でも無い。
    「有能」でもないし「全知全能」でも無い。
    むしろ「不完全」であるから「人間」であり、
    「不完全」であるから「多様」である。
    だからこそ「人間」は、
    現に「人間」として「存在」している。
    「科学」や「テクノロジー」が進化し、
    さらに「経済発展」「高度化社会」。
    その様な状況から、
    私達「人間」は、
    「人間であるが故に」あらゆるものを、
    「コントロール」できるのだという、
    ある種の「観察の理論負荷性」が生じている。
    この様な状況から、
    現に私達は「人間の分際」を、
    改めて知らなければならないのだ。
    「人間の分際」とは、
    「人間であるが故に」、
    「不完全」であり、
    あらゆるものを「コントロール」できない。
    その様な「人間の不完全」というものから、
    逆算した社会というものに、
    「Re-paradigm shift」
    しなければ人間の営みというものは、
    サスティナビリティを失うであろう。
    そして最後に「出口戦略」の重要性について。
    では現在のこの「コロナ禍」を、
    私達はいつまで続けていくのだろうか。
    始まりがあるものは、
    必ず終わりがきます。
    例えば私は一時期デイトレードをしていました。
    その手法の中でも、
    私はスキャルピングでトレードをし、
    それなりの利益を上げてから辞めました。
    このトレードで重要な事が、
    まさに出口戦略、
    つまりイグジット(exit)です。
    毎回のエントリーでの利確や損切りはもちろん。
    デイトレード自体を辞めるというのも、
    重要なイグジット(exit)です。
    多くのトレーダーがこの、
    出口戦略で失敗するのです。
    そしてその失敗の原理が、
    人間の「お金の執着」という、
    メンタルの問題です。
    「お金に執着」するが故に、
    人間は利確や損切りができない。
    「お金に執着」するが故に、
    デイトレードを辞めれない。
    人間が常に「問題」にするのは、
    その「実体」ではなく、
    「概念」や「意味」、
    「思い込み」や「先入観」。
    その様な「意識」や「思考」、
    通俗的に「こころの問題」です。
    つまり今回の「コロナ禍」の問題からの、
    イグジット(exit)、
    つまり出口戦略は、
    「私達のこころ」、
    つまり「意識」が「不完全」を「許容」する時、
    やっと「コロナ禍」は終わるのです。
    ですから、
    私達がその「不完全」を、
    何かしらの方法で「意識変革」しない限り、
    この「コロナ禍」は、
    長く続いていく事を覚悟しなければならない。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/05/05(火) 23:48:48|
    2. 美学・哲学
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    今芸術家がマスクをしない自由、外出の自由を叫ばない事から、いかに、あいちトリエンナーレでの表現の自由が陳腐な芸術家の虚言だったか理解できる。

    今芸術家で本当に「自由」を叫んでる人っていないよねwww
    僕なんかは今こそ「自由」を叫ぶ時だと、
    この言説を書いているわけです。
    確か2020年2月頃には、
    facebookなんかで繋がっている芸術関係の人は、
    「集会の自由」を脅かされるとか言ってる人が居たけど。
    政府の緊急事態宣言が検討し始めて、
    「密」に対して「社会悪」の様にされ始めたら、
    急に何も言わなくなってるのが本当にクズだなと。
    そんな人間に限って、
    「あいちトリエンナーレ」で問題になった、
    「表現の自由」でグダグタ「自由の侵害」だ!!!
    「自由の侵害」だ!!!
    っていってた人たちなのねwww
    つまりその人達が言ってたのって、
    「芸術家」の為の「芸術家の自由」であって。
    全く「実体のない自由」を叫んでいたわけです。
    しかし今回の「コロナ禍」の様な実体が伴うと、
    つまりその人達の「実体」、
    つまり「芸術家」以前に、
    「一人の社会人」としての立場を優先して、
    「何も言わない人」になるわけです。
    今回の「実体を伴った自由」の問題は、
    まさに世界中のあらゆる「人」にとって、
    眼前たる「現実」「実体」としての「問題」であり、
    「家族」や「友人」、
    「知り合い」や「近所の人」、
    など「芸術」とは無関係の人々にとっても、
    眼前たる「現実的問題」として、
    今まさにその渦中にあるわけです。
    それがまさに、
    前述した、
    あいちトリエンナーレでの「表現の自由」と、
    「実体を伴った自由」の問題の次元の違いです。
    つまり、
    あいちトリエンナーレの様な「芸術」という、
    ある種の免罪符を得ている様な環境では、
    「表現の自由」を叫んでいた人間は。
    結局は「社会システム」の中の「社会人」であり、
    「芸術家」ではないのです。
    なぜなら、
    社会人以前性として「芸術家」であるならば、
    まさにこの「コロナ禍」の「渦中」に、
    「実体を伴った自由」が脅かされている「現実」にこそ、
    「自由」を叫ばなければならないのが、
    真の「芸術家」なのではないでしょうか。
    しかし日本の99%の「芸術家」は、
    それが「職業」であり「社会性」であり、
    それが「肩書き」であり「権威」である。
    つまり「芸術家」である以前に、
    一人の「社会人」であり、
    一人の「親」であり「子」であり、
    一人の「組織人」であり「管理者」であり、
    一人の「教育者」であり「学生」である。
    ほんとんどの「芸術関係者」は、
    「芸術」以前に「社会を構成する人」であり、
    その「存在」は、
    まさに「自由」という対象に対しての、
    「観察の理論負荷性」が伴うのです。
    ですから私からいえば、
    今「自由」を叫ばない「芸術家」というのは、
    クズでしかないのです。
    とっとと「芸術」の看板を降ろせ、
    その様に申し上げたいのです。
    そして私は、
    自由権に基づいて、
    自由に物事を考え、自由に行動できる権利に基づき。
    「自由に外出し、行動し、移動しています。」
    「外出に際しマスクを着けていません。」
    これは現在進行形であり、
    コロナ禍以前もコロナ禍以後もなんら、
    私の在り方は一切変化がありません。
    ここまで、
    現に私の在り方として、
    現実に実体を伴い行なっている事を、
    言説してきました。
    ここからは少し論理的な言説をしていきます。
    私は、
    「デリバティブアート宣言(芸術派生宣言)」
    https://www.machromatic.net/
    この様な宣言を2018年4月14日に宣言しています。
    これはまさに現在の、
    「実体を伴わない現実」を批判的に捉えた、
    私の芸術作品です。
    ちょうど2年前ほどに宣言しています。
    まさに現在の社会とは、
    「デリバティブ(派生物)」の社会になり、
    その「実体」は全く意味を無くしています。
    まさにこの作品は、
    その真理に気づいてもらいたいという、
    強い意志がある作品です。
    そして現実として今回、
    「コロナ禍」というまさに、
    「実体」ではなく「概念」としての、
    「派生」した「コロナ禍」。
    つまり「意味」としての「コロナ禍」が、
    まさに私たち、
    つまり「世界中」の「脅威」であり「恐怖」、
    そして「不安」であるわけです。
    もはや「コロナウイルス」という、
    「ウイルスの実体」は意味がないのです。
    しかしこの様な「人間の世界」において、
    この様な「派生的道理」というものは、
    「人間であるがゆえ」しかたのないものでもある。
    では私達はこの様な、
    「現実」をどう生きていけばいいのか。
    それはその様な「現実」である事を、
    「引き受ける」事です。
    これは正に私が尊敬する哲学者、
    ヴィトゲンシュタインの哲学、
    著書「哲学探究」の一節から引用すると。
    「good morning」
    という言葉は、
    辞書的意味が「良い朝」という意味を、
    知らない子供がいたとして。
    その子供が、
    「good morning」を、
    午前中の挨拶の言葉として、
    適切な状況において使用できたとすれば、
    その言葉の意味を知っていると言ってよい。
    逆に、その辞書的意味が「良い朝」であると、
    知っているがゆえに、
    雨や雪の朝はこの言葉を使わない様な子供が、
    いたとすれば、
    その子は、
    「good morning」
    の意味をわきまえているとは言えないであろう。
    つまりヴィトゲンシュタインのこの言説から、
    もはや言語レベルでも、
    そもそも「実体」を伴わず、
    「派生」として「機能」が、
    私達にとって「重要」なのである。
    そして私達人間は「重要」なものしか、
    「認知」できないのである。
    そして「芸術」とは時に、
    その「重要」なものの「認知」を、
    「パラダイムシフト」させる「機能」を有し。
    時にその「認知不可能」な「重要」なものを、
    「認知」させる「機能」を有している。
    この様な事からも、
    私が前述した「コロナ禍」の言説も、
    正にヴィトゲンシュタインの哲学が、
    「社会という環境」にまで及んできている。
    そのことが「実体験」として、
    「体験」できるのではないでしょうか。
    正に今、現実として実体として、
    私のこの「言説としての芸術」であり、
    「言語としての造形」が、
    私の「芸術家」としての、
    「根拠のない使命感」により、
    「書いている」と同時に「書かされている」、
    のである。
    美学者母

    テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

    1. 2020/05/03(日) 18:39:40|
    2. 美学・哲学
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    2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きる(Re-paradigm shift)、ニルヴァーナへの到達。(命の危険と存在の不安)

    さて美学者母です!!!
    現在2020年4月27日の朝方でございますwww
    完全に世の中とは時間が逆になってしまい、
    昼間は基本的に寝ていますwww
    ある意味この深夜の静けさが心地よく、
    社会との距離というものを非常に感じ、
    深夜型生活の方が、
    ある種客観的に社会を観る事ができるのも事実です。
    まぁ現在は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、
    世の中が騒がしいので尚更です。
    僕は30歳に初めて「覚り」を体験しました。
    そして先日2回目の深淵な「覚り」を体験しました。
    自己も含めて社会などが混乱している時の方が、
    覚りの境地を体験しやすいのかもしれません。
    私は仏門に入ったわけでもないのですが、
    様々な領域の研究を通して、
    仏教というものが現在において、
    非常に有用なものであることを実感しています。
    ですのでどこかの教団に入っているわけではなく、
    仏教というものを重要にしている一人の日本人です。
    そもそも家系的には、
    浄土真宗本願寺派・西本願寺だと思われます。
    しかし私は家系的なものは一切考慮していません。
    その上で私が影響を受けた仏教の考えは、
    当然仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の、
    考えであり。
    それにもっとも忠実的であろうと捉えているのが、
    大乗仏教であり、
    龍樹(ナーガールジュナ)の中論をベースにした考えです。
    私はその中でも最近は、
    日本伝統仏教13宗の中でも、
    禅宗である曹洞宗や臨済宗に影響を受けている。
    私はそもそも芸術を専門としているので、
    学びとしては西洋学問的価値観をベースに、
    その様な学ぶ事を行なっているわけです。
    それは日本の学校教育がそもそも、
    西洋的価値観に基づいて、
    日本に根付かせた。
    その西洋の芸術という価値観を学ぶには、
    当然その様な西洋学問的価値観を前提として、
    その学びにアプローチするわけです。
    しかし日本における学校システムといいますか、
    学問体系といいますか、
    もう色々と無理な時代になっているのですね。
    それはあからさまに、
    明治以降日本の学校は、
    いかにいい軍人を作るのか、とか。
    いかにいい官僚を作るのか、とか。
    戦後は、
    いかにいいサラリーマンを作るのか、とか。
    ある種明治期の産業革命を彷彿とされる様な、
    いかに均一で同一で従順な日本人を、
    一律に大量生産するのかという。
    一つの理想的で虚像的な典型的日本人を、
    金太郎飴の様に社会へ供給するシステムこそが、
    西洋学問的価値観を輸入し、
    その上で日本で現在も続く学校システムなのです。
    しかしこの様な西洋学問的価値観をベースにした、
    学校システムでは、
    現代社会で機能する人間が産み出せなくなっている。
    その様な事実が現実としてあります。
    つまりこれは根本原理として、
    西洋の一神教的価値観をベースにした、
    「一つの答え」という導き、
    言い方を変えれば「完全」を求める思考、
    それがもはや機能しない時代になっているのです。
    私はその様な考えの上で、
    西洋の芸術や美術、
    哲学や美学を学び、
    やはり同じ様に西洋の学問、
    思想、哲学、美学、思考、視座。
    その様なものの行き詰まりを、
    まさに体験するわけです。
    しかしそこは、
    私はそもそも西洋人ではありません、
    日本人です。
    だからこそ仏教という、
    思考や視座に可能性を観ることができ、
    私は「覚り」の体験を通して、
    仏教的視座の現代における機能性を、
    強く実感しています。
    それは正に、
    日本を代表する哲学者である。
    京都大学名誉教授。
    京都学派の創始者、
    西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」、
    という考え方に自然に引き寄せられるのかもしれない。
    これらを誤解を招く事を前提に、
    世俗的に簡便に要約すると。
    西洋的価値観を「完全」を前提にしているならば、
    私たち日本的価値観は「不完全」を前提にする。
    つまり私たち日本人が持つ、
    正に現在の現実にある。
    ある種の「生きづらさ」。
    2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きるには、
    明治以降から続く西洋学問的価値観である。
    「完全」を捨て去り、
    もともと私たち日本人が持つ価値観。
    「不完全」を「引き受ける」という生き方。
    そしてそれを原理にした、
    視座や思考を持つという事、
    そしてそれを実践するという事、
    その様な、
    「Re-paradigm shift」
    が急務であると実感しています。
    では具体的に私たちは、
    どの様に「不完全」を生きていけばいいのか。
    それは今回のコロナパニックでも理解できる様に、
    人間が全てをコントロールできるのだという、
    その様な人間の傲慢な考えを捨て去る事です。
    人間の分際を知る事です。
    私たちはコロナウィルスをコントロールできません。
    だから「完全」にコロナウィルスを無くそうとか、
    「完全」なコロナウィルス対策をしようとか、
    この様な「完全」を求める思考や視座こそ、
    「虚構」である事を理解する事です。
    これは正に「西洋学問的価値観」の「完全」です。
    私たち人間は「不完全」であり「愚か」であるのです。
    その「不完全」であり「愚か」である事を、
    まずは「自己」として「引き受け」なければなりません。
    それこそが「仏教」における「自灯明」を、
    拠り所とするという実践です。
    この世界に「完全」なものは何一つありません。
    無いものを有るというのが「西洋学問的価値観」なのです。
    それは正に「虚構」なのです。
    この事を私の言説で表現すれば。
    「西洋学問的価値観」というものは、
    時間軸に対して正対し、
    時間という概念の元、
    後から先へと人間は進歩し進化する。
    つまり人間は、
    過去より現在、
    現在より未来の方が有能である。
    しかし人間の真理は、
    時間軸に対して横を向いているのです。
    それは人間の存在とは刹那的世界のみに存在し、
    時間軸は並列にこの刹那に同時に存在している。
    これはある種、
    私たちの「認識」と「真理」の不完全性です。
    2020年コロナ禍の本質は正にこの事にあります。
    世界がグローバリズムという価値観の元、
    一様に同じ「完全」の虚構の元、
    「不安」を共有し「パニック」を起こしています。
    これは正に「グローバリズム時代」を原理に持つ、
    世界同時的な「存在の不安」という現象です。
    私たち人間も「生物」ですから、
    そもそも「命の危険」というものから、
    「命」を守ろうとしていた時代がありました。
    しかし私たちは「人間」です。
    もはや「命の危険」によって、
    「命」を無くすよりも、
    「存在の不安」によって、
    「存在」を無くす方が、
    上回る時代に生きているのです。
    この「世界」や「社会」、
    「会社」や「家族」「友達」、
    「組織」や「恋人」、
    その中での「存在の不安」によって、
    「存在」を無くすよりも先に、
    自らの「命」を無くしてしまうのです。
    皆様にはこの現実が理解できるでしょうか。
    この様な「存在の不安」を無くすには、
    まず「人間」の、
    つまり「自己」の「不完全」を引き受ける事です。
    「自己」の「不完全」を引き受けるとは、
    まず「生きている」という認識を改める事です。
    それは「生かされている」とも違います。
    むしろ強制的に「命」を「課されている」、
    その様に認識するべきです。
    私たちは誰に頼まれて、
    この世に生まれてきたのでしょう、
    誰が私の名前をつけたのでしょう、
    誰が私という人格を作ったのでしょう、
    誰が私という性格を作ったのでしょう。
    少なくとも私は、
    私が望んで「存在」しているわけではありません。
    つまりその様な現実的に「不完全」な「自己」、
    それを「引き受ける」。
    それが「存在の不安」を無くします。
    そしてその様な、
    「不完全」な「自己」の「存在」は、
    つまり「自己」だけでは「存在」し得ないのです。
    それは「自己」は「他己」との関係にのみ、
    「存在」し得るのです。
    これは「存在」の「真理」であり、
    つまり「存在」とは「関係」であり、
    それを仏教では「縁起」と言います。
    つまり「自己」という「存在」の「真理」とは、
    「私」とは、
    それは「自己」と「他己」における「機能」なのです。
    これはすなわち、
    西田哲学的にいうと、
    「自己」と「他己」の、
    「絶対矛盾的自己同一」の上で、
    「私」という「自己」と「認識」しているものは。
    「機能」であるのです。
    (最後にまとめ)
    「自己」も「他己」も含めて「私」である。
    その様な事が今回の言説で理解でき、
    それはある種仏教的な「慈悲」につながる、
    視座や思考であると理解できます。
    現在の混迷の世の中で、
    私の言説が皆様の「法灯明」となれば幸いです。
    美学者母

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    1. 2020/04/27(月) 04:51:17|
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    Author:FC2USER590191GYW
    mama Artist Promotion Video
    http://www.youtube.com/watch?v=mR12s6MhMS8



    美術家 「mama」 Official WebSite
    http://www.mamalab.info





    facebook
    http://facebook.com/machromatic






    COMPOSITE ART COMPANY "machromatic"
    マクロマティックは大阪・岸和田に拠点を置く総合芸術企業です

    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会



    マクロマティック心理芸術療法研究所
    http://www.artstherapy.biz/







    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    本日、2010年5月9日。
    インターネットという虚像と実像が共存する場。
    虚像と実像が表裏一体であり、媒介する。
    その媒介した場所が空虚である。
    インターネット上のウェブはまさに空虚である。
    その空虚であるウェブで。
    己が己である事を確認し。
    ウェブインスタレーションと定義する。

    http://www.machromatic.net

            現代美術作家 田中智和
                   (mama)






    Macromatic is an composite art enterprise in Kishiwada city, Osaka area.



    "Web art declaration"

    Today, May9th,2010
    Place where the internet exists together between virtual image and real image.
    The virtual image and the real image are consistencies, and it mediates.
    The mediated place is empty.
    The web on the Internet is exactly empty.
    With the empty web.
    The thing whose yourself is yourself is confirmed.
    It is defined as the web installation.

    http://www.machromatic.net

    Artist Tomokazu Tanaka (aka.mama)
















    マクロマティック
    http://www.machromatic.net

    SELECT ART SHOP マクロマティック
    http://machromatic.shop-pro.jp/

    美学者母ブログ
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    http://twitter.com/machromatic

    skype名 machromatic




    office
    〒596-0021
    大阪府岸和田市松風町25-18
    美術商 第622122106978号 大阪府公安委員会
    TEL/FAX 072-447-4066
    MAIL office@machromatic.net





    【本名】田中智和 (mama、母)
    現代美術作家・アートディレクター
    (専門分野)
    ストリートアート・ストリートカルチャー

    日本会議 正会員

    One JAPAN project 代表
    http://www.onejapan.jp

    Art×Street(日本アート×ストリート協会)
    http://artxstreet.com



    【略歴】

    ※1978年
    ・大阪府岸和田市に生まれる

    ※1994年 
    ・鳥取県へ移住

    ※1996年 
    ・スケートボードをはじめる

    ※1997年 
    ・大阪に帰ってくる
    ・アーティスト活動開始

    ※1998年 
    ・グラフィティライターとしてストリートで活動開始

    ※2002年6月 
    ・大阪のスケートボードショップOVAL NETWORKで個展

    ※2002年7月 
    ・大阪の古着屋MAX FIELDで個展

    ※2002年8月 
    ・村上 隆が主催するアートイベント 「GEISAI-2」(東京)に参加

    ※2003年7月 
    ・大阪のclub NEOのクラブイベント「NEO SUMMER FESTIVAL」に参加

    ※2004年6月 
    ・大阪・岸和田の岸和田中央会館ギャラリーで個展
            mama Art Show 2004 「春 風 花」

    ※2005年5月 
    ・大阪・岸和田の町家 光輪庵で二人展
       machromatic Art Show 2005 「こころ、であう。」

    ※2005年12月 
    ・大阪府公園協会・泉佐野市公園緑化協会主催
    「Twinkle Park in Rinku 2005」でアートパフォーマンス

    ※2006年4月 
    ・「第3回 ART BASE NULL 作家交流展」(泉佐野 新井邸)に参加
       後援 大阪府、大阪府教育委員会など。
    ・遊び心創作家として活動開始

    ※2006年9月 
    ・主催 文化庁 共催 田尻町教育委員会
     「こどもアート体験 北欧~日本展」参加

    ※2006年11月
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    2007年4月
    ・東京・下北沢のclub WEDGのアートイベント参加
      1seam「New Born Babys☆」

    ※2007年5月 
    ・第4回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2007年10月 
    ・食の専門学校レコール・バンタン臨時講師(大阪市)
     展覧会「食とアートのコラボレーション」プロデュース

    ※2007年12月 
    ・Joint Art Battle -JAB-(富山)参加

    ※2008年5月 
    ・第5回 ART BASE NULL 作家交流展(泉南市 山田家)に参加
      後援 大阪府、大阪府教育委員会など。

    ※2008年6月
    大阪・大阪市中央区「ぎゃらり かのこ」で個展
      mama exhibition「アートバイブレーション」

    ※2009年11月
    東京・有楽町でのアートフェア
       「YOUNG ARTISTS JAPAN Vol.2」参加

    ※2010年5月
    『ウェブアート宣言』(Web art declaration)

    ※2010年6月
    雑誌「プライベートアイズ」の特集へ参加
    きこえをアートする デコレーション補聴器の作品提供





    ■■ machromaticホームページ ■■

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